欲望の代償  社会

風邪は人間をあからさまにした。

何もかも隠蔽しようとしているのは大衆である。

チッソや原発の問題は象徴的だ。

大衆はいつも誰かのせいにして逃げ回る。そして社会システムは誰も責任を取らなくても良いシステムとなっている。

それは司法が機械的にジャッジを下すだけだ。

大衆は常に責任を放棄し、政治家や企業に責任を問う。

しかし、政治家や企業の役割は大衆の夢を叶えることである。

私たちの世界は夢や希望や理想で塗り固められている。その欲望を実現させるために自らは労力を使わず、全てを誰か力のある人に委ねて自らは何もしない。

委ねられたリーダー、今では企業のトップや有力な政治家は大衆の希望を叶えるために働く。

そうして大衆は欲望を肥大化させ、夢の世界を自ら作り出す。

その世界は自然からはるか遠く離れたところに存在するようになる。

大衆は夢を享受する。そこは安全でユートピアのような世界だ。

しかし、大衆はいつも不満を持つ。あれが足りない。これが許せない。

委ねられたリーダーや支配者は、それを叶える為に骨身を削ずり、大衆の為に働いたのに大衆は不満ばかりだ。

実際、大衆の生活している世界は紙一重のユートピアにしか過ぎない。

その紙一重の世界を必死に守っている企業や国に対して大衆は不満しかない。

私たちの平和な世界はどのように紙一重の世界であるかということについては全く大衆は考えない。そこにどれだけの努力が注がれているか。

エネルギーの供給は常に紙一重である。石油を運ぶタンカーが常にそのエネルギーを安定的に供給するのは紙一重である。

この国の食料を安定供給させるの努力は常に紙一重である。

安全な水を確保するのに本当に紙一重で台所に運んででいる。

ほんのわずかでも途絶えれば、アッと言う間にこの国の安全、安心な生活は破綻する。

本当にギリギリのエッジを歩いていることを多くの人は知らない。そして不満ばかりなのだ。

それに対して、支配者はその努力を毎日、批判されながら続けている。

いや、それだけでは無い。支配者はそれを利用して大衆を騙している。

お前たちの欲望を叶えさせているのだ。お前たちの欲望の捌け口になるが、その責任はお前たちがとるのだ。

その欲望に見合っただけのことは俺たちは享受する。なぜならすべてはお前らの欲望が起こしたことだ。

そういうことだよ。(もっと深い部分があるがここは割愛)

政治家の持つ情報は大衆が持つ情報より格段と多く、深い情報を持つ。

世界とのバランスを見ながらこの国のかじ取りを行う。

大衆はこの世界が正義と悪の世界だと考えているが、政治家はそんなものはバランスに過ぎないと考えている。

そこに齟齬が生じるが、政治家はそこまで説明できない。何故なら大衆は理解できないからだ。

大衆を夢から覚ますことは出来ないことを権力者は、権力を持った時に思い知る。その衝撃は計り知れない。

だから、大衆が期待した政党がその政策を権力を持った瞬間に裏切るのだ。
それは裏切りでは無く、大衆の夢や希望や安全を確保するために世界とのバランスをとり、絶望する瞬間だと思う。

では、権力者は何故、その情報を大衆と分かち合いその齟齬を一致させないのという疑問が生じるかもしれない。

私はそれは一致させた方が良いと思うが、これは無理な相談だ。

何故なら、それを理解できる大衆が圧倒的に少ないという現実があり、それは夢を見ていたい大衆には全く通じない。

さらにもしそれが実現できたとしたら、今度は世界とのバランスは崩れてしまい陳腐な表現で言えば、おそらく日本は北朝鮮化するだろう。

世界と戦う。具体的に言うとアメリカと対立することになり、日本を孤立化する。

それでも良いと言う大衆がいると思うが、それはこの国の多数決とは決してならない。
だから結局、政治家は陳腐化するしかないのだよ。

権力を持った人がそのうち自分の欲望だけを考えだすのはそいうことだ。

どうだろう。あなたは自分の利益になるかどうかだけで地元の政治家を選んでいないか?
それがこの国の、いや世界のすべてだ。

いや、違うという人は幸いだ。しかしそれ以外の人はどうなんだ。

なんで不満をぶちまけているのか考えてみたらいい。

何故、原発が存在するのか?何故、権力は腐敗するのか?
何故、薬害が存在するのか?何故、環境破壊は進むのか?
何故、食料の問題があるのか?何故、あなたは病気なのか?
何故、あなたは生きているのが苦しいのか?
何故、あなたはハリウッド映画のような幻想に誘われるのか?

毎日、目の前に存在する自分や家族や友人や食べ物や空や地面や風や植物や光や空気や雲や昆虫に、
何故、感動できないのか?

”チッソは私であった”という本がある。

原発は私であった。農薬は私であった。
環境破壊は私であった。

農薬は私であった。

ワクチンは私であった。

コロナは私であった。

それはすべて大衆の欲望が成し遂げたこと。

誰が責任を負うのか。

支配者がコントロールしたと大衆は言うかもしれない。もしそう言うなら、
大衆には意思、意志、意識が全く存在しないということになる。

そして不満は、機械的な脊髄反射となる。大衆とはそういうものか?

いやそうでは無いという人は機械的な反射から抜け出した人だと思います。

それ以外は機械の中に閉じ込められたままです。ただの反射神経。





拍手コメントの方

ありがとうございます。愛はすべての人の中に条件無しで溢れています。しかし、そのことに気づきません。
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