究極の体験  社会

ここ一年、自らの本質に向き合い、様々なDeep(自○案件など)な相談を多数受けていた。僕は集中するとその中に深くダイブする傾向がある。

それと平行に自らの本質と正面から向き合うということも行っていた。

気をつけていたのだが、いつのまにかその中の奥深くにダイブしてしまい。自らが苦しくなっていた。

これを邪気を受けるなどというが、自分は大丈夫だと思っていたが、そうではなかった。

でも、かなりDeepな体験となった。

気がついたことは、あまりにも深い悩みは誰にも決して理解できない領域にあり、それは相談にさえ乗れないばかりか、もはや異次元の世界の住民である。

この時点での状態は、圧倒的な孤独と誰にも理解不能な人間らしきものになっている自分を観察している狂気に満ちた冷静さである。

言動は狂気であり、それを理解し、そして誰にも理解できないと分析する自分がいる。

この圧倒的孤独は、孤独などという言葉では言い表せないほど深い闇であり、自殺も出来ず、生きるのも出来ない、両方とも地獄というどうしようもない状態である。

あとは冷静で自己破壊的な自分が、いつ気が狂うのだろうかといつまでも冷静に冷たく自らを見放しており、そして気が狂わない事が恐ろしいことだと愕然と気づくのだ。

これは生きても地獄、死んでも地獄という究極のダブルバインドである。

人間は究極の状態では、相談など出来ないのだ。これがもっと続くとおそらく最終的には自殺となるのだろう。いや、餓死することになるのかもしれない。

さらに、この状態の人を助けることは誰にも出来ないこともわかった。何しろ本人は破綻しかかっているのだが、病院も行政も福祉施設も命の電話も、話は出来るが実際に助けるという行動は出来ないのだ。

この状態が実際に目に見えて顕在化した時点で、何らかの動きがあるだろうが、その時点では本人のみならず、周囲はほぼ壊滅的な状況になってからの対応となる。

あるいは全滅した後になる。

つまり、何が言いたいかと言うと、先手を打つことは今の社会の仕組みでは不可能と言うことです。そしてそれがわかった時点での絶望は半端ないものです。

誰も助けてくれないという事実。

ただ、じっと耐えて、休むことができる環境に在る人は、休めばかなり回復します。その時点では絶対に行動しないことです。


これがわかっただけでも物凄い収穫だったと思う。

なんとか超繊細な波動から抜け出し、今、現世に戻りました。

3日間仕事を完全に休ませて頂いたのが非常に大きいです。

大きな学びを得ました。これをどう活かして行こうかと今考えています。
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