朝からごみ問題を考える  社会

朝からごみ問題を考える。

よくテレビでごみ屋敷なるものが報道され、住民が困っている。近隣に住む人は悪臭がする、火事になったらどうするのだ、子供たちの通学路を塞いでいる、景観が壊れるなどの理由で、ごみ屋敷の住民は完全に厄介者扱いになっている。

大抵は、ごみ屋敷の住民はその地域で孤立していたり、年老いていたりする。

しかし、考え方を変えてみると、そのごみは皆さんが出したものである。文句を言っているあなたのごみがそのごみ屋敷にあるはずだ。

そのごみを拾い集め、自宅の家の中、庭に山積みに置いている。

そして、それを捨てた人達はそのごみを見て苦情を言う。視点を変えれば、ごみを集めてきてくれている有り難い人に見えてこないだろうか?

しかも、実際に嫌な部分を皆さんに見せてくれている。これにより、皆さんは現実を突きつけられる。

その現実を見るのが嫌なので、目の前から消してください。と苦情を言う。

そのごみは、そこから消えても、どこかにあって処分されている。何も無くなったわけではない。どこかに埋葬されてるだけである。

つまりくさいものに蓋をして、良かったと。

何の問題も解決していないのに。その問題を教えてくれているのがごみ屋敷の住民の役割。

善良で気づかないのが一般の庶民。そして自分は悪くないと思って正義のナタを振るう。

世の中を浄化している人、それがごみ屋敷の住民であり、人間関係の大切さを教えているのもごみ屋敷の住民。

誰でも、ごみ屋敷の住民になる可能性がある。私も、あなたもだ。

そのようなことを考えずに、道徳だとか倫理だとか正義を語る人ほど厄介な人はいない。

何しろ自分が正しいのだから。

私はいろんなことを記事としてFacebookやブログに批判的に書いているが、実は批判している訳ではない。

とりわけ、医療関係者なので医学に関することが多いが、結局どれも同じ構造。

私の考えの根底に通底して流れているのはこのような考えなのだ。

私のブログの記事などを読んで、私のイメージをかなり高齢な人だと思ったり、非常に厳しい人だと思っている人がたまにいるが、実際に私に合って驚く人がいる。

私は厳しくありません。そうでしょう。私に実際に合った人はわかります^^。

物事はいろんな視点で診ることが大切だと考えます。

私は、あまり”思います”という言葉を使わないのは、思っているだけでは行動に繋がらないので、あえて、”考えています”と行動に繋がる表現をすることが多いのです。

皆さん、何があっても、”幸せに生きていきましょう”

今日も生きていた。”良い一日をお過ごしください”


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タグ: ゴミ




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