お久しぶり過ぎて、まことに申し訳ありません。<(_ _)><(_ _)><(_ _)>
facebookや、オフィシャル・ホームページを時々チェックして下さった方は
とりあえず生存は確認して頂けたとは思いますが・・・(;^_^A;;;;;;;
オフィシャルホームページに、ブログをつけて更新を試みては挫折を繰り返し・・・ついにあきらめて古巣に戻って参りました!ただいま〜〜〜(^O^)/
ということで、心と時間の隙間を埋めるべく、ブログ更新にいそしんで参りますので、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
早速ですが、この夏、アメリカの母校を28年ぶりに訪問した様子を、ご紹介いたします。
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《吉住さと子の夏休み》 ♪アメリカ里帰りの旅 (その1)♪
8月某日、1週間の日程で、サウスカロライナ州グリーンビル市のボブ・ジョーンズ大学に娘と滞在しました。夏休み中だったのでキャンパスはガラガラ、食事時のみ学食が開いている、という状態で買い物には不便しましたが(車があれば問題ナシ(;^_^A)緑いっぱいの静かな校内を、来年留学を考えている娘に思い出話をしながら、ゆっくりと散策できました。28年もたっていますから、キレイに改装されていましたが、大方は昔のまま。一気に学生時代に気持ちは戻ります。
リサイタルを何度も開いたチャペル、大きなイベントでソロを歌わせていただいた大ホール、みどりの芝生を走り回る野生のリス達。
日曜日は、元日本への宣教師、パターソンご夫妻に、マウント・カルバリー・バプテスト教会に連れて行っていただき、暖かいアメリカの教会の歓迎を受けました。
私の声楽の恩師、ミセス・ガスタフソンと、長女で私の弦楽クラスの教授、ミセス・ピナーにもお会い出来ました。私はミセス・ガスタフソンの最後の生徒で、引退されるときに私を後継に推薦して下さったので、院生助手として大学で声楽を教えるお仕事を頂きました。初めての教職だったので、それは大変でしたが、ベテランの教授陣のご指導を受けながらの経験は、何物にも代え難く、その後の私の音楽人生の大きな財産となりました。
しかし、小さな神学校から編入して来たばかりの頃の私は、大学院に必要な英語力も音楽基礎力も不十分で、大きな挫折を味わっていましたが、「諦めてはいけません。あなたは神様から歌という大切な使命を授かっています」と、いつも励ましてくださいました。その言葉は、卒業して帰国し、新たな試練に直面した私を、常に励まし続けてくれました。今の私があるのは、この先生のおかげと言っても過言ではありません。
ミセス・ガスタフソンは認知症を発症し、最愛のご主人が4年前に天に召されたことも、私が最後の生徒であったことも、ほとんどお忘れになっていました。そして・・・30年前にノドを痛め、思うように歌えなくなったので引退されたことも、お忘れになっていたのです。昔と変わらない、美しい歌声で、車椅子に座ったまま、楽しそうに歌っておられました!神様のお取り計らいは、なんとお優しいこと・・・悲しいことは忘却の彼方に、そして歌が残りました。先生のおかげで、歌い続けてこれたこと、CDもリリースし、たくさんの生徒たちに囲まれて幸せであると、感謝と共にご報告出来ました。
芸術学部は新しい、大きな校舎に建て変わっており、尊敬するドクター・ガスタフソンの名をとって「ガスタフソン・ホール」と命名され、先生の肖像画が飾られていました。偉大な芸術家、作曲家、指揮者、教育者、そして信仰の巨人、ドクター・ガス・・・みんなは敬愛の意を込めて、そう呼んでいました。彼の聖歌隊で、ソリストをさせて頂いていたのが、私の誇りです。
現在の芸術学部長、ドクター・ローソンにもお会い出来ました。彼が大学院生だった時、大きなコンサートの責任者として、私をソリストに指名して下さって、その時のプログラムもちゃんと保管してあり、昔話に花が咲きました。
彼が就任してから、それまでグランド・オペラのみの上演だったのが、ブロードウェイ・ミュージカルと交互に上演されるようになったとか。(学内に南部アメリカ屈指のオペラハウスがあり、主役級はメトロポリタンかブロードウェイから、残りはすべて大学の自給自足(笑)で、本格的な上演が行われます。先生方はみんなプロなので・・・。来年はタイタニックらしいです。いいな〜。)
ということで、学内散歩で今回は終わり。旅はまだ続きますよ〜〜〜(^O^)/

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