2006/2/17

孫が読む漱石  

著者:夏目房之介
出版:実業之日本社
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「夏目漱石」のことはいつも気になっており、いつかは著作をもう一度読み直したいと思っている。
本書に関しては、少し前の「漱石の孫」が面白かったので、購入した次第。
「血縁関係から見ると、漱石の作品ってどんな感じなんかなぁ」という野次馬根性だ。

ところがのっけから長い「漱石死後の夏目家の状況」「漱石に対する作者のスタンス」等について述べる「プロローグ(吾輩は孫である)」が始まり、「オイオイ」って感じだった。
「君(房之介)のことはいいから、早く漱石(とその作品)のことを話してよ」
という訳だ。
でも良く考えてみると、本書の想定される読者は大半が「漱石ファン」「日本文学ファン」(という括りがいいのかワカランが)だろうから、こういう「前提の説明」は必要なのかもネ。正直言って僕は「夏目房之介」に関しては、「漱石の孫」よりも「マンガ評論家」として自分の中で重きを置いているのでこういうのは「蛇足」に思えたんだけど、多分そういう人は(本書の読者としては)少数派だろう。

ただ実際に読み始めると、この「序章」が意外に効いた。
各作品の批評はかなり本格的で、「なかなかシッカリしてるなぁ」と思わせるのだが、それでも時々漱石のプライベートな面からのアプローチがあって、そこら辺は純粋に「批評」という観点からは「ゆるい」感じもする。
しかしその点を「漱石の孫」に言われると、「まあそうかもな」と思わざるを得ないのだ(笑)。基本の「批評」がちゃんとしているだけに、時々見えるこの「ゆるみ」はナカナカ面白く読むことができた。(挿入されている作者のマンガも同様に「ゆるみ」として楽しい)

本書の価値はやっぱり「漱石の孫が書いた漱石作品批評」と言う所にあるのだろう。その意味では「際物」と整理してもおかしくはない。
でもそこで展開されている批評は(「ゆるみ」の部分も含めて)第三者の批判に耐えうる内容になっていると思う。その点が単なる一族の「思い出」ものとは一線を画しているし、「マンガ批評」の地平を切り開いてきた(大げさ?)夏目房之介の「批評作品」の一つとして成立していると思う。(「明治の知識人の悩みは戦後大衆文化の中で一般化している」という大衆文化との絡みでの位置づけなんか、「マンガ」(特に「少女マンガ」)との比較を通じてかなり説得力があるものとなっている)

いや正直言うと、もっと気楽なモンかと思ってたんだけど、読み始めると意外に重くて、慌てて途中から襟を正したんだけどさ(笑)。

(ついでながら、作者の父、漱石の長男「夏目純一」は面白そうな人物だ。「高等遊民」で一生を終えたらしいこの人物の生涯は、「漱石の息子」という立場からの照射で見ると興味深いんじゃないかと思う。
どうも作者自身そんな風に考えている節があるが(日記を探したりしている)、是非とも何らかの形で作品にして欲しいものだ)



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