2007/4/23

雄気堂々<上・下>  

著者:城山三郎
出版:新潮文庫
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先日、城山三郎氏の訃報を聞いたとき、
「この機会に何か一つ作品を読み直してみよう」
と思った。
その時考えていたのは「落日燃ゆ」か「官僚たちの夏」だったんだけど、書店で並んでいる城山作品を見ていて、名高いこの作品を読んでいないことに気付き、購入したのがコレ。

本作では渋沢栄一の20代から40代半ばまで、つまり青年期から壮年期の姿が描かれている。90過ぎまで生きたこの偉人の晩年のエピソードもいくつか触れられてはいるのだが、まあそれは付け足しのようなものだ。
上・下巻の上巻が「維新」の時期の姿、下巻が明治初期に経済界で確固たる地位を築いていく渋沢栄一の姿が描かれている。

「『明治維新』という修羅場を乗り越えてきた胆力が経済界でのし上がる『力』となったのだ」
「維新」前後に割かれる割合が多いので、そういう構図になんのかなと思いながら読んでいたのだが、そう単純なものではなかった。
勿論、そうした側面は確かにあるのだが、それに加え、
「維新」の頃から渋沢栄一の特徴であった「建白好き」(企画・提案好き)、そして「維新」後の数々の人材による「八百万の神々の国づくり」に触発され、「合本組織(株式会社)」を日本に根付かせようとする執念、
「経済小説家」らしい城山三郎氏の視点が、やはりそこにはある。

それにしてもここで描かれる「株式会社」の理念の素朴なこと!
「複数の人間(組織)が資金を出し合って事業を行い、協力し、智恵を出し合って事業を拡張して行き、出資に応じて利益を得る」
「株式市場」を想定しないこの理念は、「素朴」であるとともに、「理想」でもあるだろう。いや、「株式市場」があっても、投機的な思惑を除けば、この「株式会社」の理念は今も機能するのかもしれない。
確かにこういう風に考えれば、「会社は誰のものか」という疑問も、今のように議論にはならないような気がするね。
今更、「明治の頃」に戻るわけにも行かないんだが・・・。

作品の狙いとして「渋沢栄一」の生涯のこの時期に焦点を当てたのは理解できるし、「ドラマチックさ」という点では間違いないと思うんだけど、個人的には40代以降の「渋沢栄一」をもっと知りたかった思いが残る。
「日露戦争」に対する感じ方なんか、ナカナカ面白いと思うしね。
ま、それは別の作品を読めばいいのかな。



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