2011/1/8

読書録「人間はガジェットではない」  

・人間はガジェットではない IT革命の変質とヒトの尊厳に関する提言
著者:ジャロン・ラニアー 訳:井口耕二
出版:ハヤカワ新書JUICE

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年末年始の帰省中に考えさせられたことに、「子供とIT(ネット、デバイス等)の距離感」があった。
僕の姪(妹の娘)が中2なんだけど、彼女の「技術」の成績が下がったという話からそんな話題になったのだ。

僕の妹はゲームやPCを敵視していてw、子供たちにはDSもPCも与えていない。
ところが中学の技術の授業でPCを使ってのプレゼンと言う課題があって、PCを持っていない姪は上手く時間内に課題を仕上げることができなかったという。

実際には「家庭でPCに触らせない」ということが、そのまま学業に反映した訳じゃないんだけど(姪の性格やら何やら、色々関係している)、それでもネットやPCとの接触をどのように子供に許していくのかっていうのは、遠からず我が家でも話題にはなるだろうね。
我が家でも、妻はITに一定の距離を持ってるけど、今後の社会を考えると、ネットとの関係から遮断された社会は想像できないだろう。
そういう中でツールとしてIT機器を使うことに精通することは、必要不可欠な「能力」と見なされる可能性もある。
今の「就職難」なんかを考えると、ここら辺の「親の判断」ってのは、結構難しいように思うんだよねぇ。
あ、PCの前に携帯電話があるかな?

この話題は、いずれまとめて考えなきゃいけないと思ってるんだけど、本書を選んだのは、そういったことが頭にあったから。
「安易に『答え』を得ることができるような環境にあると、自分で考えることができなくなる」
的な論調とは別の次元での見方が記されているようで、ちょっと気になったのだ。

一読、「結構、読むのがシンドイ」w。
作者は「バーチャルリアルティの父」と言われているヒトらしく、基本的には「技術者」なんだよね。(「ミュージシャン」でもあるようだが)
そういった技術者の視点からの具体例なんかは僕にはサッパリって感じだし、語りっぷりも独特のものがあって、読んでサッと頭に入るって感じの本じゃない。
それでも読んでいるうちに、漠然とではあるが、作者の言いたいことは分かってきたような気がした。

「技術」が「人間」を規定してしまう危険性がある。
「フリー」は創造者の経済的基盤を破壊してしまうことで、結果的に創造性を押しつぶしてしまう。
匿名性は人間をトロールにしてしまう。
云々、云々・・・

フリーが音楽業界に何をもたらしたか、そこで創造性はどのような有様になったか、
なんてあたりはスゴく興味深かったね。
「2000年代に入って、創造的な音楽はシーンとしてあったかい?」
レトロポリスって考えには頷かざるを得ない面もあると思うよ。

本書を読むと、Appleという会社がやろうとしていることが別の視点から見えてくる。
確かにそこには「ビジネス」がある。
しかしそれだけじゃないんじゃない?
クローズドな技術と、課金制に支えられたiTunesの存在。
あるいはそこにはサイバティック全体主義に対するアンチテーゼが含まれているのではないか・・・と。
(考え過ぎ?w)

ネットもPCもデバイスも、所詮は「ツール」だと言うことを忘れない。

個人としてはそういうことなんじゃないかと思う。
人間の方が技術にあわせるような社会設計がされることに対して「違和感」を持ち続けるためにも。
大分、ヤラれちゃってるかもしんないけどね、個人的にはw。
(もっとも集団知なんかには懐疑的ではある。クラウドもツールとしては便利だと思うけど、その向こうに創造性が生まれるとは思ってないね)

そういった感覚が理解できるまでは安易にPCなんか持たせるべきじゃない?
そこは何とも言えないな。




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