2009/11/26

「うらなり」  

・うらなり
著者:小林信彦
出版:文春文庫

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漱石の「坊っちゃん」を、登場人物の一人「うらなり」から見た視点で描き、その後日譚も描いた作品。
作者自身の「創作ノート」が併せて収録されていて、作品の構成や意図はそこで十分に論じられているという、「感想」が書き難い作品ではある(笑)。
いや、実際、本作のポイントってのは、この「創作ノート」に尽きるといってもいいね。
坪内祐三氏の「解説」も加えれば、ホント言うことはないって感じ。

個人的には「坊っちゃん」を題材にした作品としては、「『坊っちゃん』の時代」(関川夏央/谷口ジロー)が最高だと思うのだが、研究の深さという点では本作の方が上かも。
確かに「坊っちゃん」ってのは、あの物語で描かれる事件の「主人公」じゃないんだよなぁ。
脇役の癖にしゃしゃり出てきて、引っ掻き回す・・・って「喜劇」を演じるのが「坊っちゃん」。
そういう意味では「敗北」するのもまた、「坊っちゃん」ではないのだ。
そこを踏まえた上で、本作では「坊っちゃん」の世界を上手く「解説」し直してくれている。
(もっとも「エンターテインメント」としてはどうか、というと、これは「『坊っちゃん』の時代」に軍配。
「うらなり」から描かれた「坊っちゃん」の世界は、何やら「現代小説」になってて、その分、痛快さやカタルシスはなくなっちゃてるんだよね。
ま、これは作者の意図通りでもあろうが)

漱石の小説の中で「吾輩は猫である」と「坊っちゃん」は特異なポジションを占めている。
この二作の主人公(「猫」「坊っちゃん」)は、いずれも漱石のメインキャラクターではなく、彼らが眺める脇役の中にこそ(それは「先生」であったり、「赤シャツ」や「うらなり」だろう)「漱石」自身のキャラクターが色濃く投影されている。
そうした客観視がこの二作の面白味や躍動感に繋がっており、逆に自らを掘り下げるような自省的キャラクターと物語を築き上げた以降の漱石作品こそが、近代日本文学の基礎を築き、現代日本文学に連なっているってことになる。

今さら何なんだけど、漱石が「猫」や「坊っちゃん」のような作品を世に問い続けてたらどうなってたろうね。
もっと日本文学はエンターテインメント的な要素が濃くなってたかも・・・なんて(笑)。
(もっとも本書を読めば分るように、「猫」や「坊っちゃん」にも、実は深い作品世界が内包されているというのはある。
見方を変えれば、漱石の以降の作品は、それを「分りやすく」提示してくれた、とも言えるのかもしれない。
つまりは「大人の遊び」だったんだよね。「猫」も「坊っちゃん」も)

「坊っちゃん」を読んだことがある人は、是非本作も読んで欲しい。
後日譚もよく出来てると思う。(まあ「マドンナ」の「その後」は、「ありがち」と言えばありがちだけどねぇ。でも作品的にはここらへんが収まりはイイだろう)

結構考えさせられますよ。



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