私の家は神奈川県愛甲郡愛川町半原です。祖父は、厚木、愛川、津久井から繭(まゆ)を買い集め、絹織物産地山梨、群馬、八王子等へ卸していた。今でも屋号は「買場」(かいば)です。
父は戦後の機械化でミシン絹糸の撚糸業をしていました。当時昭和30年頃は、半原は約1200世帯の7割はミシン絹糸撚糸業を営んでいた。数社は50人前後の規模で会社運営を営んでいたが、ほとんどが家内工業でした。我が家も近所のおばさん3人前後と家族で撚糸業を営んでいました。私も高校を卒業して、公務員として市役所の入所が決まっていましたが、いろいろ考え父の仕事を手伝うことにしました。 まずは地元では大手の会社に見習いで入社しました。
2年務めました。その時代になりますと、絹糸から化繊(ナイロン・テトロン等)に変わってきました。絹を機械で撚糸すると良く切れてそれを繋ぐのが仕事でした、化繊は糸が切れませんので工業化が進み、小さな絹糸工場は徐々に仕事が少なくなってきました。
当時私は21歳頃です、繊維を生かした時代の求めている仕事を考えました。いろいろ考え当時厚木市は土地が高くなり、農家は古い家を近代的な家に建て替えをするブームでした。
そこで私は、カーテン、絨緞(カーペット)関連に転職しようと思いました。
父の友人が経営している室内装飾会社に7年務めた後、28歳で独立しました。
それから壁紙、店舗内装、インテリア、増改築、リフォームと営んでいます。
現在半原で繊維関係の仕事をしている家は数十軒です。
DECIDE(ディサイド)5月号が届きました。変革への提言でタナベ経営東京本部長の仲宗根政則さんは「未来価値の創造を怠るな」を提言しています、紹介します。
自社を永続的に成長・発展させ、かつ存続させていくためには、経営者・幹部が常に環境変化を読み取り、その変化に合わせて自社の存在価値を向上させ続けなければならない。
存続価値は、世の中が求めているものと会社の持ち味(強み)の接点にある。強みがあっても、その強みを世の中が求めていなければ、単なる自己満足に過ぎず、その企業に存在価値はない。今、自社が存続しているのは、自社のもつ強みと、現在の世の中が求めているものに接点があるからだ。しかし、その接点(ストライクゾーン)は、人口構造の変化や技術革新、法規制の改正など、様々な外部環境の変化により動いていく。時代に伴って環境が変われば、世の中が求めているもの、すなわち顧客ニーズも変化するからだ。
経営者・幹部とは、このストライクゾーンの変化を読み取り、変化に対応するために自社の強みに磨きをかけ、会社の存続価値を向上させる人である。もし、変化に対応出来る強みがなければ、その強みを創造しなければならない。つまり、中長期的な変化に対応し得る存在価値を作らねばならないということだ。私はこの価値を「未来価値」と言っている。
外部環境が良く、業績も良い時に、自社の未来価値は見えにくい。「業績の良い時に次の手を打つ」と言われるが、経営者・幹部は業績の良し悪しに関わらず、常に未来への危機感を持ち、自社の未来価値の拡大に向けて努力を怠ってはいけない

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