7月1日号のタナベ経営DECIDE(ディサイド)が届いた。その特集に新しき老舗、温故知新の暖簾立国論が掲載されていた。
「老舗は柔軟で革新的な遺伝子を有するのも事実。時代の変化に対応してきたからこそ長寿なのだ。暖簾を守りつつ果敢に変身を遂げる「新しき老舗」を追う。」という見出し文で、5社が紹介されていた。その中にトモエ算盤(株)が紹介されていた。『算盤』という言葉の響きに、私は、びっくりすると共に、懐かしさを覚えた。かつて計算に欠かせなかった道具だった算盤は、電卓やパソコンの登場によって見かけなくなってしまった。ところが今、算盤は「教育ツール」として重要な役割を果たしているとのことだ。現取締役社長は藤本トモエ氏、女性社長さんです。「トモエ」という名前から創業者と勘違いされそうですが、トモエ算盤は藤本氏の父である雄二氏が1920(大正9)年に東京・神田に「播州算盤店」を開いたことに始まる。
そして53年に家紋の「三つともえ」から「トモエ算盤」へ社名を変更した。その翌年に生まれたのが、家紋と社名から命名された現社長のトモエ氏だ。
藤本氏は当時を振り返る。60年代に誕生した電卓が徐々に普及しはじめ、80年代になると太陽電池で稼動する小型製品が登場して世の中を席巻。90年代にはパソコンの表計算ソフトが頭角を現し、算盤はいつしか人々の前から姿を消していた。
藤本トモエ氏が家業を継いだのは、算盤が斜陽の時期に差しかかった85年のことだった。
「それまでは英語の教師をしていたのですが、父の急逝によって家業を継ぐことになりなした。もちろん経営はまったくの素人で、しかも算盤の需要は毎年減っている時代でしたから、出口の見えない中を必死でもがいていた」とのことです。
業界の商習慣をも変えたともいわれる「ともえ算盤」だったが、時代の大きな流れには逆らえなかった。
藤本氏は社長就任後、算盤の需要が減ることは逆らえないと考え、観葉植物の販売などの事業にも乗り出したのだが・・・
「算盤の製造・販売に変わる事業を育てようと挑戦したのですが、うまくいきませんでした。そこでもう一度、原点に返って算盤の価値を掘り下げていくことにしました。そして着眼したのが「計算ツール」ではなく、「学習ツール」としての算盤が持つポテンシャルだったのです」と藤本氏は語る。
教育ツールとして可能性を掘り起こし、教育ツールとして復活を遂げたトモエ算盤。この戦略の転換を可能にした要因に、ともえ社長の英語教師の経験がある。
挑戦し、続ける老舗大変考えさせられます。
7月22日にIAG(インテリアアドバイザーグルプ)の全国役員総会が 奥湯河原(山翠楼旅館)で行われました。業界も転換期に来ています。原点に戻り、ポテンシャルを掘り下げて、この経済大転換期を乗り切りたいと思います。

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