新年明けましておめでとうございます。
長い間、コラムをお休みして大変すみませんでした。
今年もお陰様で、身延山初詣が出来ました。半原神社元旦賀詞交歓会が午前11時からあるため、家を元旦の午前4時30分に出発しました。中央高速道路相模湖ICから入り、甲府南ICで降り甲府、市川大門と笛吹川沿いを上って身延山に渋滞もなく6時30分頃着きました。
恒例の身延山久遠寺本堂でお開帳をお願いして今年も家族の身体健全を祈願していただきました。
帰りは本栖湖で朝日に輝く富士山を見て、中央高速道路河口湖ICから入るルートで無事に10時30分頃着くことができました。
2015年12月から朝日新聞発行の週刊「日本の名寺を行く仏教新発見」全30冊を契約して、毎週本が届くのを楽しみにしています。
[仏教新発見]発刊の言葉 宗教学者 山折哲雄さん 言葉を少し紹介します。
新しい人生を発見する旅へ・・・・・人生80年の時代である。90年という人もいる。老いと病いと死がゆっくりやってくる時代と言ってもいい。それに対して人生50年の時代は、働きづめに働いて、気がついてみると死が足もとにやってきていた。生と死がきびすを接していた。生きることと死ぬことが、同じ比重で我々の人生を彩っていた。だから、死生観と言えばたりた。ところが人生80年、90年となるとそうはいかない。ゆっくり近づいてくる老いと病いと死に寄り添って、忍耐強く生きていくほかはない。死と生に代わって生と老い病と死が緊急の課題になってきたのである。生老病死観にもとづく新しい人生モデルが必要になってきたということだ。
ブッダの人生80年が、にわかに生き生きした表情を取り戻して浮上してきたのである。ブッダの人生もわれわれの人生も、歳月の長さという点からすれば、同じ土俵の上で共存しているではないか。ブッダの人生こそ、この人生80年、90年時代を生きるための、もっとも鮮やかな人生モデルではないか。
ブッダ(2500年もの昔、インドに生まれ、インドに生きた釈迦の事 日本ではお釈迦さま、釈尊、釈迦無尼、ブッダなどと呼ばれていますが、インドや世界各国では大方、ブッダと呼ばれます。ブッダとは、インドの言語で「悟れる者」という意味です。釈迦の名前はゴータマ・ シッダルダだったので、ゴータマ・ シッダルダ・ブッダというのが、一番正式な呼び名でしょう。)

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