2007/6/2

和田神社(和田宮)<2>  史跡散策-兵庫

というわけで「和田神社」の続きです。
できれば先の<1>からお読みください。

「高倉稲荷大明神」を出て本殿に向かう途中に、「馬」の像がありました。
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…ここで、ふと思う…「天御中主大神」の神社が、相馬にあったことを…。
新しいものなので、考えすぎかもしれませんけどね。この馬は別に繋がれていませんしね(^^;
でも「天御中主大神」を祀っている神社は、関西ではあまりないのだそうです。関東に多いんですって。

その手前に、広い敷地を囲まれた中に、注連縄を張った石がありました。
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これは何なのでしょう?
説明書きがありません。由緒書きに見当たらず(買った本は、まだぱらぱらとしか読んでいませんが…)写真も1枚しか撮影していなかったので、確認することもできませんでした…すみません。
注連縄を張られているところから「磐座」なのかもしれません。

さて、本殿です。
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こちらに、先の三神がお祀りされているのですね。

さて、本殿の左手に並ぶお社に向かいます。
向かう途中に、背の低い弁天像がありました。
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その向こうにあるのが「秋葉神社」
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祭神は「佐田比古神(万除の神様)」「忌火産霊神(台所の神様)」「天宇受賣命(芸能の神様)」と書いてありましたが…一瞬「誰これ?」と思いました。
芸能の神だと「アマノウズメ」だと思うし、アマノウズメがいたら「佐田比古神」は「サルタヒコ」なのでしょうね…「忌火産霊神」は?台所?…ってここ「秋葉神社」じゃん〜というわけで「カグツチ」でしょうね。
この三人をこんな字で書いてあるのは初めてです。
この辺りは、港ということもあり、廻船問屋などが沢山あったため、火事除けに建てられたそうです。
とお社にそばにある、ちょっと錆た看板には「猿田彦大神」「天鈿女■」「火之迦具土大神」(■は錆で読めませんでしたが、たぶん「命」だと思います)とありました。お馴染みの感じでちょっとほっとしました。

そのお隣には「宮比社」
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あまり聞いたことがないなぁ〜と説明書きを書きますね
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元々この神社には「宮比講」という崇敬会が組織されていました。
その象徴ともいうべきこの御社には古くより自らが信仰する神様を祀る習慣があり、たくさんの神様がお祀りされています。

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というわけで、その神さまをずらりとご紹介します。
「大宮能■神(和平の神様)」「大山祇神(材木の神様)」「大地主神(土地の神様)」「大黒天(食物の神様)」「毘沙門天(勝負の神様)」「福禄寿(福寿の神様)」「寿老人(長寿の神様)」「布袋(円満の神様)」
…七福神の5人がこちらに…あとの二人は…って、本殿じゃん!って一人つっこみをしてしまいました…。
こちらの敷地に、鳥居に掲げられているはずの額がありました。
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こちらは、もともと大鳥居にあったものが、阪神大震災で落ちたものだそうです。

そうなんですよね。
ここ和田神社だけでなく、このあたりの散策で、いたるところに震災の傷跡が残っていました。大輪田橋なんて、たもとにくずれた欄干が転がっていたのです。
社寺の境内には、崩れた石燈籠が積み上げられた場所がありました。
もちろん、「和田神社」内にもそんな場所がありました。
あれから、もうずいぶんとたつというのに、まだまだそんな風に残っているのだなぁ…と思い、ちょっと苦しくなりました。
ずいぶんたつ…といいましたが、あれを京都で経験したわたしは、今でも鮮明にあの朝のことは思い出しますし、その日一日の驚愕する現実も忘れられませんもの。京都は、ほとんど無傷でしたし、わたしもまったく被害を感じることはありませんでしたが…まわりには、いろいろありましたから…。

そんなしめっぽい話しはしないで、せっかく「だんじり祭り」の日に来たのですから、だんじり祭りのお話を書いておこうかと思います。
さっき子供が言っていたので、わたしの中ではすっかり「蛇のお祭り」というイメージしかありませんが…(笑

昭和59年までは、5月22日・23日に行われていたそうですが、現在は5月2日・3日になったそうです。
戦前までは、22日に渡御、23日は地車の曳き回しが行われていたとか。

渡御の行列は、まず「天狗」が先導するそうです。
赤い衣装で金色の矛をつき天狗の面を額の上につけて、ゆったりと六法を踏んで歩み、次いで太鼓、提灯、旗などと続き、白木の御鳳輦が白丁に担がれ、その後には仕丁に馬の轡をとらせて宮司さんが緋の直衣に冠を付け馬上に、更に弥宜の方々、挟箱を担いだ白丁が二人、次が紋付の羽織袴で頭に麦藁帽(カンカン帽)を被った氏子さんや世話役、手に手元を白紙で巻いた三尺ほどの篠竹を持って従い、舁神輿が続く。
というようなことが「神戸史談」に書いてありました。
カンカン帽というのは、もとは桧笠だったのだろうとも。
神輿の前には、担ぎ手と同じ衣装の子供たちが、日の丸の扇をもって、暴れている神輿に声をかけます。
「鎮めましょう、鎮めてー」すると相手は
「ソレヤ良―イ」と答え、さらに
「そこでようエー、納めて、納めてエー」と呼びかけると
「ソレヤヨイヤサア」で棒を肩からはずし、地面に降ろして休むのだそうです。
そうすると、近隣の氏子さんたちは、担ぎ手の若者に祝儀の花を贈ります。若者の一人が持つ葉枝のついた真竹の枝に、三角形に折った半紙に小さく氏子名を書いたものを、紙縒りで結びつける。
そんな休憩の時、子供の中から二人が進み出て扇をかざし、「日出度の若松さまよ」と神輿歌を詠い出す。
そうすると、担ぎ手は一整に立ち上がり、両手を高く上げ手拍子をとり「ソリヤ枝も栄えて葉も茂る、葉も茂る。千代の神いさめ」と囃し終わり「ソレサ、シヤントセエー」と神輿を頭上に捧げる。

そんな記述を興味深く読みました。
「だんじり祭り」に行った…とあっても、祭りを見に行ったわけでもなかったので、そんなに詳しく見ていませんし、神輿に出会ったのは「兵庫大仏」の前で、歌手が神輿で歌っている姿だけでしたから、現在はどのように行われているのかはわかりませんが…。
とりあえず、天狗が先導するというのにひっかかり、白い紙で巻いた竹を持つあたりとか…。笠を被るとか…。
春の祭りだけあって、花鎮めとすれば、先日ブログでも書きました「やすらい祭り」を思わせます。「鎮めましょー」という呼び声にも、そんな意味があるのでしょうね。

ついでに、由緒書きにあったその他のお祭りですが、夏のお祭りとして「ゆかた祭り」というのがあるそうです。
6月30日、7月1日…といえば、もちろん「茅の輪くぐり」ですね。
昔は「影向の祭」と言われていて、7月23日に行われていて、湯立の舞が奉納されていたとか。
「ゆかた祭り」の由来は、老若男女がゆかたを着て参拝するので、そう呼ばれているともありました。

秋には「甘酒祭」
11月2日・3日にあるそうです。昔は11月23日にあったとか。
氏子さんが、それぞれの家で甘酒を作り、これを神前に供えるのだそうです。
このあたりでは、毎年、新米の変わり「甘酒」を神前にお供えしてきたということで、翌日には、お供えされた「甘酒」を参列者にふるまわれるのだそうです。
新米でなく、甘酒というあたり、やはり「蛇」っぽいですね。
「三輪山」でも、山のあちこちの岩にお酒をかけるとか聞いたことがあります。
ヤマタノオロチも酒好きという設定があったと思います。蛇の神さんは、酒と女好きなのです(笑

もともとわたしは、日本の神さんの最も古い形が「蛇」ではないかと思っています。
いろいろ調べると、必ず「蛇」と、あと「鉄」にたどりついてしまいます。
自分がそんなふうに思っているから、それについての資料ばかりに目がいって、そうだ!と思いこんでいるだけかもしれませんが…。
ですが、やはり「蛇」への信仰は、古くからあったように思うのです。それは「古事記」や「日本書記」ができるより、はるかにず〜っと前から。
この「和田神社」も古くから謂われのある感じがします。
弁天様もまた、時々白い蛇の姿で現されることがあります。
入道相国も、それを知りながら、こちらに七つもの弁天様を配置されたのかなぁ?などと思いながら「和田神社」を後にして、お隣の「三石神社」も訪ねてみました。
ですが、これはまた次のブログで…(^^;
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タグ: 歴史 神社



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