2006/11/18

目白界隈散策1  史跡散策-東京

とりえず、近場から…と、目白に向かうことにしました。
地図を眺めていると、気になる場所もいくつかあるので、目白界隈を散策することにしました。
いやぁ…もう、縁起抄なんか沢山いただきまして、豊作♪豊作♪の1日。
気がついたら、なんだか帰りは「巣鴨」から山手に乗っておりました…。
さて、そのレポートですが、ちょっと長いです。たぶん3部作になるかと…(笑

まずは、目的の【目白不動尊】から。

山手線の目白駅下車、学習院大学のそばを通って向かいます。
そういえば、昔、知り合いのお兄さんが学習院に通っていて、構内にピラミッド型の校舎があると言っていた。でも、お墓で授業をするのはいかがなものかということになり、なくなるんだよ…と話してくれたことを思い出しました。
当時は、ピラミッド=お墓という概念だったのですね。今は、あまりお墓という概念を持っている人少ないと思いますが…。
あのお兄さんは、今頃どうされているのでしょうか…。
そんなことを思いながら、歩いていると、右手に目的の目白不動尊のある『金乗院』が見えてきました。

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こじんまりした、綺麗なお寺さんです。
『金乗院』は、神霊山金乗院慈眼寺と称され、開山永順法印が本尊観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが草創とされています。
はじめは蓮花山金乗院と称し、中野宝仙寺末だったそうですが、のちに神霊山金乗院と改め、大本山護国寺末となったそうです。
また、このあたり旧砂利場村と言ったそうで、このあたりの社地社、四ヶ所ともみんな金乗院の別当なのだそうです。特に、此花咲耶姫社の別当として名高い…と書いてあります。
はぁ?此花咲耶姫ぇ???
そのお社はどこに???
ちなみに、こちら、江戸三十三観音霊場第十四番札所でございます。さらに、弘法大師御府内霊場三十八番札所でもあります。
でも、わたしが御朱印をお願いしたら、
「お不動さんね」と言われた…。何故わかってしまったのだろう…。
と、金乗院の説明ばかりしていてもしょうがない気がしたので、ここでお不動さんの方のお話を…。
昔は、東豊山浄滝院新長谷寺と号し、金乗院より東へ約1kmほどの文京区関口駒井町にあったそうです。
昭和20年の戦火で焼失したため、こちらと合併したとか。
新長谷寺というだけに、奈良の長谷寺の末です。
このお不動さんは、弘法大師作と伝えられているそうですが、お姿は拝見できませんでした。
断臂不動明王(だんぴふどうみょうおう)と言うのだそうです。
ちょっと血なまぐさいのです。
弘法さんが、唐より帰国して、羽州…今の山形・秋田県ですが、湯殿山に参篭されたとき、大日如来が忽然と不動明王のお姿になり(不動明王は、大日如来の憤怒の姿と言われています)、滝の下に現れて、「此の地は諸仏内証秘密の浄土なれば、有為の穢火をきらえり、故に凡夫登山する事かたし、今汝に無漏の浄火をあたうべし」と告げ、持てるところの利剣をもって、自らの左の御臂(おんて)を切られると、霊火が盛んに燃え、仏身にあふれた。大師は、そのお姿を二体刻んで、一体は羽州の荒沢に安置して、もう一つは自分で護持されたとか。それが、今やここにあるというのです。
この断臂不動明王に、目白という号を贈ったのは、三代将軍家光。五色不動尊の1つとなったわけです。

と…縁起のお話は、このへんで…。境内散策です。
とにかくね!猿なんですよ!
猿がいっぱいいます!
ようするに、庚申信仰でございます。
昔、何かの本で読んだぞぉ〜〜〜〜(¬¬;
庚申信仰と、妙見信仰はほぼイコールみたいなもんだって…。
庚申信仰って、あまりよくわかっていないんですよね。どんな本にも、詳しくはわかってない…みたいな書き方しかしていませんし。
以前、このブログでも、「江古田の庚申塚」紹介で、ちょっと書いてますし、ここでは割愛して…。
それにですね、ここに、ちょっとかわった庚申塔があったので、お写真です。

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こちら「倶利伽羅不動庚申」と書いてあります。
倶利伽羅竜王と、不動さんと、庚申信仰が、ごちゃっとあります。
寛文6(1666)年に建てられたものだそうで、お不動さんの法形を現した庚申塔なのだそうですが、それ以外はよくわかってないとか…。
いやぁ…やっぱり庚申信仰そのものがよくわからないんじゃないのでしょうか?

ただ気になるのは、家光の代で、天海が設置した五色不動尊。
天海→天台宗→妙見信仰→庚申塔…。
な〜んて連想しながら、境内を散策。不動堂のふもとにも、2つの庚申塔。さらに墓地へ向かう途中にも、庚申塔がいくつか…。

こちらの墓地には、日本初の図書館を作った「青柳文蔵」のお墓があります。
さすがに、歴史に弱いわたしでも、青柳文庫って聞いたことありますよ。
墓地に入ってすぐのところにありました。
もう一つ「丸橋忠弥」の墓もあるそうですが、こちら場所の確認ができませんでした。…墓地の中、道が狭くて、人様のお墓を歩いている感覚にちょっと嫌な感じがしてやめました。こういう感覚になるときは、やめた方がいい。わたしはいつも自分の直感で行動しています。とりあえず間違ってないと思っています。
ですので、墓地は発見できず…。しかも、わたし「丸橋忠弥」って人しらなくて…。
「ま、いっか…」
となってしまったわけです。
うちに帰ってしらべたらば、慶安4(1651)年に由井正雪と幕府顛覆を企てたが、捕われて鈴ヶ森で磔刑されたのだとか。長曽我部秦氏だったとか…。出たよ…秦氏…。
処刑後、一族によって紀州にいったん埋葬され、安永9(1780)にここ金乗院に移して墓碑を建てたそうです。

なんかね…これまたどこかで読んだ記憶があるのですが、この先の早稲田のあたりって、昔、処刑場だったそうですよ…。

あと、面白いものがありました。

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寛政12(1800)に建てられたらしい「鍔塚」です。
刀剣の供養塔だそうです。
なんで、こんなものが、ここにあるのでしょうね…。そこまでは書いてありませんでした。

さてさて…。
目白不動尊を後にしたわたしは、そのまま新目白通りまで出ようと歩きます。
その途中に『南蔵院』というのがあります。

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一般公開はしてない感じで、お墓参りの方以外は御遠慮ください…というようなことが書いてありました。
真言宗豊山派、山号を大鏡山薬師寺。総本山は、やっぱり奈良の長谷寺。本尊は薬師如来。
入口に「名作怪談乳房榎ゆかりの地」とありました。
あと、わたしが反応してしまっただけなのですが…(笑、この本尊の薬師如来は、奥州藤原秀衡の持仏だったそうです。秀衡さんって、義経の…あのお方です(^^)
境内には、彰義隊の首塚や、山吹の里の弁財天の石碑、そしてまたもや庚申塔。
ここでも猿か!!Σ( ̄■ ̄;

そして、このちょっと先、ほぼ向かいに『氷川神社』があります。

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もちろん、埼玉大宮の一の宮である氷川神社の分霊でございます。
祭神は、素盞鳴命、奇稲田姫命、大巳貴命で、こちらの神社には在原業平も参拝しているんですって。
江戸時代には「氷川大明神」と呼ばれ、豊島区高田・雑司ヶ谷・目白の総鎮守だったとか。
また、こちらは素盞鳴命を主神として祀っていることから「男体の宮」と言われていて、今の新宿区下落合にある「氷川神社」は奇稲田姫命を主神として祀っていて「女体の宮」と言われて、合わせて「夫婦の宮」と言われていたとか。
今は、境内に「神明神社」「高田姫稲荷神社」「道祖神社」もあるとか。
また、弓矢で的を射って、災難除けを祈願する「御奉射祭」(おびしゃさい)というのが江戸時代より行われているそうで、今は成人の日に行っているとか。
気になったのは、手水舎の手前に、小さな石碑が左右にあって、手水舎向かって右手に「砂利場」、左手に「砂楽連」と書いてありました。
右手の「砂利場」は、もともとこのへん「砂利場町」といったと…先の目白不動尊のところで書きましたから、なんとなくわかったのですが、「砂楽連」って何でしょうね。

そして、またしても、この向かいあたりに猿ですよ!
なんなんですか!この辺りは!

この後、面影橋を渡り、新目白通り沿いを東に進みます。
ちょっとその前に、この「面影橋」のことも書いておきますね。
鎌倉街道沿いにあった橋で、「姿見の橋」とも言われていたそうです。
名前の由来は諸説あるようですが、ここでも登場する在原業平さんが、鏡のような水面に姿を映したためという説、三代将軍家光が、鷹狩に来て、このあたりで鷹を見つけたという説。(この辺りは鷹狩の場だったそうです)。このあたりに住んでいた和田靭負(わだゆきえ)の娘・於戸姫(おとひめ)が数々起こった悲劇を嘆き身を投げた時に歌った歌からきているという説。…数々起こった悲劇って何でしょうね…。

さて、続きは長いので、いったんここで切りますね…(^^;
いやぁ…ホントに今日、けっこうまわったんです…。
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