栗駒山麓広域たんぽぽ村、、、は、、、こちら、、から、、 栗駒山麓広域たんぽぽは、、、  たんぽぽ村民100名募集と、、  特産100品運動を推進いたします。        入村無料かだれーー

2012/10/5

説明かい、、とは  お知らせ

シリア体験談があるよーー
 元祖青年海外協力隊員、渡辺写真館さん
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本日の酒地蔵旅は、、院内銀山からはじまる。
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銀山最初のお寺跡にて
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1606年代〜採掘が始まり、多い時は3万人が暮らし
 にぎわつて居た。
その1650年代に、、地蔵茶屋という、歩空店主の先祖が営む店には、役人、酒屋問屋、小間物屋、炭商人、両替屋、寺子屋もどき、渡り唄い人、担ぎくすり屋
 隠れキリシタン、ヤクザ崩れ、置屋の手配使、などなどが
 集う店であつたらしい。
 当時もあやし過ぎて近寄り難い存在であるが、、なぜか、、たどると
 地蔵茶屋に行き着くのである。
 熱帯亜細亜楽園酒家物語、、、小説の始まりである。
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異人館跡に鎮座する、、酒地蔵、当時も、今と変わらぬ、飲食
 をしていたらしい、魚も山を越え日本海から届けられ
 鮮度もよかつたらしい、
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        楽しくてやめられない 天保年間に銀山ではやる、
  
      のどにしみる白酒今日も一堀おえて
      地蔵茶屋に集う 楽しくて楽しくて」
      とても、抜け出せない、
      この楽しみは 誰にも教えない

      貯めた銀貨はふくれ
      亜細亜に渡る朱印船の
      乗船券が手に入る
      楽しくて楽しくて、とても
      教えたくない
      限りアル人生を
      楽しみ暮らすのさ   
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院内銀山は慶長11年(1,606年)村山宗兵衛はか3名によって発見されたわが国有数の銀山で、佐竹藩の重要な財源の山であり、同時に天下の御役山としても幕府におおいに重要視された。
元和3年(1,617年)中、すでに1,300戸、7,100人余りの大集落地となり、年々の産銀額も増大し、諸国より遊芸人・文化人も多数入り込み「出羽の都」とまで言われる繁栄を示した。
しかし、良鉱のみを採掘したため一時不況となったが、幸い文化4年(1,807年)より銀山ふたたび大直りとなり、藩においても直営として積極的に援助した結果、天保の頃は発見当初に劣らぬ大銀山となった。特に天保の中期には「天保の盛り山」と称され、年間約3,800Kgをこえる産銀が、10年以上も続く好況であったと言われている。
当時、戸数4,000戸人口15,000人を数え、久保田城下(今の秋田市)をしのぐ程であった。
明治初年、藩より一時小野組さらに工部省に移され、巨大な投資により近代化された。
明治17年(1,884年)古河市兵衛に払い下げされ、この時期、次第に産銀額が増大し、明治中期には実に年間15トンを産出するわが国第4位の大銀山となった。
その後、銀価の崩落と金本位制等によって鉱況がいちじるしく不良となり、ついに大正9年採掘を停止するに至った。昭和初年深鉱所を設置したが、昭和29年(1,954年)全山休山となり約350年の歴史は終わった。
院内銀山発見から、、1617年には、、ローマで作成された亜細亜地図に所在が明記されている
日本のシルバーラツシュとも言える、
1978年8月23日〜2日ほど、ゴールドラツシュの街、ドーソンシテーに俺はいた、
60歳を向かえ、こんな身近に、地旅元祖があるではないか、気ずくには、、それなりの
 時間と夢と旅がおしえてくれている気がする、


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2012/10/8  20:52

投稿者:フォトスタジオ ワタナベ

ご来店、ありがとうございました。
院内銀山と歩空さんの深い縁に驚きました。
銀山の栄華を誇りにしたいですね。
同時に、3万の町も廃れれば、ただの野山。
厳しいです!

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