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2005/12/18

綱吉くん  映画・音楽

大奥を見てしまったので、思わず綱吉くんを調べてしまった。
(史実の方ね)

ぎゃーーーー、何コレ、面白すぎる!!!

とくに柳沢吉保については、

また、一説に吉保は甲府に百万石の領地を綱吉から賜らんと企てて、吉保の側室になってからも綱吉の寝所に召されることの多かった染子を通じてこれを願い出た。綱吉はこれを快諾するも、まもなく綱吉は病死し、このことは沙汰止みとなった。しかし、このようなことがまた起こることを憂慮した幕閣は、これ以降、将軍が大奥に泊まる際には、同衾する女性とは別に大奥の女性を二名、将軍の寝所に泊まらせ、彼女等に寝ずの番をさせ、その夜に何が起こったのかを尽く報告させることとした。この事は、江戸幕府が滅亡するまで続けられた。

江戸時代が終わるまで、他人に見られてたなんて・・・

あと、「玉の輿」という言葉の由来は、綱吉の母、桂昌院の生い立ちが元できてるそうな。
→桂昌院の元々の名前は「お玉」。お玉は家光の側室でありながら身分が低かったので、息子が将軍になっと同時で大奥で権力を振るい、当時の女性にして、最高の位にもついた

まゆげのない人(ゴメン!小池栄子ちゃんでした)=おでん。
将軍の子どもを生みながら、長男(徳松)は幼くして亡くなったのだっけど、「七五三」という言葉は、徳松の成長を祈願しての始まりだったそうだが・・・肝心の徳松が5才で亡くなったのは、皮肉ですな。。
それと、徳松のお姉ちゃん、鶴姫も、親戚の徳川家に嫁ぐのだけど、夫と共に若くして亡くなるのだそうです。(天然痘だったらしい)
子どもに先立たれ、夫にも先立たれる、おでんさんは、80過ぎまで生きますが、想像以上に過酷な人生だったかもしれません。

あと、面白いエピソード2つ。
正室の信子さん

宝永6年(1709年)、夫・綱吉の死から一月も経たないうちに死去。享年59。そのあまりに急な死に、実は綱吉は継嗣問題を巡って信子と御年寄女中の手によって殺害され、信子はその後自害したという逸話も残っている。

ありそうな話だなーーーーー。

それと、極み付け

「大樹寺に収められている歴代将軍の位牌は、将軍の身長にあわせて作られている」という説があり、そこから「身長が130センチ強しかなかった」という『低身長症説』が出てきている。
更に異説として、綱吉はバイセクシャルであり、吉保に命じて少年を送り込ませ男色を楽しんだともいう。


はっはっは、一部で盛り上がりそうだ・・・(爆)

安子は実在だけど、お母さんの阿久利と共に綱吉君の「お手つき」になったという話は、逸話だそうな。ちょっと残念。
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2005/12/18  23:28

投稿者:みぽ

>ミカンちゃん
面白いよね〜〜〜!
もうっ、はじめっから見とけばよかった〜〜!!!
今更ながら、後悔です・・・。
こういうの調べるの大好きです。

学校の歴史は、はしょってるから、必要最低限のこ
としか教えないよね。もったいないなぁ。
あと、今の時代劇も、「男の生き様」とか「友情」
とか「正義」とかが大きいよねぇ。
私、小さい頃は「水戸黄門」と「大岡越前」をずー
と見せられて嫌気がさしました・・・(*_*)

2005/12/18  21:48

投稿者:ミカン

ミカンも「大奥」のハマリまくりです。
でも良く調べたね〜〜。
感心しちゃいました(^▽^)
「歴史」も目線を変えると
本当に面白いよね〜〜〜
こんな風に学校で教えてくれたら
「歴史嫌い」も減るんじゃないかなぁ〜〜〜?
あははっ。

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