川越祭りの続きです。
氷川神社から本川越駅方面に戻るように蔵造りの町並みを通りますと
「連雀町」の信号近くに「熊野神社」があり、他にも数社あります。
熊野神社 御由緒
通称「おくまんさま」
当社は開運、縁結びの神として信仰されています。
御祭神
御祭神は熊野大神で
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
事解之男尊(ことさかのおのみこと)
速玉之男尊(はやたまのおのみこと)
の御三神です。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊は
一番最初に出てくる夫婦の神様です。
多くの国生みをなされたほか、
天照大神、須佐之男命など多くの神々の
御親神でもあり、あらゆる命を生み出す
御神徳の高い神として人々に敬われています。
御社紋
三本の足を持つ「八咫烏 (やたがらす)」で
熊野神社のお使いです。
烏は夜明けを呼ぶ鳥、太陽を招く鳥といわれ、
人生の闇に悩む人々を明るい希望の世界に
導く霊鳥として広く信仰されています。
御由緒
当社は天正十八年(千五百九十年)蓮馨寺二世
然誉文応僧正が紀州熊野より勧請したことに始まり
正徳三年(千七百十三年)社殿を改築し鳥居を石造りとしました。
現在ある二の鳥居がそれです。
大鷲神社 御由緒
通称
十二月三日の酉の市は「おとりさま」と呼ばれる。
戦時中は武運長久の神として、現在は、家内安全、商売繁盛
開運の守護神として信仰されている。
御祭神 天之鳥船命(あめのとりふねのみこと)
御由緒
大正十一年、南埼玉群の鷲ノ宮神社の分霊を奉斎したと伝えられている。
初め熊野神社に合祀されたのが、後に流れ造りの社殿を建立し、
遷座祭を執行して末社とした。川越市と、その市民の繁栄のため
毎年、十二月三日に「酉の市」を開催し、大神の福を呼ぶとされる
「稲穂付きの熊手」や「百万両小判」を授かろうと近郷近在より
善男善女が集まり、年毎に益々盛大になっている。
秋葉神社 御由緒
通称「あきはさま」火防(ひよけ)火伏せの神
御祭神 火之迦具土命(ひのかぐつちのみこと)
御由緒
新編武蔵風紀土記稿(江戸時代文化文政年間によれば第十代川越藩主
秋元驚喬房(六万石宝永元、十二、二十五〜正徳四、八、十四)氏により
享保八年(西暦1723年)に造立、秋元氏が蓮馨寺住僧東譽圓悦なる者に儀り
丘を築き勧請させた。昭和三十三年までは、その小丘が残っていた。
嚴島神社 御由緒
通称「べんてんさま」「銭洗弁天」
音楽、福智、延寿、除災、得勝を司る神
御祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
御由緒
鍛治町の名主 中島孝昌著
『武蔵三芳野名勝図会』(享和元年1801年)によれば、その昔は
蓮馨寺南側の旅中にあったが、当時、秋葉神社の西側に移転したと
記されている。よって御由緒は不詳であるが口碑によれば蓮馨寺開祖が
以前より寛池(熊野神社裏より蓮馨寺境内にかけてありと)に鎮座して
いた当社を崇敬し池名寛池を取って寺号となし寛池院としたと言う。
明治二年蓮馨寺境内より遷座して、熊野神社の御末社となった。
加祐稲荷神社 御由緒
通称「おいなりさま」「おいなりさん」
本来は穀物、農業の神であるが現在は産業全般を司る神
御祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
御由緒
『新編武蔵風土記稿』及び『武蔵三芳野名勝図会』に
当社の名は記されているが御由緒は不明。
口碑によれば蓮馨寺開祖以前からあり
此の神を帰信したところ、種々の災厄を免れたことが数多くあった。
ここに於いて偏にこの神が祐社号に冠し崇め来たと言うことである。云々。
其の社号が今なお古い旗に書かれているのが残っていたと言われる。
そのことから室町時代 永禄年間(1558年から1570年)には既に当社は
存在していたことが明らかであると推考できる。明治二年蓮馨寺境内より
遷座して、熊野神社の御末社となった。
川越の町並みは歩いているだけで歴史を感じ楽しいです。
寺院も多いので、お好きな人には堪能できますね^^
まだ続く・・・。

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