勝沼をあとにした私達、
気まぐれに一般道を大月ICまで行くことにしました。
しばらく行くと大月市に入りました。
『特別なもん、無いなぁ・・・』
などと言ううちに看板が・・・
【
三奇橋のひとつ猿橋】とありました。
『やったぁ!』という予感!!
とても立派な木造の橋がかかっていました。
しっかりした作りでしょう?!
橋脚が無いので両岸から四層のはね木で
荷重を支えているんですよ。
部材には屋根が付いていました。
腐食防止策なんですね。
由緒書きには
『
西暦600年頃、百済の人【志羅呼(しらこ)】、この所に至り猿王の藤蔓をよじ、断崖を渡るを見て橋を作る』
とあり、史実の中では1486年2月に
聖護院門跡の道興さんが
この地を通った時に猿橋についての詩文を書いておられるとか
戦国時代も甲州路の要衝として
武田信虎と上杉憲房との合戦の場にもなったとか
江戸時代に入ると幕府直轄工事で
9回の架け替えと10回の修復工事があったそううです。
昭和7年には国の名勝指定を受けましたが、
昭和9年に新猿橋ができると道路としての役割を終えたとのこと!!
交通の要衝であることは、
見える範囲で
4つも橋が見えることから実感できます。
Aが猿橋 木に隠れて見えませんが・・・
気色も素晴らしい
下のほうの橋ですが
水路橋です。
八ツ沢発電所一号水路橋と言われていて
平成9年9月16日に文化財登録されているそうです。
明治42年12月、
東京早稲田変電所への遠距離送電成功により
大規模水力発電所の草分けとなった
駒橋発電所で利用した水を
下流にある上野原八ツ沢地区の発電所で有効利用するために
架けられた水路なんだそうです。
今も水が流れていました。
猿橋から下を見ると、
足に来てしまいますが
素晴らしい景色でした。
高千穂峡に似た感じです。
国道20号が桂川を渡るところにあるのですが、
全然観光化されていません。
一軒だけ昔からあるお店(お食事ができます。
昔は旅館もしておられたとか)があるだけなんです。
駐車場も小さいし
日本三奇橋とは「
岩国の錦帯橋」「
木曽の棧(かけはし)」
そしてこの「
甲斐の猿橋」だそうです。
安藤広重の「
甲陽猿橋の図」も有名なんですって!!!
知らなかった・・・・もっと宣伝したりしても良さそうなんですけどねぇ・・・



一般道で
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