琵琶湖の北に位置する己高山(こだかみやま)を背にした木之本町古橋地区は、かつては一大仏教文化圏だったとのこと。
今その当時の面影はないが、時代の荒波を乗り越えてきた仏像たちが、収蔵庫の「己高閣」(ここうかく)「世代閣」(よしろかく)などで保存され、鶏足寺(けいそくじ)をはじめとする、幾つかの寺院跡なども点在している。
古橋地区は、戸数にしてわずか100戸あまりなのに、境内はもちろん周辺の散策路が村人達の手で気持ち良く整備され、畑には野菜はもちろんハーブさえも栽培されていた。
このハーブは、近くにある宿泊施設を兼ねたお休み処「己高庵」の薬草風呂にも使われているから、いわば自給自足の形態なのだろう。
そういえば、わずかばかりだが茶畑も見られ、今も使われているのだろうか?懐かしい炭焼き小屋までもがあった。
紅葉シーズンが終わってしまったからか、訪れる人は少なかったが、冬に備え、お堂の周りに雪避けのためのビニールシートをかけたりと、村人たちが忙しそうにしている。
この地区には、60歳からの5年間、ここに古くから伝わる仏像たちの守り役になる取り決めがあり、生活全てに優先してその役目を果たすというから驚いてしまった。
そんな熱意に動かされ、以前この地区の十二神将の修復に携わった佛師・渡邊勢山さんが、残されたお堂の一つの大日堂に鎮座する「大日如来像」に、宝冠をプレゼントをするというので同行させてもらった。
実は、この如来さんの宝冠はいつの頃か紛失し、長い年月を経て髷も磨耗し尖ってしまったので、「この仏さん角はえてるで」などとの声も聞かれたとか。
さぞかし美しかったであろう大日さんは、金箔も剥がれ痛々しいお姿だ。
宝冠の取り付けは、大日さんのお体を傷つけないよう細心の注意をはらって進められた。長い年月を経たためか、ゆがんでしまった頭部に合わせ宝冠が削られ、微調整がようやく終わり取り付けも無事終了。
像が造顕された時代に合わせ、古色が施されたりっぱな宝冠がとても良くなじみ、大日さんも嬉しそうだ。
「古仏を守る」ためといっても大変な苦労があるのだろうに・・・。
それを「役目」として淡々とこなし、次世代につなげて行く。そんな姿を垣間見たことで、今の世の中で忘れ去られがちな、とても大切な事を教えられたように思う。
日本海側の気候の影響だろうか。天気が変りやすいというこの地だそうだが、穏やかな冬晴れに加え、宝冠を着けた大日さんを見る嬉しそうな村人のお陰で心までが温められたような気分だ。
そういえば、以前訪れた紅葉の時期もそれはそれは美しく、その景色は今も心に焼きついている。
関が原の戦いに破れた石田光成が、身を隠したという伝説が残されているこの地と、歴史の大舞台となった琵琶湖周辺の魅力に心惹かれた一日だった。