2015/9/26

相互理解  独り言

30代の頃は、それほど相手に対して、「自分を理解してほしい」と思ったり、相手が自分を理解してくれない事に対して憤りを感じたり、精神的負担を感じる事はあまりなかった。

それが、40代になってから急に、そういう事が増え始めた。「自分を理解してほしい」という気持ちはエゴだとも思う。自分自身の中に変化が有り、エゴが強くなってきているから、そういう現象が増えているのか?それとも、社会そのものが変化してきているのか?それは分からない。

もちろん、相手の立場に立って考えれば、「そりゃ、仕方無いよな。」と受け入れられる事も有る。そういう場合は受け流せても、相手の立場に立って考えてみても、どう考えてもそれは、相手が自分勝手なのではないか?というシーンが時々ある。しかも、そういう場合は、かなりの精神的負担を強いられる。

夫婦同士、親子でも、お互い心底理解し合うというのは難しい。赤の他人であれば、もちろんそれ以上だとは思う。でも、中国に諺に、「遠い親戚より近い友人」という言い方もあって、血縁関係で相互理解の深さが決まるわけでもない。

以前は、孔子の言葉の中に、「相手が自分を理解してくれないからと言って、苦しむのは君子ではない」という言葉に感銘を受けていた。でも、最近私は、非常にふてくされた態度で、「いいよ、どうせ私は君子じゃないんだから。」と、こう思ってしまうのだ。

例えば、政治を見ても、私が幼少の頃は、5,6種類の政党しか無かったと思う。ところが今は、分裂だとか、合併だとかを繰返し、十以上の政党が有り、”政策の多様化”なのか、エゴを追求する結果、人間関係の善し悪しでできている集団なのか、よく分からない。

こちらがどんなに努力しても、一旦壊れた人間関係を修復できない場合も多い。こちらが、どんなに誠意を持ってしても、一旦壊れたらもう終わり・・・という相手がよくいる。本当に不思議だと思う。そこまで、人間としての相手を拒否する心というのは、どこから生まれるのだろうか?

例えば、私に非があったとして、それを認め、謝っても許さない人もいる。私に非はなくて、誤解で問題が起きた場合もあり、それを説明しようとするが、説明さえ受け入れない人もいる。こういう人たちというのは、この社会の中、どう生きていかれるのか?そんな人たちの方が、声高にこの世の中に警笛を鳴らしながら、正当性を訴えて社会の真ん中を堂々と突き進んでいるように感じる。

やさしい方が負け。譲った方が負け。負けたら黙っているしかない。負けるが勝ち・・・の社会。私は、エゴの為に人を傷つける事を平気でする強さはいらない。そんな強さを持つ人間にはなりたくない。
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2015/9/30  11:45

投稿者:老板娘

妙子さま
そうですね。距離を置く・・・というか、二度と関係を持たないように永遠に離れるようにする(笑)というような(あはは)、変な表現ですが。

同じ人間として生まれ、小学生、中学生の頃は、一緒に学校で学ぶ事ができた人間同士です。「万人と付き合う」という意味では、子どもはそれができるような気がします。もちろん、小学生、中学生の時でも、子ども同士の喧嘩はします。でも、大人になると、単なる喧嘩で済まない・・・というのは、どういう事なのだろうか、と理解に苦しむのです。

喧嘩というより、お互い「正義」のぶつかり合いなのでしょうか?みんな、自分が正しいと思っていますからね。そして、その「自分にとっての正義」が通じない相手にぶつかると、大変な事に発展してしまう。

昔から、人間はこの繰返しなのでしょうか?本当に不思議です。みんな、子どもの頃の心に戻れたらいいですが、それはあまりにも幼稚な考えなのですね。

2015/9/30  7:13

投稿者:妙子

人生は悲喜こもごも、生きていたらいろんなことに遭遇しますね。悩ましいですよね。
理解しあえない人間関係では、自分と同じ人間はいないのだから・・・、と思うことも多いです。
理を尽くして語り合い、お互いに理解を深めることは大切ですが、相手がそれを受け入れないなら、そういう人同士は距離をおいた方がいいのです。
感情的になりやすいとき、特にそうです。万人と付き合えるわけではありませんから。
少し距離を置いて付き合っていくのが、どんな人間関係でも大事な作法ではないでしょうか。
夫婦であれ、親子であれ、友人であれ・・です。

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