2008/2/27
楯ヶ崎半島をボルダリングした男 マーシーのシビれたライン

レリーフのボルダー

釣師のテラス
ここ楯ヶ崎には、岩資源は無限にある。
それにあわせて、ここでのクライミングの表現方法も亦た無限にある。
それ故に個々人に、自分のすることにリスクと責任が課せられる。

昔、この半島をただ純粋にボルダリングした男がいた。
俺やつよつよや原さんはその目撃者である。
昔も今も、実績主義の人は多くいるが、クライミング界もまた然りだ。
そんな浮世との係わりを気にせず、自分のクライミングをやり続ける人がある。
雑誌には載らないことで、
中央で話題に上がらないところで、
人に多くの影響を与える事をやってのける人は、実はごく身近に居たりするのである。
オータはん。(勝手に名前出してごめん)
強烈な魅力と個性を、人間の形に固めた男。
俺はオータはんから、
以前から色々な誘いを受けていた。
その時は、この半島を別々のラインで一緒にボルダリングして頂上で落ち合おうということだった。
勿論俺も考えた。
でも答えは「否」だった。恐いと思ったからだった。
取り付きまで一緒に行き、ラインを教えてもらって、別れた。
俺達は対岸の高台に上がって、その様子を見ることにした。
対岸にわたり振りかえると、
俺達が見物に入るのを待たず、既に彼は登り始めていた。
楯ヶ崎特有の柱状節理のブロックを、躊躇することなく、攀じってはマントルを反すを繰り返していた。
太平洋の大きな空、黒潮のぶつかる大きな岩塊、そんな中に小さくうごめく極一点。
動物のようと言ってもよいか。その姿は完全に自然の一部となっていた。
いや寧ろ、そうでなければ、ならなかった。
もしその一個の個体が自然の一部となっていなければ、浮いた存在になってしまっていれば、それはもはや緊急事態であるといえよう。
よどみなく動く彼の姿は、数十メートルの岩帯を過ぎ、やがて上部の密林に消えていった。
程なくしてカチドキなるいつものオータ叫びが、潮風に乗って聞こえてきた。
俺達は、ただ目の前で起きたことを力無く笑って見ているしかなかった。
フリークライミングとかいって、
ただ俺は、実は不自由な自分を感じずには居れなかった。
おしなべて、クライミングをする理由は、自己の固定観念の打破である。
そういうことを、クライミングを通して自分を磨いていけるなんて、素晴らしいことだと思う。
なのに、結果うまくやれているとはとても言えない。
俺には、これは出来ない。もっと若い時だったら、恐いもの知らずでやったかもしれない。だが今となっては、こんなことはできない。
不自由な自分。守りの自分。
完全な自己のコントロールと云えば、
ちょっとしたハイボルダーのある課題に、初登がかかった時、俺がオータはんの前で、
「次は気合いであそこを越えたるわ」と言ったのを、
訝しげに俺の顔をのぞき見ながらこう返したのだ。
「俺は気合いでなんかでよう登らんで」
全くその通りで返す言葉もなかったのだが、その時は結局それで登ってしまったのだった。
なんとも自分の不確実さたるや。
完全な自己のコントロール。
俺にはまだまだ、届かぬ境地だ。

2008/3/1 18:28
投稿者:薮から男
2008/3/1 17:48
投稿者:ぷまん
それをいえば、藪からさんたちも凄いなあって思いますよ。やってること違うても、さりげなく、自分らしいこと追及されているのはかわらないですからね。
2008/3/1 13:47
投稿者:薮から男
誰の目にも止まらず誰の目も気にすることなく自分の思うがままに・・・でもそれは本人にとってはそんなに特別なことでもない・・・
カッコ良すぎ!です
カッコ良すぎ!です
でもなんと言ってもぷーまんの笑顔がサイコーです!(マジで!でも全くそちらの気はありませんので誤解しないで下さい・笑)