2007/10/16

今生の別  日々

会津若松で、
ツアーの最中で、祖父の死の知らせを受けた。

おきよの友人の結婚式が終わって、再び長い道のりで帰路についた。

何とか葬式には間に合った。

この日が来ることは、分かっていた。だから、悲しみに暮れるというのでもない。

しかし、いざ目の前にすると、涙が止まらなかった。




祖父や祖母の時代は、僕達が、うまく想像しかねる程に理不尽なことの多い時代でもあった。

戦役で、多くの人々の人生が、かき乱された。

わが伊丹鈴木家は、戦事中を境に東京の練馬の先祖代々の土地を離れ、関西にやってきた。祖父は長男であったものの、二度目の赤紙がきそうだったので、軍需工場で働くということで、戦時末期の徴兵をまぬがれたのだった。生き残った弟に、正式に練馬の家の家督を譲りそのまま、伊丹に地歩を築き今に至ったのだ。そして、多くの子孫を残したのだ。

身体が弱くなってきた頃から、必要を感じて、度々祖父に昔の事を聞きに行った。

その時代を生きた人は誰でも、激動の人生を歩んできたのだ。
僕たちがいまこうやって生きているのも、はっきりとその恩を受けている結果だ。

衣食住に困難した時代だったのだ。
その後の日本は祖父母や父母の時代で、困難の克服を成し遂げたが、
社会の歪みは正される事は無く、放置されてきたのが現実である。
その責任を彼らの世代に押し付けることは出来ない。
むしろそれは、僕たちの世代が負うべき問題である。

僕たちはいずれ子育てをしていくだろうが、受けた恩を返すのは、われ等や子供の世代だといつも考えている。


僕は、血と家を大事にする。

自分の父や母がどこに代々暮らしてきた家の出のものなのか、妻の家がどんなところに代々暮らしてきた家なのかを、子供に伝えることができる、ぎりぎり最後の世代だと思っている。自分の血は今それと判別できなくとも、父方母方の祖父や祖母の青春時代の苦悩や悲しみや喜び、生まれ育った土地の景色や匂いの記憶が、必ずや組み込まれて流れているのだ。
心静かに思い起こして、それを子供に伝えたい。

それが僕の生を受ける故の責務であると信ずる。
 


祖父は晴れて、伊丹鈴木家のご先祖様となられたのだ。









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