「逝く母と詠んだ53首の短歌」
(歌人・河野裕子さんを悼む)
8月12日に63歳で亡くなった、当代一流の
歌人;河野裕子さんが、癌との闘病生活の中で、
夫の永田和宏さん、娘の永田紅さん(歌人)と交わした
53首の短歌が、
文芸春秋11月号に紹介されている。
筆者は永田紅さん。とてもいい文章だと思い、このブログで紹介する。
私は、この一文を読んで、すごく心のつながった家族だなあと思うとともに、
余分なもを削ぎ落した「三十一文字のうた」が、人間の生死の本質を鋭くえぐりだし、読む人の心を打つのだと思うに至った。
在りし日の河野裕子さん
以下は、
亡くなる前日の河野裕子さんの歌である。この頃は、もうペンは握れなくなっており、
口述筆記だったそうである。
◎あなたの気持がこんなにわかるのに言い残すことの何ぞ少なき(裕子)
◎さみしくてあたたかかりきこの世にて会い得しことを幸せと思ふ(裕子)
昨日の新聞に文藝春秋の広告が載っており、
「家族の看取りの歌集」として紹介されていた。
夫の和宏さんの詠んだ歌である。
◎一日がすぎれば一日減ってゆく君との時間もうすぐ夏至だ(和宏)
裕子さん、最後の歌。弱々しい声をようやく拾って・・。亡くなる前は自宅に帰り、庭の見える自室で亡くなった。
◎手をのべてあなたとあなたに触れたきに 息が足りないこの世の息が(裕子)
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本稿筆者の永田紅さんの近影。
大津市出身。13歳で「塔」入会。97年、第8回歌壇賞。現在京大大学院農学研究科博士課程在学中。毎日歌壇選者の河野裕子さんと歌人・永田和宏さんの長女でもある。
この記事を読んで、人間は、死の瞬間まで、理性も、感性も、人を想う心も、 全てが十分にあることがよく分かった。
当たり前のことかも知れない。
だんだんと意識が薄れていく中で、人は何を考え、感じ、何を望んでいるのか・・それは自分自身で体感するしかないのだろう。
2週間前に、父の今わの際に間に合わず、しっかりと手を握ってあげられなかったことを悔やんでいる。
「人間の生と死」について考えるきっかけになればと思い、ご参考までに紹介した。
全文を読みたいと思われる方は、なりひらのメール・アドレス
pfki34360@leto.eonet.ne.jp にご一報くだされば、
PDFでお送りする。
できれば、この文章を読んだ感想をメールでいただければ幸いである。
【河野裕子さんの代表作】
@たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか(昭和47年)
Aブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶれるごときわが乳房あり(昭和47年)
Bまがなしくいのち二つとなりし身を泉のごとき夜の湯に浸す(昭和51年)
Cしんしんとひとすぢ続く蝉のこゑ産みたる後の薄明に聴こゆ(昭和51年)
Dたつぷりと真水を抱きてしづもれる昏(くら)き器を近江と言へり(昭和55年)
E君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る(昭和55年)
Fしらかみに大き楕円を描きし子は楕円に入りてひとり遊びす(昭和55年)
G暗がりに柱時計の音を聴く月出るまへの七つのしづく(昭和59年))

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