ひとりで死ぬということ
「お迎え現象」A
(緩和ケア医・おひとりさま応援医 奥野滋子)
皆さんの中にも、近親者などの「看取り」を経験された方がおられるだろう。
@「死にたくない」「もっともっと生きたい」と言いながら最期を迎えるのか、A「自分の後を託せる子供も孫もできたし、自分が生きたいように人生を過ごせたのだから、そろそろこの世を旅立とう」と、達観して最期を迎えるのか。
私の場合、これからが修練の毎日です・・。
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《50歳、女性。卵巣がん》
抗がん治療を続けてきたが効果なく、食欲不振、嘔(おう)気・嘔吐、腹痛、全身倦怠感、腹水などの症状が出て、下肢のリンパ浮腫が増悪し、自宅での生活がままならなくなり入院となった。
独身で、有名ブランド店の店長を任され、仕事一途(いちず)の生活を送っていたという。生きがいにしていた仕事を他人に預け、着替えや排せつなども看護師に任せなければならず、介助なしに生活を営むことが困難な状況になって、
「こんな状態が長く続くのなら死んだ方がまし」「人に迷惑をかけてまで生きるのはいや」と言うようになった。
キーパーソンの姉に話を聞いたところ、父親は認知症のため施設に入所中で、面会に行った娘のこともわからない状況ということだった。母親は乳がんが脳に転移し別の病棟に入院中で、病状は厳しいとのことであった。
ある日、「母親が面会に来た」と言う。しかし、周辺でそのような人物を目撃した人はいなかった。数日後のある日の夕方、「母と温泉に行く話をしていた。今帰ったばかり」と話した。
その頃から一人部屋にいて誰かに語りかけている姿が時々見られた。「お母さんを送っていく」と言ってベッドから立ち上がろうとして転倒したこともあった。
まもなくして、別病棟にいた母親が息を引き取ったと、連絡が入った。その後、約1週間で本人も永眠した。
姉は「母と妹は仲が良かったので、一緒に温泉に出かけたのかしら」と語った。
《72歳、男性。膵臓(すいぞう)がん終末期》
妻とは数年前に死別し、独居であった。主治医に積極的ながん治療はないと言われて、自宅で過ごしたいと退院してきた。
週3回程度、片道約1時間をかけて長女が訪ねて来ていたが、彼女は仕事を持っており長居をすることはできず、父親に頼まれた用事を済ませるくらいの時間しかなかった。普段の彼の生活はヘルパー、訪問看護師、訪問診療スタッフ、薬剤師がサポートしていた。
ある日の夕方、トイレで真っ黒の便が大量に出た後、その場に倒れ込んでしまった。いつもと違う様子に、たまたま居合わせた娘は救急車を呼んで病院に担ぎ込んだが、その数時間後に静かに息を引き取った。
父親は徐々に衰えて死んでいくのだろうと思っていた
娘は、予想外の急激な展開に「もっと一緒にいてあげればよかった」とずっと後悔していたという。
死が受け入れられない」と知り合いの僧侶に相談したところ、
「お父さんは先祖の列に入られたのですよ。いなくなってしまったわけではなくて、これからはずっと他のご先祖さんたちと一緒にあなた方を守ってくれるのですよ」と言われ、安堵(あんど)したという。
《死から目を逸らさず今日一日を精いっぱい生きる》
ここに挙げた方々にとって、「お迎え」に訪れる死者たちは必ずしも恐怖の対象ではなかった。
出現のしかたや会話も自然で、恐怖や不安も感じていないように見える場合には、その人のもとに一緒に行きたいという希求と一種の安堵感のようなものが本人には生まれているのかもしれない。
もしそうであるならば、
「お迎え現象」は死の恐怖を乗り越える助けになり得るのかもしれない。
生理的な生には限りがあり、死は必至で不死の願いは叶(かな)えられない。
死が避けられないとすると、生の意味を拡大解釈して死の苦悩を和らげようとする考えが出てくる。つまり死後生を願い、先祖となって家族、イエを守っていく存在となることも生の意味の拡大解釈の一つの形ではないだろうか。
死の時でも先祖は見守ってくれているので、ひとりぼっちの寂しい最期はないと信じることもできるのかもしれない。
ありきたりの話になるかもしれないが、
私たちはいつ最期を迎えるかはわからない。
その時が迫ってから「孤独のうちに死にたくない」、「誰かに看取ってほしい」とジタバタする前に、
死から目を逸(そ)らさず、今のうちから時間を共有できる相手を見つけて共に今日一日を精いっぱい生きる方が、この人生に満足し安心して旅立てるような気がする。
《筆者プロフィール》
奥野 滋子( おくの・しげこ )
1960年、富山県生まれ。緩和ケア医。特定医療法人社団若林会湘南中央病院在宅診療部長。順天堂大学医学部客員准教授。
麻酔・ペインクリニック医から緩和ケア医に転向。ホスピス、緩和ケア病棟、大学病院緩和ケアチームで全人的医療を実践し、約2500人の看取りを経験。
患者からの「死んだらどうなるの」という問いをきっかけに宗教学、死生学を学ぶ必要性を感じ、東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科修士課程を修了。「ひとりで死ぬのだって大丈夫」(朝日新聞出版)、「お迎えされて人は逝く」(ポプラ社)など著書多数。

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