2007/10/5

余命を生きるということ〜渡部成俊(しげとし)さん  日々のよしなしごと

 昔は自らの病気を知らされないまま亡くなる人が殆どだったと思うが、最近は余命宣告を受けて、残された人生を病院のベッドで過ごすのではなく、自分の生きたいように生きる、自分の生を貫き通す生き方を選択する人も少なくないようだ。ここで紹介する渡部成俊(しげとし)氏もそのひとり。

 昨日、偶然夕方のニュースで氏の存在、活動を知った。東京都江戸川区在住の氏は余命宣告を受けた当時、児童生徒の自殺が相次いでいた世相を憂い、ガン末期患者である自らの体験を通して命の尊さを訴えるべく、地域の学校への出前講演を思い立った。その講演の評判は徐々に広がりを見せて、これまで2万人を越える子供達に、氏のメッセージは伝えられて来た。すでに医師が告げた余命を氏は生き延びた。

「私はいじめられて不登校で死にたいと思ったこともあった」
「私は自殺未遂をしたことがあります」
子供達から届く感想文には率直な思いが綴られている。そんな心の痛みを抱えた子供達に、氏の講演は大きな励ましを与えているようだ。と同時に8千通を越える児童生徒からの感想文は、病気の進行が止まらない氏にとって、何よりのカンフル剤となっているようだ。人が人を生かし、また生かされていることを実感させる氏と子供達の関係だと思う。

 しかし氏の癌はもう骨にまで転移して、胸の痛みが止まらない。モルヒネで辛うじてその痛みを緩和させている状態だ。主治医にも入院のタイミング(終末ケア)をいつにするか聞かれるほど。この頃は講演活動も辛くなって来た。それまでマイクも使わず、椅子に腰掛けることもなかったが、とうとうマイクと椅子を用意して貰った。演壇に立つ寸前まで、氏は自分の体力が講演の終わりまで持つかどうか自信がなかった。ところが演壇に立つと、子供達の姿を前にすると、不思議と力が漲ってくる。いつものようにマイクを使うことなく、椅子にへたり込むこともなく、無事講演を終えることができた。終わって帰宅すると、また病魔による苦痛と疲労感が襲って来る。その様子の一部始終がテレビの中で映し出されていた。

 氏は講演のクライマックスで力を振り絞るように声を大にして訴える。

「そんな軽い命なら、私にください!」   

 その叫びを受け止める子供達の顔は真剣そのものだ。自らの死期を知ってからどう生きるのかで、その人の、人としての器が示されるのだろうか。社会的地位も名誉も資産の有無も関係ない。もちろん、誰もが渡部氏のように思い立ってすぐに行動できるものではないだろう。氏は病を得るずっと前からコミュニティで地道にさまざまな活動をして来た人なのだ。その生き様の総決算が、命の尊さを訴える講演活動なのだ。掛け値無しに凄い人だと思う。何だか、先週見た映画の主人公がちっちゃく見えるなあ…

「余命1年半」生の尊さ説く(asahi.com)

命の授業は人生最後の仕事(ヨミウリ)

命の出前講演(ヨミウリ・ジュニア・プレス)




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