2016/11/14

溢れるモノや情報と、私達はどう付き合うか?  はなこ的考察―良いこと探し

 先日、明治神宮外苑で行われたイベント会場で起きた不幸な死亡事故は、火災に遭った展示物を出展した大学生たちの、白熱灯に関する無知が原因であったと特定されつつある。

 息子を見ていても思うのだが、理系の「専門バカ」ぶりは、昔以上に加速しつつあるのかもしれない。あまりにも新旧の技術、モノ、情報が彼らを取り囲んでおり、個人でそのすべてを把握することはほぼ不可能に近いのだ。

 さらにSNSやゲーム等の「時間泥棒」も存在し、時間が幾らあっても足りない。

 よほどの優れた情報処理能力がなければ、これらの厖大な情報を、限られた時間で効率的に処理することなど出来ない。おそらく、自分や息子や夫を含めて大多数の凡庸な人間には、それは無理なことだ。

 だから、上述の事故が発生した、大勢の人が集まる公のイベントなどでは、何人もの人の目を介した多重の安全確認作業が必要である。個人では難しいからチームワークで互いの不足を補いあう。できれば、さまざまな分野のスペシャリストを配して、安全対策に漏れのないようにすることが理想だろう。

 人の生死に関わることとは思いもよらず、当日たまたま思いつきで、その日に限って展示物の内部に設置した白熱灯。おそらく第三者による安全確認は受けていない。

 少なくとも学生の白熱灯の危険性への認識不足と展示形式変更を主催者側へ連絡しなかった思慮不足、そして主催者側の安全管理の不備の3つが重なって、取り返しのつかないことが起きてしまった。

 人ひとりが亡くなって初めて気づくと言う、私達の愚かさ、無知蒙昧ぶりは罪深い。同様のことは過去に何度も繰り返されて来たと思う。

 思うに、失敗をシステマティックに分析し、二度と同じ過ちを繰り返さない方策を考える、畑村洋太郎先生提唱の「失敗学」を、社会でもっと普及させるべきではないか?

【「失敗学」に関するブログ内記事】

「失敗学」を知っていますか?

人間がいる限り事故はなくならない

畑村洋太郎氏からの提言

   
 こういう重大事でなくとも、もっと身近なところで私達のメモリーのオーバーフローは起きている。

 例えば、中高年世代のモバイル機器との付き合い方である。

 電車やバス等の公共交通機関で決まって携帯電話の呼び出し音を鳴らしているのは中高年層である。未だにマナーモードを知らない人もいる。さらにその場で電話に出て、話し始める人までいる。

 昨日は映画館で同様の事態が起きた。まさに映画が上映中の場内で、携帯電話の呼び出し音がしばし鳴り響き(最初は映画の中で鳴っているものと思っていた)、あろうことかその持ち主は電話に出て「今、映画館で映画を見ているところなの。後で電話して」とのたまったのだ。

 感動的なストーリーが展開する中で、作品世界からいきなり現実に引き戻されたような不快感。こんなことはこれまで映画館で何千と映画を見て来て、初めての経験だった。

 新しい商品が出たら、それを社会で円滑に使う為のマナーが、さまざまな軋轢を経て醸成される。そういう社会の動きに多くの中高年層は上手く対応できないでいる。マナーを知ってか知らずか、マナー違反を繰り返して周囲を困惑させる。

 ただし、それを放置している周囲にも責任はある。その場で注意して、マナーを理解させることが大切だ。何度も繰り返し注意されれば、さすがのお年寄りも理解するだろう。

 見ず知らずの他人に注意するのは勇気が要るし、面倒臭いこともでもある。しかし、一事が万事、私達の他者への無関心が、昨今の社会秩序の乱れを生んでいるようにも感じる。

 と思って、件の迷惑な年配の観客を上映終了後注意しようと思ったら、その人はエンドロール開始早々に場内から出て行ってしまった。
 
 見たところ60代と思しき女性、余韻もへったくれもなくそそくさと立ち去って、果たして映画を心から楽しんだのかな?




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