2016/6/21

「ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力」(中央公論新社、2016)  読書記録(本の感想)

クリックすると元のサイズで表示します 私の同世代と言えば、まず思い浮かぶのが歌手の藤井フミヤ氏、ビミョーなところでは元オウム、元アーレフ、現ひかりの輪代表の上祐史浩氏、そして同列に並びたくない人としては、連続幼女誘拐殺人犯の故宮崎勤などがいる。

 所謂「バブル世代」であり、学生時代には「ハマトラ・ファッション」が花盛りで、当時女子大生の間で絶大な人気を誇っていた「JJ」誌の表紙を、女子大生モデルとして賀来千香子さんや黒田知永子さんが飾っていた。

 「バブル世代」と言っても、私は華やかな「バブルの世界」とは無縁だった。就職しても学生時代に借りた奨学金の返済と、実家への仕送り(ボーナスも半分は親に渡していた)で経済的な余裕はなく、やれ豪華ディナーだ、やれ海外旅行だと浮かれる同期を横目に、つましい生活を送っていた(当時は、自分の人生はいつまで実家に振り回されるのだろうとの不安で、将来に明るい展望が見えなかった。結婚して初めて実家の呪縛から解放され、自由になれたと思う。夫には感謝している)

 バブルは東京だけの話かと思っていたが、後で郷里の友人も、当時は毎月のように恋人とホテルのレストランでひとり3万円のディナーを食べていたと聞き、当時は日本各地が狂乱の最中にあったのだと知った。

 それから数年後の1986年に「メンズ・ノンノ」誌が創刊され、その「メンズ・ノンノ」で阿部寛氏と共にモデルを務めていたのが、今回取り上げた「ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力」の著者である俳優の風間トオル氏である(因みに女優の松雪泰子さんは、「第一回メンズノンノ・ガールフレンド」に選出されたのがきっかけで、芸能界にデビューした)

 この風間氏も、紛れもなく私と同世代。

 
 「文は人なり」と言うが、本書は彼の顔がすぐさま頭に思い浮かぶような、普段テレビで見る彼そのままの語り口調で綴られ、サクサクと読み進め易い。

 しかし、内容はけっして軽いものではなく、モデル時代から知られた端正なルックスと、俳優として活躍する現在の落ち着いた佇まいからは想像もつかないほど壮絶な子供時代のことを、風間氏は本書で赤裸々に綴っている。幼子が直面するにはあまりにも過酷な運命の、胸が刺されるようなエピソードの連続である。

 
 幼い頃、相次いで両親に捨てられ、父方の祖父母に育てられた風間氏。乏しい祖父母の年金だけが頼りの極貧生活は、同じく父の長患いでつましい暮らしを強いられた私でさえも驚く内容であった。あまりにも突き抜けたそのビンボーぶりには、驚きを通り越して、笑いさえこみあげてくる。

 尤も、本当は笑うに笑えない壮絶な極貧生活を「ユーモア」に変換しているのは、他ならぬ風間氏の、機知に富んだ、ひとりの人間としての逞しさなのである。

 「いいことも悪いことも過去でしかない。大事なのは今日を生きるために必死になること」(p.34)
 「貧乏ゆえに工夫をして暮らした生活は『目標を達成するための方法はひとつだけではない』という人生哲学を教えてくれました」(p.45)

〜幼くしてそう達観した彼は、困難の中を、彼流のサバイバル精神で生き抜いて来たのだ。

 数多ある人物の苦難を綴った半生記の中でも、本書が白眉なのは、本書を貫いているのが、幼い頃に自分を捨てた両親への恨みつらみではなく、両親に代わって貧しいながらもありったけの愛情を注いでくれた祖父母や、彼を温かく見守り、助けてくれた周囲の人々への感謝の念であること。そこに彼の気高い品性が滲み出ている。

 その彼の品性を育てたのが、基本的に放任主義ながら、要所要所で彼の胸に響いた、祖母の言葉や祖父母の振舞であった。両親が相次いで彼のもとから去った時も、祖父母がこれからどうしようと狼狽するでもなく、彼を不憫に思って甘やかすでもなく、淡々といつも通りの生活を送ったことで、彼は自分の身に起きた(普通ならかなり深刻な)事態に動揺することなく、やり過ごせたようだ。

 祖母は特に「学」や「技能」があるわけでもなく、パチンコで日銭を稼ぐような一介の老婆である。しかし、ちょっと"無茶ぶり"とも言えるアドバイスで(笑)、逞しく生き抜く為の知恵や、人としての心構えを、彼に授けてくれた人であった。

 「男は泣くもんじゃない」
 「(多少のケガは)ツバをつけときゃ治る」
 「出血がひどい時でも、ツバをつけて、心臓より高く手を上げときゃ治る」(←その"教え"のおかげか、或は天賦の賜物か、彼には驚異的な自然治癒力が備わっている)

 街で大きな荷物を持って歩いている女性を見かけると、
 「なぜ男なのに手伝ってやらないんだ」
 「なぜ男なのにドアを開けてやらないんだ」
 「なぜ男なのに順番を譲ろうと考えないんだ」
 とレディーファーストの教えを説いた。
 そこで親切を申し出て、たとえ無視されとしても、
 「そんなことはどうでもいいんだ(感謝されることを期待しない。それが男の優しさと言うものだ)」と、諭してくれた。

 カニの行商人がはるばる来たと聞けば、その苦労話に耳を傾け、お金もないのに全て買い上げてしまう。揚句に、生ものを家族で今日中には食べきれないからと近所に分け与えてしまう。心配する風間少年に、祖母は 「明日は明日。いいの、いいの、なんとかなるから心配しなくても大丈夫!」とあっけらかんと笑う。

 実際、ご近所同士のお裾分けを日々目の当たりにして、彼は「お金は回る。でも本当に回るのはお金ではなく人の情です。人情を持って人と接すれば、人情が返って来るのです。」(p.68)と、人と繋がることの大切さ、人との繋がりさえあれば、人生は何とかなるのだと悟る。

 どうしようもない貧しさの中でも楽観的で、時に豪快で、そして、とびきり情に厚い祖父母から、風間氏はかけがえのない人生訓を学び取ったのだろう。

 後年、風間氏は不思議なめぐり合わせでファッション・モデルとなり、バブル華やかなりし頃はその只中で我を忘れることもあるのだが、祖母の死によって再び原点を思い出す。斯様に祖母が、彼の人生に及ぼした影響は大きい。それが添えられた副題の意味するところなのだろう。

 個人的には「堂々と生きて行こう!」「時々、神様に出会った」「グレない理由」の項が、自分自身の体験と少し重なるところがあり、特に印象的だった。


 このところ巷間を賑わせた舛添要一氏も、北九州の貧しい家の出で何の後ろ盾もなく、その明晰な頭脳だけを武器に、学者を経て、国会議員(厚労相)や都知事にまで這い上がった人である。しかし、貧しさ故に辛酸を舐めた過去のコンプレックスの裏返しなのか、常軌を逸した金銭や社会的地位への執着で、最近の彼の評判はすこぶる悪い。

 多くの一般大衆は彼の社会的成功を妬んで、彼を執拗に非難したわけではなく、さらに今回の彼の転落に「それ見たことか」と溜飲を下げているわけでもないのだろう。大衆の殆どは、ただただ、彼がその成功に見合うだけの品性を備えていなかったことに、がっかりしているだけなのだと思う。少なくとも私はそうだ。

 6月21日付で辞任ながら、21日の日程は全てキャンセルし、20日が実質的に最後の登庁日だった舛添氏は、目に怒りを蓄えた表情で、マスコミから投げかけられた質問にも一切答えず、あれほど連呼していた「説明責任」も果たすことなく、逃げるように足早に都庁を立ち去った。少なくとも2年4カ月間、都政の頂点にいた人としては、無責任な去り方だったと思う。

 あの不機嫌さを隠そうともしない表情・態度からして、自分は悪くない、自分は無理やり都知事から追い落とされたと未だに思っているのだろうなあ。謙虚に自分を省みることの出来ない品性の持ち主には、自分の何がいけないのかが分からないのだろう。

 彼の身近に、そんな彼を諌めたり、教え諭すメンターはいないのだろうか?そして、自らが招いた今回の不遇をただ嘆いて、これから世間を呪い続けるのだろうか?天賦の類まれな頭脳があるのに、勿体ない話である。

 そもそも、彼の上昇志向のモチベーションが、かつて自分を蔑んだ世間を見返す為だったのであれば、彼は政治家になるべきではなかったのだと思う。政治は個人の恨みを晴らす場ではない。


 奇しくも貧しい環境から這い上がって、それぞれの分野で功なり名遂げた2人の人物のあまりにも対照的な現在の姿に、人間の品性がいかにして身に付くのか、磨かれるのか、その難しさを改めて考えさせられた。
 
 本書は文章の巧拙を超えて(プロの書き手ではないのだから、それは当然で…)、著者の力強いメッセージが胸に響く良書だと思う。特に子育て期の親、小中高生等(もちろん、興味を持たれた、それ以外の方々にも!)に是非、読んで貰いたい一冊である。

 「ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力」(中央公論新社、2016)
  1,296円(税込)

       今は亡き"家族"ロコ助六銀之助と共に著者。これまた良い表情…
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