2015/12/18

『わたしはマララ』(原題:He named me Malala、米、2015)  映画(今年公開の映画を中心に)

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 早熟の女性教育普及活動家は、果たして今後、どのような人生を歩むのであろうか…?


 人が真に自律的な人間として自立する為に教育重要である。

 自律的な人間ほど、"衆愚政治を行いたい支配者(為政者)"にとって厄介な存在はない。

 だからこそ、"彼ら"は教育を破壊する。その器を破壊するだけでなく、その中身まで自分達の都合の良いように改変しようとする。結局、教育の重要性を最も認識し、そのパワーを最も恐れているのが"彼ら"なのだろう。

 その意味では、私達日本人にとっても教育の危機は他人事ではない。近年、政府が推し進めようとしている日本の教育政策の方向性に誤りはないのか、国民のひとりひとりが注視することが大切だと思う。
参考ブログ内記事:学力の地域格差について


 さて、本作は、その地道で粘り強い教育普及活動が認められて(若いマララ嬢に関しては今後"象徴"としての存在感も期待されてか?ことノーベル平和賞の授与に関しては、過去の業績評価に対してだけでなく、これからの活動への期待を込めた意味合いも含まれているように思う)、インドのカイラシュ・サティヤルティ氏と共に、2014年度ノーベル平和賞を受賞したパキスタンの少女マララ・ユスフザイ嬢の世界的な活動家としての姿を映し出すと共に、どこにでもいるひとりの少女としての素顔にも迫るドキュメンタリーである。

 マララ嬢は現在18歳。故郷のパキスタンにいた15歳の時に、彼女の存在を快く思わないタリバンによって銃撃された。軍病院で救命措置を受けた彼女はその後英国に搬送され、一命を取り留める。

 長い昏睡状態から目覚め、生命の危機を脱した彼女だったが、頭部に銃撃を受け、頭蓋骨の一部が破損し脳内出血を起こし、さらに内耳も破壊される等、一時は重篤な後遺症が懸念されるほどの重症であった。

 しかし、懸命にリハビリに取り組み、現在では左耳の聴覚が失われ、左顔面に多少麻痺は残るものの、かつての快活な彼女を取り戻しているかのように見える。

 回復後も家族と共に英国バーミンガムに留まり、普段は地元の高校に通う女子高生の彼女だが、その一方で精力的に世界各地を巡り、紛争やテロや貧困によって教育の機会を奪われた子供達の声を代弁して、教育の重要性と子供達の命の尊さを訴えている。さらにマララ基金を創設し、具体的なサポートも行っている。


 特に女性の教育の重要性を訴えているところが個人的には大いに賛同するところ。世界的に見てさまざまな偏見から男性に比べて女性の教育機会が少ないことから、彼女が特に強く訴えかけていることなのだが、子供との接触時間の多さから見ても、母親である女性がきちんと教育を受け、一定の教養と聡明さを備えていることが大切なのは言うまでもないだろう。

 実際卑近な例を見ても、父親の聡明さや家庭の経済状況に関係なく、母親が聡明な家庭の子供はほぼ間違いなく高い教育を受けて、独立後に親以上の生活レベルを獲得している。国民全体の教育レベルの引き上げの為にも、女性の教育は重要な鍵と言える。



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 自宅で家族と寛ぎ、屈託のない笑顔を見せる彼女は、見るからにごく普通の女の子である。しかし、女子高生としての彼女は、やはり他の女子生徒からは少し浮いた存在に、私には見えた。

 パキスタンでは成績トップであった彼女も、言葉の壁や国際的な活動で度々学校を休まなければならないこともあって、テストで思うような点数が取れない。おそらく真面目で努力家の彼女は、そのことにも内心歯がゆさを感じているに違いない。

 年頃の女の子なのに、同級生のように自由な恋愛を楽しむ余裕もない。尤も、身近な同世代で、彼女の精神年齢に見合うような男の子が果たしているのかどうか。何より「世界の子供達に充分な教育を」と言う崇高な理念の下、世界を見据えた活動をする彼女と、せいぜい自分の半径数メートルで生きている同級生達とでは、精神的成熟度と心理的距離の隔たりは大きいのではないか?

 同じ世代にしては、背負うものが違い過ぎる。

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 マララ嬢の大人顔負けの聡明さと弁舌の巧みさに関しては、早くから教育者である父親の影響が取り沙汰されていた。「彼女の生き方を選択したのは、父親ではないか」と。

 本作で彼女はそのことについて真っ向から否定しているが、親の教育意欲が及ぼす我が子への影響の大きさは誰もが知るところである。少なくともマララ嬢に対して父親が行ったことは以下の通りである。これだけでも、父親の彼女に対する期待の大きさが窺える。

 父はアフガニスタンが英国に侵攻された時に、アフガニスタン人の戦意を高揚させた伝説の女性「マラライ」の名を、我が娘に付けた(パキスタン、アフガニスタンと国は違うが、同じパシュトゥーン人<民族>である)
参考映画作品:『君のためなら千回でも』
 
 父は男性の名前しか記されていない過去300年に渡る家系図に「マララ」の名を書き加えた。

 父は自身が経営する学校に、幼い頃からマララ嬢を連れて行った(彼女はそこを遊び場代わりに過ごし、父が生徒に自らの意見を述べることの大切さを指導する様子を間近に見ながら育った)

 この時代に、パキスタンのこの父のもとに、彼女が生まれた。この因果関係は強いと言わざるを得ない。そして、彼女と言う存在が、今の世界において意味することは深く、重い。

 こうして父の期待を一身に受けて育ったマララ嬢は、次第に独裁色を強めて行くタリバンに対し、反対の声を上げ始めるのだ。当初は匿名でのBBCサイトへの投稿だったが、ついには自身の顔を晒して直接的に訴えかけた。それがタリバンの逆鱗に触れ、上述の銃撃事件へと至ったのだ。その時、傍にいた友人達も被弾し、重症を負っている。

 
 本作を平日のレディースデイに見たのだが、残念なことに観客席はまばらであった。映画の売り上げをマララ基金に充てると言う条件で、マララ嬢は本作への出演を快諾したらしいのだが、映画料金がバカ高なこの日本では興行的に厳しいものがあるのではないか?

 我が家の近所の映画館では、公開2週目にして早くも1日1回きりの上映と言う寂しさである。このままさして話題になることもなく公開を終えるよりも、料金を思い切って半額にしてできるだけ多くの人に見て貰うことの方が、本作の制作理念に適うのではないだろうか?記念すべきFOXサーチライト・ピクチャーズさん初のドキュメンタリーなんだし…

 内容的には、できれば学校の授業(総合学習の枠?)で"教育の一環"として是非、すべての子供達に見て貰いたい作品だと思う。未来ある日本の子供達に教育の重要性〜学ぶことの大切さ、学べることの幸せを理解して貰う為に。

       10代とは思えないほど、大人びた表情を見せるマララさん…
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 マララ嬢の2014年7月の国連演説には思わず涙が出たほど感動したなあ。特に最後の一節。シンプルで、心に響く。

 One child, one teacher, one book and one pen
 can change the world.
 Education is the only solution. Education first.


2013年7月の国連演説全文(朝日デジタル)

映画『わたしはマララ』公式サイト

 パンフレットを購入したが、とても充実した内容で勉強になった




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