2019/5/16

人生、良い時もあれば辛い時もある  はなこ的考察―良いこと探し

 人間誰しも、長い人生の中では良い時もあれば、辛い時もあると思う。人によって配分には多少の差はあれど、人生は幸不幸の絶妙なバランスで成立しているのではないか。

 自分が今、幸せか不幸かと言うのも個人の感じ方で相対的なものだろう。辛い経験があるからこそ、幸せも感じることができる。一方、あまり起伏のない人生は「穏やか」かもしれないが、それでは「感受性」は磨かれないのかもしれない。

 さらに、自分の身に起きることのひとつひとつは、もしかしたら人生のターニングポイントであるかもしれず、その後の人生を好転させるか暗転させるかは、自分の捉え方次第なのかもしれない。


 私のブログを読むと、いつも、やれ映画だ、展覧会だ、散歩だ、旅行だと、随分とお気楽な立場だねと思う人がいるかもしれないが、この私にも辛い時期はあった。

 今、私は自由気ままに過ごしているが、子ども時代は不自由ばかりだった。がんじがらめだった子ども時代に、良い思い出は殆どない。

 子ども時代の1日1日は、大人になってからの1日1日とは、その濃密さや人生における重要度がまるで違うと私は感じているので、今でも自分の子ども時代を思いだすと切ない。

 ただ、辛い子ども時代があったからこそ、今の幸せを享受できると思っている。 

 私は9歳から、結婚して自分の子どもが生まれるまで働き詰めだった。

 父が家を購入した直後に病に倒れたり、通院中に交通事故で重傷を負ったりで、母が外に働きに出ることになり(それまでも母は自宅で洋裁の内職をしたり、家を購入するまでは都市部で24時間営業の喫茶店を経営するなどしていた)、9歳の秋から私は自宅1階にある小さな書店兼文房具店の店番をやらされた。毎日学校から帰ると夜の9時10時頃まで店番をし、雑誌の発売日には定期購読しているお得意さんのお宅に配達もしていた。

 私の店番は私が中学を卒業するまで〜親が店を畳んで貸店舗にするまで続いた。

 加えて私が小4の時に生まれた末妹は両股関節脱臼の状態で生まれ、4年間ギプスで股関節を固定され歩けない状態だったので、空いた時間には妹の世話もしなければならなかった。

 だから友達と外で遊びたい盛りに私は思い切り身体を使って遊ぶこともできなかったし、中学の部活動にも参加できなかった。

 さらに中学生の時に認知症になった父方の祖父を引き取り、自宅で介護することになったので、自宅療養する父や外で働く母の為、祖父の介護の手伝いもした。多忙な母の負担を減らす為に、晩御飯の用意も一部手伝った。

 祖父は引き取ってから2年半後に、自室で就寝中に心筋梗塞で亡くなった。朝、家族が起きた時には既に身体が冷たく、死後硬直も始まっていた。

 私は祖父の下の世話が子ども心にも辛かったし(当時は紙おむつもなく、祖父は褌着用だったので、糞尿の片づけが大変だった。もちろん、当時はデイサービスどころか介護ヘルパー制度もなく、家族は休む間もなかった)、私や妹達は「女はどうせ出ていくのだから、孫とは認めない」と祖父からは跡取りである弟とはあからさまに区別され、可愛がられた記憶も全然なかったので、冷たいようだが、祖父が亡くなった時には別れの悲しさよりも、「やっと介護から解放される」とホッとしたのを覚えている。

 中学生にして、私はちょっと人生に疲れていた。

 そんな私の楽しみと言えば、店番をしながら、小学生の頃にちょっと背伸びして手にした中高生向けの国語辞書がボロボロになるまで語句の意味を調べながら、ローカル新聞を隅から隅まで読んだり、図書館の本を片っ端から借りて読んだり(年に170冊は借りていた)、中学校で昼休みの間図書館に入り浸って、蔵書の「世界の美術館全集」を眺めたりすることだった。

 外で遊べない分、外の世界への憧れは強く、店番をしながら読書の合間に日本地図や世界地図を眺めては、図書館所蔵の全集でいつも目にしていた世界の美術館にいつか行きたいと思いを馳せていた。

 小学校からの新聞熟読や読書の賜物か、中高時代は文系科目の成績は学年でもトップクラスで、大学進学を希望していたが、父親が「女に学問は不要」と言う考えで進学を許してくれなかったので(祖父の考えそのまま)、高校卒業後一旦就職したのだが(ほぼ強制的に「明日から、この会社で働け」と父に言われて仕方なく働き始めたが、最後まで馴染めなかった)、1年後にはそこを辞め、入学に必要な費用を自身の貯金と母親からの借金で賄い、短大に進学した。

 もう父親の命令に従うのにはウンザリしていたので、働きながら秘密裏に進学の計画を進め、入学を強行した。入学後はバイトと奨学金で学費を賄った。短大時代は勉強とバイトと念願の部活(音楽好きの部長主導で聖歌ばかり歌っている聖書研究部(笑))に明け暮れ、慢性的な睡眠不足に悩まされはしたが、充実した日々だった(その間も時々親の代わりに妹弟のPTAに出席したり、弟の不始末の謝罪をしたりもしたが、妹弟達はそのことを覚えていないのが残念だ)

 けっして自分以外の誰かから強制されたものではなく、自分自身で選びとった人生の、なんと楽しいこと!この時に初めて、私は自分の人生を生きていると実感できた。嬉しかった。


 友人の中には「(親に対して)自分を生んでくれた恩は忘れるな」と言う人もいて、親がいなければ自分は存在しなかったと言うのはもちろん事実ではあるのだが、親なら我が子を支配下に置こうとせずに、可愛がって欲しかったと言うのが、私の偽らざる気持ちだ。

 そもそも戦前ならいざ知らず、高度経済成長期真っ只中の昭和も半ばの頃の話である。私の同級生の殆どは屈託なく子ども時代や青春を謳歌しているように私には見えた。友人のご両親も善良な方々で優しく接して下さるので、彼我の違いになおさら自分が惨めに思えたのを覚えている。

 今にして思えば、跡継ぎである長兄を溺愛し(終戦直後の混乱期に、鹿児島の沖合で行方不明になったらしい)、次男である父に冷淡だった祖父の呪縛が、父を今で言うDV親に仕立て上げたのだと思う(祖父もまた、父と同じだったのかもしれない)。私は子どもの頃、長女として精一杯のことをしたつもりだが、中学の時には理不尽な理由で父から傘を投げつけられ、右瞼に9針縫う傷を負っている。

 だから、私は不幸な親子関係の連鎖を断ち切るべく、息子には精一杯の愛情を注いだ。彼が夢に向かって進めるよう、私達夫婦が親として与えられる最大限の教育の機会を、息子には与えたつもりだ。


 今はお気楽然としている自分でさえそうなのだから、一見誰の目にも恵まれたように見える人にも、実は人には言えない、否、言いたくない辛い過去があったのかもしれないのでは(或は今、悩みを抱えている)と、今の私なら慮ることが出来る。

 目の前の現状を見ただけでは、他人の幸不幸なんて推し量れない。大抵の人は誰しも人生に好不調の波があるもの。だから徒に他人と自分を比べて自分の不幸を嘆いたり、他人を羨ましがるのは無意味だと思う。


 失敗は成功の(=学びの時)、スランプは飛躍の(=次に向けてのエネルギーの貯め時)、そして不幸は幸福の(=魂の修練の時)、「前段階」で、その時々で得た経験は、人生においてけっして無駄にはならない…と思うことにしている。
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2019/5/9

虎の威を借る狐  今日の言の葉

 自動車(最近は自転車も)の運転者はいわば「虎(=車)の威(力)を借る狐(=非力な人間)」なのだ。

 そこを勘違いしている人間が多いから、悲惨な自動車による人身事故は無くならない。

 もちろん全員とは言わないが、普段から横暴な人間はもちろんのこと、温厚と見られる人間も、自動車に乗ると自動車の威力を得て、どうしても尊大になる傾向がある。自動車から見れば圧倒的弱者である歩行者に対して高飛車になる。

 そのことを如実に示しているのが、信号のない横断歩道の前に歩行者が立っていても、そのまま走り去る自動車が殆どだと言う事実。運転免許取得の為に通った教習所では、「信号のない横断歩道の前に人が立っていたら、必ず自動車は止まるように」と指導を受けているはずにも関わらずだ。

 そのことをすっかり忘れたか、最初から教わっていないかのように、歩行者を一瞥してその存在を確認しているにも関わらず、そのまま自動車のスピードも落とさずに通り過ぎる運転手の多いこと(日本では地方都市でさえ、それが当たり前のせいか、以前、ポルトガルの地方都市を訪れた際、横断歩道でなくても全ての車が快く止まって、道路を渡らせてくれたのには驚き、感激した。)

 私は昔ながらの住宅街に住んでいて、近所の一方通行のバス通りを青信号で横断する時に、後方から左折しようと走って来た自動車に、何度か轢かれかけたことがある。

 その時の運転者は一様にスマホを見ながらの片手運転で、横断歩道を渡る歩行者の私のことなど気にもかけていない様子で、かなりのスピードで走り去って行った。

 以来、青信号でその道を渡る時には必ず後方を確認して、自動車が走り去ってから渡るようにしている。

 とにかく「車を見たら走る凶器と思え」である。横断歩道も青信号も安心出来ない。

 大きな交差点での信号待ちでは、どんなに急いでいても角には立たない。最前列にも立たない。それでも事故に巻き込まれる可能性は避けられないのが実情だ。

 可能ならば、交通量の多い交差点に面した横断歩道の前には、車の進入を阻む頑丈なポールを等間隔に設置して貰いたいものだ。これは、横断歩道に並行して自転車専用レーンが設置されているにも関わらず、歩行者の間を縫うように横断歩道を駆け抜ける自転車を排除する為にも有効かもしれない。

 斯様に最近、歩行者が巻き込まれる交通事故の多発を受けて、道路の安全対策をどうするかの議論が出ているが、こうした事故の最大の原因は運転者の危機感のなさなのだ。その尊大さなのだ。

 自動車メーカーによる自動車の二重三重の安全装置や自動運転システムの開発以前に、運転者の意識が変わらなければ、悲惨な重大事故は今後も無くならないだろう。

 運転者は運転する限り、いついかなる時にも自分が加害者になり得ると言う危機感を持たなければならない。被害者やその家族、そして加害者やその家族にとっても、一瞬の事故による犠牲はあまりにも大きい。事故が起きてからでは遅いのだ。

 運転者は自身が「虎の威を借りた狐」に過ぎないと言う自覚を持って、自動車の凶器性を十分に認識し、自身の運転技術を過信せず、歩行者の安全を第一に考え、心に余裕を持って運転することが重要なのだ。

 だから普段からスケジュールに余裕を持って行動すべきだし、運転時には譲り合う気持ちが大切だし、常に周囲の状況を把握しながら運転に集中することが重要だ。

 けっして運転に慣れてはいけないのだ。

 
 4歳の妹を交通事故で失った日のことを、50年経った今も忘れられない私の切実な訴えです。
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2019/5/8

「バレル・コレクション展」  文化・芸術(展覧会&講演会)

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GW最終日の6日(月)は夫婦で、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「印象派への旅 海運王の夢 バレル・コレクション」展を見て来ました。

 この展覧会は、産業革命期に英国随一の港湾都市グラスゴーで海運王として名を馳せたウィリアム・バレル(1861-1958)が蒐集した8,000点にも及ぶ古今東西の美術工芸品の中から、西洋近代絵画80点を紹介するものです(一部、別の美術館からの特別公開作品も有り)。

 バレル氏はそのコレクションの多くを生前、出身地であるグラスゴー市に寄贈しており、1983年には「大気汚染から作品を守る」と言うバレル氏の遺言に従い、グラスゴー市郊外に美術館が建設されています。

 私は1993年に家族でグラスゴー市を訪れていますが、当時はインターネットも使えない中東からの旅行で、情報不足の為この美術館の存在を知りませんでした。展示会場でその外観や内部の写真を見るにつけ、知っていたら、きっと訪ねていただろうと思うと残念です。

 寄贈の条件には「コレクションを英国国外に出さないこと」と言う条項もありましたが、今回は2020年までの美術館の大改修に伴い、特別に日本国内4か所で巡回展が許されています。つまり、今回来日中の作品が日本で公開されるのは、これが最初で最後なのです。

 グラスゴー市のあるスコットランドは16世紀のメアリー・スチュワート女王以来、フランスとのゆかりが深い土地柄です。

 バレル氏もフランスの芸術に深い関心を寄せ、グラスゴー出身の画商でフランスのパリを拠点に活躍したアレクサンダー・リード(1854-1928)を通じて、数多くのフランス近代絵画を蒐集しました。リード氏はゴッホやその弟テオとも親交のあった画商で、今回はゴッホが描いた彼の肖像画も出品されています。

 既に目の肥えた日本の美術ファンからは「今さら印象派?」と言う声も聞こえてきそうですが、今回の展覧会は海運王自身の趣味が色濃く反映された比較的サイズの小さな佳作揃いで、作品に関する丁寧な解説も数多く添えられ、より親密な形で作品を楽しめる構成になっています。

 「自分ならどの絵を自宅に飾ろうかしら?」なんて考えながら見ると、ホント楽しそう…

 印象派の前段としての、19世紀に起きた「17世紀オランダ絵画リバイバル」とも言うべき静物画や風俗画の数々は気軽に楽しめますね。水彩画も素敵です。

 出品作家はマネ、セザンヌ、ルノアール、クールベ、ドガ、ブーダン、オランダのゴッホやマリス兄弟、英国のペプロー、メルヴィル、クロホールなど多彩です。地元出身の画家への目配りも欠かさなかったと言う意味で、バレル氏は本当に素晴らしいパトロンだったのかもしれません。

 今回見た中で夫婦共に最も気に入ったのは、エドゥアール・マネ≪シャンパングラスのバラ≫(1882)。当時流行った細身のシャンパングラスに無造作に挿された黄色とピンクの2輪のバラ。ブルーグレイの背景がバラの色を鮮やかに引き立て、小品ながら全体的に艶やかな色合いが目を引く作品です。

 クリックすると元のサイズで表示します バレル氏お気に入りの画家だったのか、クロード・モネを絵画の世界へと導いた、フランスの港町ル・アーヴル出身のウジェーヌ・ブーダンの作品も数多く展示されていました。

 バレル氏が海運業で大成功を収めたと言うことで、ブーダンの海景画を特に好んだのかもしれません。

 ちなみにブーダンの作品は、上野の国立西洋美術館の常設展示室でも見ることが出来ます。

 最近はSNSによる情報発信を期待してなのか、展示室の一部が撮影可になっているケースが増えて来ていますね。今回の展覧会でも出口付近の一角の作品群が撮影可能となっていました。

 作品解説が作品を見る際に大変参考になったので、最近には珍しく今回は展覧会カタログも購入しました。色の再現性は今一つですが、大きさもB5版程度のコンパクトな物で、気軽にページをめくれるので気に入っています。

バレル・コレクション展公式サイト

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2019/5/5

205,000km越え  家族のことつれづれ

息子は4年前に、軽のスポーツカーである1991年製のHONDA BEATを大学の先輩から格安で譲り受け、以来、休みの度にひとりで全国をドライブしている。

今回のGWを以って、北海道と九州を除く全地域を走破したことになるらしい。

今回のGWは、未踏だった中国地方を6日間かけて巡ったようだ。

いつも関西方面に行く時は、往路は晴海埠頭からカーフェリーで徳島へ向かうのだが、今回はGWの混雑で車しか乗船予約が取れなかったとかで、本人は別途新幹線でとりあえず岡山に向かうことになった。

車は前日の午前中に乗船手続きを済ませ、本人は当日の早朝6時半頃に実家を出て、東京駅から新幹線に乗るも大阪辺りまで立ち続け、その後、岡山で徳島行きの特急に乗り換え、愛車と再会できたのは午後2時過ぎ。

国内なのに、どんだけ時間かかってんねん?と言う感じだ。

交通費も往路だけで、車の運送料と新幹線代(自由席)で6万円余り…決して節約旅行ではない。

無事、車を受け取った後は、旅行前にザックリと決めていたプランに従って、気ままなドライブ旅。

夕方に辿り着いた場所で、その日の宿を探すと言う大雑把さなので、毎回マトモな宿が取れずに、緊急避難的にインターネットカフェで寝泊まりすることがある。  

今回も2日間音沙汰がなかったので、(こちらからは極力連絡は取らないことにしているが)心配になって電話してみたら、夜中の11時半の時点で宿が決まっていないと言うので本当にハラハラした。その能天気さに腹が立った。

結局、日をまたいで0時15分過ぎに、漸くインターネットカフェに空きが出て泊まれることになったと連絡があった。

こちらとしては、何も知らない方が、どれだけ気楽か…毎回このことで息子とは喧嘩になる。

やはり、インターネットカフェはコンビニと同様に、24時間営業で、常にある程度の現金があるにも関わらず警備が手薄、と言うことで強盗被害のリスクがあるから心配なのだ。

案の定と言うか、今回のGW期間中にも、名古屋のインターネットカフェで、強盗事件が発生している。

いい大人が、お金がないわけでもないのだから、リスク管理はきちんとして貰いたいものだ。


今回、息子は岡山→広島→山口→島根→鳥取と巡り、復路は新人時代に半年間、工場研修で滞在した浜松に寄り、そこで研修時代に親しくなった何人かの友人(地元の飲み仲間?)と旧交を温め、1泊してのち実家に戻って来た。

今回訪ねた場所で最も印象的だったのは「しまなみ海道」だそうだ。風光明媚な景色の中を、風を切って走る心地よさは格別だったと言う。

因みに、今までの全ドライブ旅行で最も印象に残っている地は、それまでの彼の人生で感じたことのない独特の雰囲気を湛えていた青森の「恐山」だそうだ。

何百ヶ所と訪ねた中で、「恐山」の名が挙がったのは、正直意外だった。

息子の気ままなドライブ旅は、親から見れば心配の種が尽きない"無謀な冒険"だが、息子はこの一連の旅で親の私達も見たことのない景色をたくさん見て来たんだろうなあ…


とまれ、息子が車を買った時点の走行距離は不明だが、息子の車は既に205,000キロを超えている。走行距離20万キロは、(タクシーやトラック等の業務用車両は別格として)一台の自家用車としては金字塔とも言うべき数字だと聞いたことがある。

息子曰く、愛車は30年近く走り続けて、今なお「すこぶる元気で」快調な走りらしい。

息子の愛車BEATくんには今後も事故なく、車としての寿命を全うして貰いたいと願っている。

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2019/5/4

はいさいフェスタ  携帯電話から投稿

息子が北関東から一時帰省中なので、家族3人で映画を見に来ました。

折しも、チネチッタを擁する複合商業施設チッタデッラでは、GW恒例の「はいさいフェスタ」が開催中。

イタリアの街並みに、オレンジレンジの曲が流れ、黒山の人だかりは違和感がなくもないけれど、いつも以上に賑やかです。

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2019/4/30

今日、明日は、自宅で心静かに…  日々のよしなしごと

代替わりや時代の変わり目には、気の迷いを起こす人が必ず出てくるようで、それが暴力と言う形で発露されるのが一番厄介だ。

そう言う事態との遭遇を避ける為にも、今日、明日は不要不急の外出は避け、人の多く集まる場所には近づかない方が無難だ。

今日、明日、我が家は読書三昧の日とします。
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2019/4/30

「生きているだけで百点満点」  はなこ的考察―良いこと探し

「生きているだけで百点満点」とは、
群馬県のベテラン助産師
鈴木せい子さんの言葉だ。

彼女が助産師として30年以上に渡り
数多くの赤ちゃんを取り上げ、
何組もの母子と関わった経験から
生まれた言葉だ。

これは、私達の存在のあるがままを、
肯定する力強いエールである。

能力や容姿の優劣に関係なく、
身体の健弱に関係なく、
心身の障害の有る無しに関係なく
有名無名に関係なく、
富裕貧窮に関係なく、
職業人として正規雇用か非正規雇用かに関係なく、
また、生きることに前向きであるとか
後ろ向きであるとかにも関係なく、
何事にも要領が良いか不器用かにも関係なく、
周囲に溶け込めているか、いないかにも関係なく、

そして、親に愛されているとか
愛されていないとかに関係なく、

たとえ誰にも愛されていないと
自分自身が感じていたとしても…

ただただ、この世に生を受けたひとりひとりの存在を
全面的に肯定する言葉である。

そもそも、この世に
完全無欠な人間なんていないのである。
誰もが何かしら欠けていたり、
他人には言えない”何か”を抱えているものである。
つまり、「人並み」という言葉ほど曖昧で、
実体のないものはないのである。

自分が人として完璧でないからと言って、
何かが欠けているからと言って、
誰も自分自身の存在を疎んじたり、
否定する必要なんてないのである。

そんな不完全で弱い自分を認め、赦し、受け入れ、
もっと気楽に生きて良いのだと、
このシンプルで慈愛に溢れた言葉は、
私達を励まし、力づけてくれるのである。

私にも、あなたにも、代わりはいない。
この世に唯一無二の存在として生きている。

だから生きているだけで十分素晴らしいのである。


今の世の中の状況に思うところあって、
平成最後の今日という日に、
この言葉を書き留めておきたい。
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2019/4/30

「今日は平成最後の日だよ」  今日の言の葉

と、Siriに話しかけたら、
Siriは
「今日は聖ヤコブの日です」
と応じました。

なんとまあ噛み合わない会話だこと(笑)。

平成最後の日に、朝からボケまくっています。
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2019/4/26

経営者の発想、セレブの発想、大陸人の発想  はなこのMEMO

 自分では思いもつかない他人の発想や着想に驚かされることは少なくない。自分の経験知には限りがあるから、他人の言動から謙虚に学ぶ姿勢は大事にしたいと思う。 


 先月の台湾旅行でのこと。高校時代の同級生を中心に古くは小学校からの友人と計8人で行ったのだが、2泊3日の日程なのに、ひとりだけ1週間位の旅行で使いそうな大きなスーツケースを携えて来た友人がいた。

 その人は郷里でコンビニを3店舗も経営しているやり手経営者である。

 曰く、「いつもお世話になっている人へのお土産用に大きな収納スペースが必要なのよ。私もいつもお土産をいただいているから、お返ししなくてはね。」「こちらが多く与えれば、こちらにも多く返って来る。まさにギブ&テイクね。」

 とにかくお金の使いっぷりが豪快だ。コンビニ出店も一店舗当たり4000万円の設備投資が必要らしいが、事業の為なら多額の借金も厭わない豪胆さだ。台湾でも立ち寄ったドラッグストアで、美容シートマスクを大人買いしていた(笑)。将来への不安からお金を使うことにイチイチ躊躇し、チマチマ溜め込む庶民の私とは大違いである。

 そう言う彼女の口癖は「金は天下の回り物。」
 
 台湾は今回で七度目と言う彼女は、数多あるパイナップルケーキもほぼ全種類食べ尽くし、台湾グルメにも詳しかった。そう言えば、昔からグルメでおしゃれだった。生きることに貪欲な人だった。

 社長令嬢として育った彼女の発想は、父親譲りの経営者ならではのものなのだろう。


 先日、お会いした女性は仮に「高輪夫人」と称しておこう。彼女は義父が岩波文庫にその名が載るほど高名な英文学者であり、詩人であったと言う。その義父が健在の頃は自宅の1階の一部をサロンとして開放し、そこには若き日の谷川俊太郎などの詩人、文学者らが通っていたらしい。

 現在はそのサロンであった場所を画廊として改装し、月に一度のペースで貸し出していると言う。先日、私はそこを訪ねたのだが、さすが山の手、近隣の住民も美術への関心が高いのか、私が滞在している間、来訪者が引きも切らなかった。

 その時にお会いした中で96歳の男性が波乱万丈な人生を歩まれた方で、興味深いお話を聞かせていただいた。戦時中、海軍兵として何度も九死に一生を得たそうだが、悲惨なはずのエピソードを茶目っ気も交えてお話された。

 戦地から引き上げた後、金属加工の会社を立ち上げ、50あまりの特許を取得し、その特許料収入で悠悠自適に暮らしておられるようだ。隠居後は書家としても活躍されたそうで、ご高齢ながら会話にもよどみがなく、足の具合が少し悪い以外はすこぶるお元気だった。その笑顔には戦禍をくぐり抜けた人の強さと優しさがあった。


 元プロ野球選手でタレントの長嶋一茂は、日本のプロ野球史上絶対的なスター選手として名高い「長嶋茂雄の息子」として世間に華々しくデビューした。しかし、大学卒業後にプロ野球界入りしたものの、そのキャリアは僅か8年で終わり、プロ野球選手としては大成しなかった。圧倒的な才能が必要とされる世界で、偉大な父を持ち、その父と同じ道を歩むのは、子どもにとって茨の道を歩むようなものなのかもしれない。

 しかし、その彼も現在ではテレビで何本ものレギュラーを持つ売れっ子タレントである。プロ野球を引退後に始めた極真空手ではシニアの大会で優勝するなど、既に達人の域に達しているらしい。

 その彼は仕事のスケジュールが空けば、すぐさまハワイへ飛ぶと言う。ハワイこそが自分の本拠地だとうそぶく。それどころか、ハワイに行くと言う理由でレギュラー番組も休むらしい。悪びれもせず、それを番組内で言うのだから、"そういうこと"が許される稀有な存在なのだろう(普通のタレントならとっくにクビになっている)

 とにかく生まれながらのセレブだからなのか、発想が常人とは違う。ドライな仕事観、金銭感覚、対人関係、そして自分の身体を鍛えることへの拘り(20人のトレーナーがついているらしい)など、経済的な困窮を知らない人間だからこその独特な哲学に基づく生き方を貫いており、その是非はともかく、他のタレントとは一線を画す存在である。


 先日、同タイトルの漫画が原作の「キングダム」と言う映画を見て来た。中国統一を果たした秦の始皇帝の若き日の物語である。

 奴隷の出である信と後の始皇帝とのやりとりでは、始皇帝の発言が逐一圧倒的な権力を持った人間ならではの発想で、信の反論を許さない、人間の尊厳など一切無視の冷徹さが印象的だった。

 そもそも500年もの間、数多の国が戦いに明け暮れている群雄割拠の中、王家の血を引くとは言え、若き日に「天下統一を果たす」と宣言すること自体大言壮語と受け取られかねないのに、後にそれを実際に果たしたのだから、始皇帝と言う人物のスケールには計り知れないものがある。

 王族として生まれ落ちた時から、将来国王となるべく所謂「帝王学」を学び、上に立つ人間として常に大局を見極めることが求められて来たのだろうから、国王たる者、下々の人間とは発想が違って当然なのだろう。

 王国でなければ、例えば日本のように天皇が国民の統合の象徴と位置付けられ、直接政治に関与できない場合、政治のトップである首相に統治者としての大局観が求められるのだろう。少なくとも政治家を志す人には大局的に物事を見る素養が欲しい。広い視野で天下国家を語れる人であって欲しい。その意味では、終戦以来、日本で真の意味でのエリート教育がなくなってしまったのが、今、政治の世界で深刻な人材不足を招いているのだと思う(元々エリート養成機関として設立された東大には今も他大学を圧倒する多額の予算がつぎ込まれているが、少なくとも国内では頭脳明晰な学生の集まりであるはずの東大生が、本来の建学の意図を汲まずに官僚や政治家を目指さなくなっている。彼らに期待する方が間違っているのか?)

 近年は広大な国土を持つ中国に、島国の日本は圧倒され通しだが、国土の広さの違いはそのまま人間の発想のスケールの違いに反映されているような気がする。ここ数年、習近平主席が提唱する「一帯一路」がまさしく大陸人ならではの発想で、ユーラシア大陸全土を巻き込んで、中国主導の一大経済圏を築き上げようとしている。少なくとも今の日本の政治家にはそのような発想は期待できないし、日本の国力を上げようとの気概も感じられない。

 また、近年、民主主義国家の市民の当然の権利として、国や地域の重要な案件について国民投票や県民投票が実施されることが国内外で多いが、英国のEU離脱を巡るゴタゴタを見る限り、国家の行く末を左右するような重要な案件を、果たして国民投票で決めて良いものなのか疑問を禁じ得ない。なぜなら、国民の教育レベルや知性には当然バラつきがあり、全員が案件の重要性を正確に認識し、流布する情報の正誤を判断し、正しい採決ができるとは思えないからだ。これこそ、選挙によって選ばれた市民の代表である代議員に、その判断を委ねるべき案件だったのではないか? 


 さまざまな発想や着想に触れて、刺激を受けることは本当に多い。それが思索のきっかけにもなっている。だから、常にアンテナを張って、耳をそばだて、自分では思いもつかない発想や着想に、できるだけ数多く出会いたいと思う。そう考えると、自分以外の他人はすべて「思索のヒントを与えてくれる先生」と言えるのかもしれない。
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2019/4/25

高輪皇族邸  携帯電話から投稿

先日、自宅一階の一部を改装して画廊を経営している知人に招かれ、高輪まで行って来た。

画廊では今日まで、ある作家父子の木版画展が開催されていた。

浮世絵のように何度も刷りを重ねて、繊細な色彩のグラデーションが美しい作品が20枚ほど展示即売されていた。

私でも手の届きそうな小品もあったので、買おうか買うまいか最後まで迷ったけれど、結局、私の一存では決められないので、買わずに帰ることになった。

知人が周辺を案内がてら、最寄りの泉岳寺駅の近くまで送ってくれると言ったので、画廊を出て、近くの緩やかな下り坂に向かった。

暫くして、左手にある高い塀に囲まれ、楠の大木が鬱蒼と生い茂る一角が、退位される天皇陛下ご夫妻が5月から仮住いされる「高輪皇族邸」だと教えてくれた。

ご夫妻の仮住いの決定を受けて、急遽、周辺の雑草は刈られ、幾つもの監視カメラが設置されたそうだ。

この一帯は江戸時代には細川家の領地で、その後、高松宮邸として用いられた築百年は超える邸を改装して、ご夫妻が仮住いされるらしい。

ご近所にそんな高貴な方々が来られたら、私なら畏れおおくて、道も気安く歩けないだろうなと思った。
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2019/4/24

今日は有楽町→銀座へ  携帯電話から投稿

今日は友人とふたり、有楽町で映画を見ました。

帰りに東急プラザ銀座のハンズカフェに寄って、眼下に銀座エルメスビルを望みながら、ティータイムを楽しみました。

写真はエルメスビル。壁面に巨大な抽象画が描かれており、道行く人が〜特に観光客が物珍しそうに〜注目して、写真を撮っていました。

エルメスはハイブランド過ぎて、私のような庶民には無縁な存在だけれど、こんな形で楽しませてくれるんですね。

大胆な壁面アートに、常に高い美意識を発信し続けるハイブランドの矜持が感じられます。
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2019/4/11

最近の政治家と私と内田也哉子さん  はなこのMEMO

@日本の政治には本当に幻滅している

安倍氏一強の与党自民党では、自らの保身のために安倍氏やその盟友麻生氏に「忖度」する議員ばかりで、日本国や日本国民のことを真剣に考えて職務に当たっている議員が殆ど見当たらない。

一連の失言で更迭された議員らに共通するのは、その発する言葉の軽さだ。思慮のなさだ。国民の代表としての自覚がなさ過ぎる。自分の発言が誰にどのように受け止められるかの想像力に乏しく、言葉選びの稚拙さからも知性が明らかに足りないように思う。

恥ずべきことだが、失言で更迭と言う事態がこれまで何度となく繰り返され、明らかに国会議員の資質に欠けると見られる人物が国会議員になれる日本の政治の状況には、私達国民にも責任の一端があるのだろう。

(五輪担当大臣がこうもコロコロ変わって良いのだろうか?世界はこの日本の状況をどう見ているのだろうか?以前、リオ五輪の準備の不手際を日本のマスメディアは何度も報道しては嗤っていたが、東京五輪も人のことを笑えない状況だと思う。日本はもう少ししっかりした国だと思っていたのだが、いつの間にか、やること為すこと緊張感や責任感に欠ける二流三流国に成り下がってしまったようだ。)

かと言って、野党も政府与党の政策に反対を唱えるばかりで、有効な対案を出す政策立案能力もなく、その自覚があるのか?ないのか?与党議員の粗さがしに余念がない。しかも離合集散を繰り返し、政権奪取の為に一致団結する気配もない。

内閣の不祥事続きの現在の状況は、かつて自民党が大敗を喫して万年野党が政権を奪取した時と同じ様相を呈しているが、今の野党のていたらくを見れば、今また野党に政権を任せようとは誰も思わないのではないか?。

先日の神奈川県知事選もそうだったが、今の政治の状況は
有権者に選択肢がない!
一票を投じて、治政を託したい政治家がいない!
と言う、有権者にとってはとんでもなく不幸な状況だ。

政治家の資質と言う意味では、そもそもどのような人間が政治家を目指すのかが気になるところだ。

昨今は県議会レベルでも、やたらに二世三世議員が多いが、「政治家」とはそれだけ「うまみ」のある職業なのだろうか?なぜなら、もし苦労の割に実入りの少ない職業なら、子どもは継ぐのを躊躇うだろうから。二世三世は親の地盤を引き継ぎ、周りの人間や利権絡みの支援者がいろいろとお膳立てをしてくれるから、一般の人間と比較して、さぞかし議員になるハードルも低いんだろうね。

逆に何の後ろ盾もない全くの新人が政治の世界に参入しようにも、選挙には何よりお金が掛かり過ぎるのが問題だ。選挙を戦うノウハウも必要だ。仮に新人が政治家を目指すのなら、宗教団体や労働組合、市民団体等の強固な組織の後ろ盾がないと難しそうだ。もちろん其のためには、そういった組織で圧倒的な人望を得る資質も必須だけれど。

二世三世議員が全く駄目とは言わないが、生まれながらにさまざまな面で恵まれた環境しか知らない彼らに、国民の大多数を占める庶民の痛みや苦しみを想像したり理解するのは難しいだろう。だから多様な背景を持った人材が政治の世界には必要だ。

このまま政府の無策が続き、国民への社会保障費の負担が増大し、大多数の国民が生活に疲弊してしまったら、政府が少子高齢化社会を見据えて目指す個々の「生産性の向上」なんて望むべくもない(その分、移民への依存度が高まりそうだ)

こうした状況が今後も続くようなら、もうこの国から世界的な企業も文化人も生まれないと思う。

なぜなら、国家も企業も結局、人が形作るものなのだから。


私利私欲を越えて、この国をより良くしたいと言う熱い思いを持ち、其のためには自らの命を賭すことも厭わない覚悟を持った人が、政治家を志して欲しい。政治家に必要なのは、「滅私奉公」と言う言葉を体現するような究極のボランティア精神だと思う。

A最近何だか知らないけれど、よく知らない人に話しかけられる

私自身が「話しかけやすい」オーラでも放っているのか、最近、行く先々で知らない人に話しかけられる。道端で、バス停で、バスや電車の車内で、スーパーマーケットで、病院で、特に年配者に声をかけられる。せっかくだから私も笑顔で応じて、結構会話が弾む。

大抵ひとりで行動しているから、人と会話することは脳にも心にも適度な刺激と安らぎになっているだろうから、この状況をせいぜい楽しもうと思う。

B樹木希林さんの娘、内田也哉子さんの聡明さに脱帽!

「日本アカデミー賞の授賞式」や「内田裕也氏のお別れの会」の様子を伝えるテレビ番組で、たまたま耳にした内田也哉子さんのスピーチの素晴らしさに感動した。

何より言葉の選択の的確さ(政治家は彼女の爪の垢を煎じて飲んで欲しい)、スピーチの構成の巧さに、類稀なる知性を感じる。聞き手は、冒頭のフレーズのインパクトにまず心を鷲掴みにされ、丁寧に紡がれた言葉ひとつひとつの深みに心打たれ、締めのフレーズのセンスに唸らされる。その語彙と表現の豊かさに、彼女は今までどのような本をどれだけ読んで来たのだろう、日々どのような思索を重ねて来たのだろうと感心する。

母子だけに、声音(こわね)やおっとりとした語り口も亡き母樹木希林さんを彷彿とさせる。飾り気のない率直な物言いも母親譲りのものだろうか?

内田也哉子さんは10代をニューヨーク、ジュネーブ、パリ等海外の学校で過ごし、19歳で帰国後、20歳の若さで10歳上の本木雅弘氏と結婚している。若くして母親になっている。特異な夫婦関係を持った両親のもとに生まれ、結婚後は有名タレントの妻として3人の子育てで多忙でもあっただろうに、いかにしてその知性と感性を磨いて来たのだろう?

内田也哉子さんその人を知った今、今後は彼女から目を離せない。彼女が紡ぐであろう素敵な言葉を、ひとつたりとも聞き逃したくないと思う。


どうやら樹木希林さんは、この世に素敵な置き土産を残して、この世を去られたようだ。
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2019/4/8

川崎駅沿線で花見♪  散歩の記録

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 昨日は近場の川崎駅西口沿線の桜並木を散歩して来ました。

 ここは昔から有名な場所。沿線を通過する電車の車窓からも楽しめる長さ500mに渡る桜並木です。

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 何より公園ではないから、誰も樹下でどんちゃん騒ぎをしていないのが嬉しい(笑)。皆さん、沿道を散歩したり、植え込みの縁に腰掛けて静かに眺めていたり、写真を撮ったりと、思い思いの楽しみ方をしておられました。

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 沿道のビルの窓ガラスに映り込んだ景色にも、そこはかとなく風情がある。

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 ラゾーナ川崎前からスタートして、多摩川べりまで行っちゃいました(笑)。

 いつもの散歩コースの人波途絶えない横浜の山下公園と違って人があまりおらず、しばらく腰掛けてノンビリ川を眺めました。

 今の季節、川を渡る風も適度に涼しく心地よい。水辺って、やっぱり開放的で心地よい。

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 遠くに見える鉄橋をひっきりなしに電車が通過します。ガタンゴトン…結構大きな音です

クリックすると元のサイズで表示します 帰り道、ソリッドスクエアビルの中にあるドトールに寄ってひと休み。

 いつも近隣のドトールが激混みなので、久しく入ったことがなかったのですが、ケーキセットが二人分で1,200円でおつりが来ました!いつも行くカフェの半額に近い価格で、そこそこおいしい!散歩で汗をかいた後なので、余計においしかったのかも。

 今回のドトールもほぼ満席状態で、ギリギリセーフでしたね。

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 そろそろ桜も終わり。花(桜)吹雪が舞っています。風に吹かれてハラハラと舞い落ちる桜の花びらにも、何とも言えぬ風情があります。桜の花は去り際まで美しい。

 幼い女の子が両手を広げ、花吹雪をうっとりと眺めながら「きれい。雪みたい…」と呟いていたのが可愛らしかった。「花吹雪」と言う言葉を知らなくとも、その美しさに素直に魅入る女の子の感性に、何だかホッとする。


 気候変動や害虫など桜にとっては厳しい状況が続いていますが、来年もまた美しい花を咲かせて欲しいものです。

 その為にはせめて一般の人間は桜の木にはけっして触れないこと。桜の枝は触れるそばから傷んでしまうそうですね。


 春に満開の花を咲かせてくれた桜に、今年も感謝

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2019/4/5

蘇る旅行の楽しかった思い出  携帯電話から投稿

先日、グループのリーダー格の友人から、台湾旅行の「フォトブック」が送られて来ました。

旅行中、その友人がしきりに「フォトブック作らなきゃ」と言いながら写真を撮りまくっていたのですが、今回フォトブックが届いて、ようやく彼女の言動の意味が理解できました。

何でも全国チェーンである?「カメラのキタムラ」の店舗まで出向いて、備え付けのPCにあるソフトを使って、姪っ子の力を借りながらデータを加工して作った物だとか。

写真88枚、20ページと、なかなか立派な仕上がりです。

機械の操作全般が苦手な彼女には、結構大変な作業だったのではと想像します。

地元でコンビニを3店舗経営し、多忙なはずの彼女の粋な計らいには、感謝の言葉しかありません。

こう言ったことを思いつき、行動に移すのが、彼女のリーダーたる所以でしょうか。高校時代のおっとりとした、いかにもお嬢様育ち然としていた姿からは想像も出来なかった現在の彼女です。

やはり、妻(嫁)となり(資産家の家に嫁いだので、親兄弟や親戚との関係には何かと気苦労も絶えず)、親となり(フルタイムで働きながら二人の息子を育て)、経営者(3店舗を一から立ち上げ、その経営を維持)となった人生経験が、人を喜ばせることに労を厭わない懐の深い人物へと彼女を成長させたのでしょうか。


聞けば、一人当たり2,500円のコスト(もちろん彼女と姪っ子さんの手間賃は含まず)がかかったそうなので、後日支払うつもりです(笑)。

Yちゃん、ありがとう

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2019/4/1

新元号  今日の言の葉

新元号は

令和

に決定しました。

どうか天災や無意味な争いのない、穏やかな時代となりますように…
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