2021/2/19

あぁ風前の灯…でも続けられる限り続けるよ♪  日々のよしなしごと

時々、Yahooニュース記事のコメント欄を見ていると、僅か4、5行程度のコメントに、長過ぎるとクレームコメントを入れる人がいて驚く。

確かYahooニュースのコメント欄は400字までOKのはずだけれど、短文コメント主体のツィッターの浸透で、その程度の長さのコメントでも受け付けない人が増えているのか?

それに今はInstagramやYouTube、TikTok等の画像や動画メディアが活況だから、画像や映像のインパクトに比べて地味な文字列は敬遠されがちなのかもね。

それ以上に、コメントは”誰が”書いたのかが重要らしい。

ネットの海には情報が溢れてかえっているから、有名人や何かのきっかけで注目されている人以外は、よほどのインパクトや人を惹きつける内容でない限り、目に留めて貰えないのは当然と言えば当然か。

もう何年も前から、個人の文章系のブログが廃れると言うか、その多くが淘汰される時代に入ってしまっているのを、今さらのように実感している。

私も腱鞘炎による手の不調や眼精疲労(先月、検査で乱視の進行が原因と分かったので眼鏡のレンズを買い替えた。これで多少は改善されるかな?)による目の不調から、ブログをなかなか書けない、また読めない状況が続いていたけれど、いざ再開しようにも、誰が読んでくれるのかも分からないブログを今さら書くモチベーションはダダ下がりなのが正直なところ。

でも、たまに何か思いつくと言うか、考えることがあり、無性に書きたくなることもあって、まあ、日記として「ほぼボケ防止のために」書いている。

文章をまとめる過程で、事実確認のためにいろいろ調べたり、言葉のチョイスに呻吟したりすることは、やはり怠け者の私の脳には幾ばくかの刺激にはなっているようだ。

如何せん、哀しいかな、久しぶりに書こうとすると、まあ言葉の出て来ないこと!脳内の言葉の引き出しがすっかり錆び付いているのを感じる。

特にコロナ禍で、この1年あまりツーカーな身内以外とは殆ど会話らしい会話がなかったから、危機的に脳への刺激が足りなかったように思う。

しかし幸いにも、今月から週一の割合でイタリア語講座に通い始め、約20年ぶりにイタリア語の勉強を始めたことで、身内以外の人と会話する機会が増えている。

私以外の方々は3年も前から講座の受講を続けておられるそうで、分厚いテキストも半分以上は既に終わっていて、途中から参加の私は半ば落ちこぼれ状態ではあるけれど、それでも学習意欲は減退しない。と言うのも、直接言語野に係る語学学習と相まって身内以外の人と会話できるのが、私の脳に心地よい刺激となっているのだ。

皆さん私と同年代か、それ以上の年代ながら本当に勉強熱心で、イタリア語の複雑な文法も理解されていて、かつ、ボキャブラリも豊富で、自分の不勉強が恥ずかしい。私って、どれだけ怠惰なんだろうと思う。

とまれ、マスク装着でソーシャルディスタンスを保ちつつ、久方ぶりの社会参加&学びの機会に、ちょっとワクワクしている。

コロナ禍でも、何かしら楽しみを見つけないとね。




2021/2/19

すべての物事に「正」「負」の両面がある  はなこ的考察―良いこと探し

この1年あまりコロナ禍で多くの人々は行動制限を余儀なくされ、鬱々とした気分になっているかと思います。

ところが、コロナ禍は俯瞰して見れば必ずしも悪い面ばかりでなく、例えば、在宅ワークや在宅学習の普及、行政サービスのオンライン化の推進やネット販売の活況等、ネットの可能性を大きく広げ、そのシステム・技術を10年進化させたとも言われています。

経済においては空前の株価バブルを生み(←残念ながら私には無縁ですが…)、コロナ禍で商機を得て業績が上がった企業も少なくないようです。減収が懸念される国家の税収に関しても、コロナ禍で打撃を受けた産業の減収分を、彼らの増収分が幾らかは補ってくれるのかもしれません。正に「金は天下の回りもの」。

人間社会の在り方においても、感染症の特性から人と人の接触を極力禁じたことで、改めて個人が心身の健康を保つ為に「他者と関わり合うことの大切さ」に気付かされたとも言えるでしょう。

また、個人の生き方においても、自分にとって何が本当に必要で、何が不要なのかを見極めるきっかけにもなったのかもしれません。

さらに今回のコロナ禍では、世界的流行を見せる感染症に対する日本の医療体制の脆弱性も顕わになりました。国政に必要とされない無能な政治家も炙り出されました。

隠れていた社会の弱点が顕わになることは、衆人環視の下、当事者がその改善に取り組まざるを得ない局面を生み出すので、結果的には社会全体の利益になるでしょう。


日本と言う島国はユーラシア大陸の極東付近に位置し、四方を海に囲まれ、その国土の実に70%が山岳地帯で、豊かな自然に恵まれてはおりますが(温泉大国とて活火山の賜物)、同時にその自然がもたらす洪水、豪雪、台風、地震と言った災害と常に向き合いながら人々は生きて来ました。

近視眼的に見れば、この度のコロナ禍は未曾有の災厄ではありますが、この国には様々な災害に何度となく見舞われながらも、その度に「転んでもタダでは起きない」とばかりに、悲惨な局面においても打開策を見出そうと懸命に努力する国民性で、国難を乗り越えて来た歴史があります。

例えば、今年は3月で東日本大震災から10年を迎えますが、ここ数年、マスコミ報道を通じて度々耳にするのは、東日本大震災(古くは阪神淡路大震災)で被災した経験を糧に、さまざまな産業がシステムや製品の改善に前向きに取り組んで、来たる災害に備えて来たと言う事実です。だから、他国では家屋倒壊で人が下敷きなるなど多大な被害が出る震度5,6でも、わが国では死者が出るまでの被害はありません。

コロナ禍は確かに災厄だけれど、武器によって否応なく、のべつまくなしに命を奪う戦争とは違います。経済苦に苛まれるケースも確かにあるだろうけれど(←これは社会的セーフティネットで支えるべき)、多くの人は平穏な日常生活(必要な衣食住に満たされた生活)を奪われることはありません。

忌まわしいコロナ禍もいつかは終わる。始まりには必ず終わりがあるのです。

コロナ禍が終わった時には抑制の反動としての活況が来るでしょう。コロナ禍を経験した社会は、そこから学習してさらに進化した姿を見せるかもしれません。

その時に備えて、個々人は出来る限り心を平静に保ち、今自分が出来ることを粛々とこなしながら、コロナ禍の日々を遣り過ごすことが肝要だと思います…て言われなくても大半の人はそうしていますね

皆さん、Good Job

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2021/2/19


ここ数日は雪を戴いた真っ白な富士山が見えます。

手前の黒々とした丹沢の峰との対照的な姿が、その荘厳さを際立たせています。

その姿を毎日拝めるとは限らないので、見えた日には嬉しくて「今日も良い一日でありますように」と祈りながら手を合わせています。春になると、霞んで見えなくなりますしね。

あいにく10年物のガラケー(笑)で撮ったので写真ではぼやけて見えますが、肉眼で見る白富士は見惚れるほど美しいです。

その美しい姿を目の当たりにする度に、霊峰富士を肉眼で見れる環境にいることに感謝しています。

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2021/1/25

言葉でも伝えたい感謝の気持ち  はなこ的考察―良いこと探し

現在の家に住んでから30年近く生協を利用している。

加入当初はグループで利用していたが、メンバーがフルタイムでひとり、ふたりと働き始めると平日の昼間に荷物を受け取ることが困難になり、結果的にグループの維持も難しくなったので、途中から個人宅配に切り替えた。

農畜産物は基本的に産地直送を旨とする生協の性格上、どんな天候下でも農産物の安定供給を目指し、生産者の活動を維持する為に、生協が取り扱う農畜産物は市場価格より若干割高になっていると思う。

おそらく組合員もそれに納得した上での利用だと思う。

ただし、何年か前にキャベツが不作で全国的に品不足が続き、その価格も高騰する中、生協は比較的安定して供給を続けてくれたし、価格は市場価格より安くなるという逆転現象まで起きたので、正確に言うと生協の価格は"高め安定"と言ったところだろうか(笑)。

生協にはもうひとつ生協ならではの特色があって、組合員と産地の生産者との交流事業に力を入れている点が一般のスーパーマーケットとは違う。

不定期に組合員が産地を訪れたりするイベントの企画もあるし、農産物の個包装には基本的に生産者の名前が記された紙が同封されている。近年は生産者の名前が明らかにされているのは一般のスーパーマーケットでも珍しくなくなったが、生協はさらにそこから一歩進んで、その名刺代わりの一片の紙が、生産者へのメッセージカードの役割を果たしている。

写真のような紙片に短いメッセージを書いて、配達員に託せば良いのだ。そうすれば生協を通して、メッセージが生産者のもとへ届けられる。消費者の生産物への評価が、直接生産者にフィードバックされるところが、いかにも生産者と消費者が持ちつ持たれつの関係を目指した(生)活(協)同組合らしい。

特に昨今のコロナ禍においては、生産者も何かと気苦労が絶えないでのはと想像する。

だから、自分の拙いながらも率直に感謝の気持ちを込めたメッセージが、幾らかでも生産者への励ましになればと、私も最近は躊躇せずに感謝の思いを言葉にして、紙片にしたためている。

第一義的には消費者の購買行動が生産者の生活を支え、生産活動を維持する力となるが、生協の主旨に賛同して産直に参加している生産者にとっては、カードによって伝えられる消費者からのメッセージも、活動のモチベーションを上げるものになるのではと期待している。

せっかく設けられた制度だからね。活用しないともったいないと思う。


徒に出来ないことを数え上げて、自ら進んでストレスを抱えて、そのせいで免疫力が低下したら、それこそ小賢しい新型コロナウィルスの思うつぼだからね。

いつ終息するとも知れぬコロナ禍だからこそ、互いに励ましあって、出来る限り平常心で過ごしたいものだと思う。

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2021/1/17

皆さん、ありがとうございます。  はなこ的考察―良いこと探し

 「人の振り見て我が振り直せ」とはよく言ったもので、他者の言動やちょっとした仕草や表情に気付きを与えられることが多い。

 その意味では、自分の不甲斐なさを自覚し、他者の言葉に耳を傾ける素直さ、謙虚さを持ち合わせていれば、自分以外のすべての人や生き物が、自分にとっては教えを乞う存在になる。

 例えば、先日、テレビで見かけた女優の岸本加世子さん。あの長寿番組「徹子の部屋」に出演されていたのだけれど、番組の中で何度も、惜しみなく「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べていた。

 幾つになっても、人に感謝できる素直な心持ちは素敵だなと思った。おそらくデビュー以来、素朴な人柄のイメージがずっと変わらずにある岸本さんには、テレビで視聴者に自分がどう見られたいかなんて打算は端からないのだろう。

 自分を省みれば、結構、家族に対しても不満たらたらだったりする。特にコロナ禍で在宅勤務となった夫と、始終顔を突き合わせているここ1年は愚痴っぽくなった。夫もそんな妻にはうんざりだろうね。

 私には夫への感謝が足りないのかもしれない。当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではないことに気付かされたコロナ禍にあって、定年後も嘱託として仕事を続けている夫の勤勉さと、常に私の体調を気遣ってくれる優しさに、少しは感謝しないとね。

 
 最近、首都圏住みとしては、コロナの感染爆発で二度目の緊急事態宣言が発出され、何かと自主規制しなければならない毎日だけれど、そんな最中だからこそなのか、他人のちょっとした心遣いが心に沁みて、いちいち感銘を受けている今日この頃。

 で、思うのだ。

 自分が人に優しくされた分、誰かに優しく接しようと。誰かに気遣われた分、自分も誰かを気遣うようにしようと。

 しかも、自分の他者に対する態度は、自分に返ってくるようだしね。

 例えば、買物時もレジの店員さんに対して穏やかに接すると、相手も穏やかに返してくる。昨日なんか、私の前の女性客は去り際にレジ担当者に「どうもありがとうございます」と丁寧にお礼を述べて、それを耳にした「実習生」の名札を付けた若い店員さんは嬉しそうな表情を見せていた。

 ああ、ここにも人生の師匠がおられたよ(笑)。

 「お客さまは神様です」の意味を勘違いして、店員さんに尊大な態度を取る人も中にはいるようだけれど、店員さんも心あるひとりの人間、店員というだけでぞんざいに扱われるのはおかしいし気の毒だと思う。

 特にコロナ禍にある昨今は、感染の危険に晒されている職種でもある。感謝こそすれ、自身のストレスの捌け口にすべきではないと思う。


 こういう時だからこそ、自身の感受性を豊かにして、人生の何たるかを他者から学びたいと思う。

     《スペイン、アルハンブラ宮殿からの眺め》
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2020/12/11

意外に知らない110番通報の要領  はなこのMEMO

他の人は月に1回程度回って来る回覧板を、どの程度重要視しているのだろう?私は結構隅々まで読んで、内容をチェックしている。有用な情報があればメモも取っている。特に県警が出している「防犯情報」には注視している。

今月の防犯情報によれば、1月10日は「110番の日」で、神奈川県の場合、昨年1年間の110番通報件数は約84万7,000件もあったそうだ1日当たり2,300件人口の多い首都圏だけあって物凄い数!

私達が110番通報すると、受けたスタッフはまず「事件ですか?事故ですか?」と聞いた後で、次の6つの質問をするそうだ。

@何が ありましたか? 
 →【例】けんかです。
   【例】人身事故です。人がバイクに轢かれました。

Aいつ(発生時間) ですか? 
 →【例】1分位前です。

Bどこ ですか?
 →【例】●●郵便局の前です。
   【例】〇〇交差点です。

C犯人 の特徴は?(人相、着衣、逃走手段、どの方向に逃げた等)
 →【例】30歳位の男が駅の方に向かって走って行きました。
   【例】青いジャージの上下を着た男が、国道〇号に向かってバイクで逃走しました。

D今どのような状況 ですか?
 →【例】人が倒れています。119番には通報しました。

Eあなたの名前、連絡先 は?
 →【例】佐藤です。今、現場から携帯電話で連絡しています。

警察は限られたスタッフ数で、その膨大な通報件数に対応しているので、通報する側もできる限り落ち着いて、必要な情報を伝えることが大切だと思う。まずは深呼吸。ハースー

もちろん、事件、事故に遭遇しないに越したことはないけれど。

今は何事もなく穏やかに1日を終えられたら十分幸せだなと思う。特にコロナ禍になってからは、何気ない日常の繰り返しが、どれだけかけがえのないものだったかが、実感として迫って来る。

けっして大袈裟でなく、自分が今まで生きて来られたことは奇跡なんだと思う。生かされていることに感謝である。

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2020/12/9

紅白歌合戦にもう「勝負」は要らない  日々のよしなしごと

年末恒例のNHK紅白歌合戦、今年はコロナ禍を理由に史上初の無観客開催になると言う。

それは仕方ないとしても、私が長年違和感を覚え続けているのは、番組の最後に紅白の勝敗を決すること。

もう何年も白組勝利が続くことに白けている。白組常勝の理由は明らかだ。勝ち負けの投票に、特定の男性グループ"群"の組織票が投入されているからだ(この組織票の構成員には個人的な恨みもある。以前、映画の試写会で、入場の待ち行列に数十人と言う大量の割り込みをされたことがあった。その手口は2、3人の先遣隊が列に並び、数十分遅れて大人数が挨拶なんぞしながら、しれっと列に割り込むと言うもの)

これでは歌う前から勝負がついている出来レースそのものだ。特別仕様の衣装も用意して出演し、1年の締めくくりに相応しい熱唱を繰り広げる歌手達に対して失礼な話だと思う。

確かに紅白出場を目指す歌手にとっては、出演すること自体が名誉であり、大きな意味を持つに違いない。それでも番組の終いに、自身のパフォーマンスの良し悪しに関係なく、自身が属する紅組の敗北を告げられる女性陣が気の毒だ。毎年、若手女性陣の明らかにがっかりした表情やベテラン勢の諦めにも似た心境が窺えるやるせない表情を見るにつけ、その理不尽さに一視聴者として心が痛む。

年末の民放歌番組は、例えばFNS歌謡祭なんて、とっくの昔に歌手の順位付けは止めて、「お祭り」に徹している。

制作側は「歌合戦」と言う番組名の呪縛から逃れられないのかもしれないが、既に形骸化した紅白の勝負には不快感しかない。そもそも出演者達がが全身全霊でパフォーマンスを競い合っている時点で、「歌合戦」の主旨は十分に達成されているではないか。

紅白歌合戦は、ゆく年の最後の最後に後味の悪さを残すので、本当にタチ(タチ)が悪い。国民から一律に受信料を徴収している公共放送なのだから、「嫌なら見なければ良い」は通じない。

番組の最後に茶番でしかない紅白の勝ち負けを決するのは、もう止めて欲しいと思う。シンプルに男女それぞれが歌手として最高のパフォーマンスを見せてくれることに徹してくれれば十分だ。

2020/12/7

蜜入りリンゴ、美味しいねえ♪  「食」についての話題

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幼い頃、風邪をひいた時に母がすりおろしリンゴを食べさせてくれたのは、振り返ればけっして多くはない母からの愛情を感じた思い出のひとつだ。

その後暫くして妹弟が立て続けに生まれて、当然ながら母の愛情を独占出来なくなったり、父が病に倒れて失職し母が外に働きに出るようになってからは、母自身に精神的にも時間的にも余裕がなくなったせいか、以来、母から目をかけて貰った記憶がない。

考えてみれば、親子が共に同じ屋根の下で過ごす時間は、長い人生の中では思いのほか短い。結婚すれば、配偶者と過ごす時間の方が圧倒的に長い。母との蜜月は短すぎて、さらに大人になって物理的距離が大きく離れたのもあって、今でも心の距離がなかなか縮められない。

幼い頃、母がくれたすりおろしリンゴには、美味しいか不味いかの味以前に、心も身体もほんわか温まった思い出の記憶が濃いと言えるだろうか。正直言うと、たまたま私が住んでいた南方の地方都市には、北から美味しいリンゴが届かなかったのか、子どもの頃、果物としてのリンゴに、美味しさをついぞ感じたことがなかった。私はリンゴより梨、安価なバナナ、みかん、柿の方が好きだった。

そのせいもあってか、年末年始、夫の実家への帰省の度に義母が食後に出してくれるリンゴが苦手だった。倹約家(←そうでなければ、貧しい家計で二人の子どもを県外の大学へ進学させることは出来なかっただろう)の義母はおつとめ品でも買っているのか、歯ごたえのない食感に淡白な味。それまでリンゴの美味さを吟味するほど食したこともなかったが、そのリンゴだけは美味しくないと思った。ただ、大好きな義母が帰省した息子一家への精一杯のもてなしに出してくれたであろうリンゴだから、不味いと言う気持ちはおくびも出さずに毎回平らげた。

リンゴは元々好きではなかったのに、なぜか実母や義母との思い出が深い果物である。

そもそも、実家にいた頃は貧しかったせいか、野菜に比べて高価な果物が毎日食卓に上がることはなく、果物自体、そんなに数多くの種類を食した経験もなかった。

しかし、今では毎朝、季節の果物を食べている。最近までキィウィや柿やブドウや早生のみかんを日替わりで食べていた。そして、先週辺りからリンゴを食べている。

写真のリンゴ。青森県産(ゴールド農園さん)の品種は「ふじ」。断面の中心部の蜜の濃厚な色合いが食欲をそそる。生協でたまたま出ていたので購入してみたのだが、これが思いのほか美味しい。サクサクとした食感に絶妙な甘みと酸味。リンゴをあまり美味しいと思ったことのない私が、素直に「美味しいなあ」と舌鼓を打てる美味さである。

今まで、こういう美味しいリンゴに、たまたま出会えてなかっただけなのかもしれない。還暦近くになって、リンゴの美味しさを実感できようとは、人生にはまだまだ"発見"が尽きないのだなあ…

そう言えば、先日、日帰りバスツアーで訪ねた千葉で、ツアー土産に貰った千葉産の大ぶりのミカンがこれまた美味しく、夫婦して感動した。夫は「人生で出会ったミカンで最高の味」とまで言い切った。「こんな美味しいミカンが千葉にあったなんて?!地元で消費されてしまって神奈川まで回って来ないのか?或いは東京止まりなのか?」と至極残念がっていた。確かに神奈川に30年住んで、今まで千葉県産の梨はともかく、ミカンは一度も地元のスーパーで見たことがない。また機会があれば、是非食べてみたいほどの美味しさであった。


現在は折しもコロナ禍でなかなか楽しさや幸せを実感できない日々だが、ひとつでも素敵なこと、モノとの出会いがあれば、それをいつも以上に深く味わいたいと思う。その意味では、私は昔「貧乏」で、未だに「物知らず」で良かったのかもしれない(笑)。

2020/12/6

再びgoogleに慰められる(笑)  日々のよしなしごと

最近、人の名前が思い出せなくて困る

今日も俳優の豊川悦司の名前が思い出せなくて(彼の顔は脳裏に浮かんでいる!)、
彼の代表作のひとつであるドラマ「愛してると言ってくれ」で検索できないかと
googleで音声検索をかけたら、
google嬢、間髪を入れず、

はい、もちろんわたしは
あなたのことを愛しています


とのたまった

私は今頃googleに、よほど愛に飢えた人間だと思われているかも

まあ、何かと人恋しい"ご時世"だしね


…にしても、毎度笑わせてくれるぜ、google



2020/11/22

新型コロナ禍は、たぶんなるようにしかならない  はなこのMEMO

どんな状況下にあっても心の平静を保ち、状況に応じて適切な対応を取り、極力普段通りの生活が続けられる人は、真に強い人なのだろうなと思います。自分もそうありたいけれど、なかなか難しいのが正直なところ。


夫曰く、「他のアジア諸国同様、感染率や致死率が欧米諸国ほど高くない日本で、新型コロナが経済の停滞と混乱をもたらすほど騒がれているのは、情報化社会による情報過多が原因だろう」と(そういえば、中東発のジャスミン革命もFacebookでの意見交換がきっかけでしたね。結局、ジャスミン革命は中東世界に何をもたらしたのか…)

昔なら地域限定で知られていたであろうイベントも、事件・事故も、対立も、紛争も、そして新たに生まれた思想や価値観も、現代では「情報」として瞬く間にインターネットを通じて世界中に伝播します。

確かに現代の情報化社会では、遠く海外の情報が逐一、瞬時に、時にはショッキングな映像を伴って伝えられるのです。とりわけ、今回の新型コロナに関しては、現時点で欧米諸国での感染者数や死者の数が突出して多い為、欧米ベースの報道が多い日本では、こうした報道が人々に与える心理的影響も大きいと思われます。

連日連夜の新型コロナに関するニュースは、人々を不安に駆り立てるばかり。マスコミは徒に恐怖心を煽っているかのようにも見えます(ついつい見てしまう私も悪いんですけどね)

過去のさまざまな失政に対して誰も責任を取って来なかった政府は、対策が後手後手に回り、決断を求められても明言を避けるばかり。新型コロナ対策に関しても、誰も責任を取りたくないのでしょう。政府内に強力なリーダーシップを取れる人もいないようです。

(とかく日本人は国外で作り出された仕組み・システムを取り入れ、うまくアレンジし、運用するのは得意ですが(例えば、ソフトバンクの電子決済システムPayPayも、決済時にQRコードを用いる手法は中国のアリペイの模倣だし…)、仕組み・システムを一から自分で作り上げることは苦手なように見えます。システム設計が苦手だから(つまり、知略家、戦略家がいない?)、日本ではGAFAのような企業は生まれないし、いつまで経っても国家的な危機管理システムを構築できないのかもしれません。)

そして、ここに来ての新型コロナの感染拡大。確かに全国的な感染者の急増は、医療体制の逼迫を招く重大な局面でしょう。

しかし、現在の日本にとって、「新型コロナ」による死と「経済苦」による死の、どちらがより深刻なのか、冷静に考えることも必要なのかもしれません。

さらに新型コロナの死者の割合は世代によって大きな隔たりがあり、批判覚悟で書くならば、未来ある若者と老い先短い高齢者の人生のどちらを重んじるかも、日本の未来を考える上で重要な選択のような気がします。人は誰もがいつか死にます。その多くが生まれた順番に。これは動かしようのない自然の摂理です。

ここで誤解して欲しくないのは、私はけっして積極的に高齢者の死を望んでいるわけではありません。殆どの病気で最終的に生死を分けるのは患者自身の自己治癒力の有無であり、その意味では老化により体力の衰えが著しい高齢者や持病により免疫力の落ちている人に死亡者が多いのはある程度仕方のないことで、この現象は何も新型コロナに限ったことではないと言うことです。

そして今回の新型コロナでは、後遺症の問題があるとは言え、こと日本では乳幼児や児童生徒、若者に死亡者が殆どいない(11月時点で20代に2人のみ)と言う点は注目すべきことだと思います。新型コロナを理由に彼らの人生で一度しかない子ども時代、青春時代を奪って良いのか、彼らのかけがえのない人生を守る手立てを、大人は大人の責任として今一度知恵を絞って考えるべきではないかと思うのです。

一方で、100年に一度あるかないかの疫病の流行だからこそ、過去の疫病の知見が多少あるとは言え、今、生きている人々の大多数にとっては初めての経験であり、新型であるがゆえに未知の部分も多いので、否応なく社会も個人も影響を受け、変わらなければならない部分もあるのかもしれません。

また、日本の製薬会社の創薬能力(ワクチン開発力)のレベルがどれだけのものか不明ですが、日本政府が新型コロナのワクチン供給に関して、もっぱら海外の製薬会社頼みなのも解せません。このままだと国民を人質に、莫大なお金が海外に流出してしまいそうです。

現在はワクチン開発競争で米ファイザー社が一歩リードしているようですが、日本政府はファイザー社の認可申請を受けて、現在の感染状況を鑑み例外的に治験中にワクチン認可の審査を行うとの報道もありました。通常は審査に1〜2年かかるところを、今回は早ければ来年の2〜3月に認可する可能性があると聞き、正直、安全性に問題はないのか(日本人に適合するのか?、副反応は大丈夫なのか?)、不安があります。

ワクチン接種によって日本人の7割に抗体が出来れば、結果的に集団免疫を獲得することになり、新型コロナ終息の目途が立つとも聞いていますが、得体の知れないウィルス相手だけに、果たして人間の目論見通りに行くのかどうか…。

とにもかくにも、各個人は感染予防に努めて(←これをしない人が一部いるから、感染爆発の事態を招いている。もちろん、予防に努めても運悪く感染し発症するだけでなく、無症状感染者になる、もしくは既になっている可能性もありますが…)この状況下で出来る範囲の日常生活を送り、医療機関にこれ以上の負担をかけないよう気を付けるしかないですね。

さもなくば医療崩壊が起きて、私達は新型コロナ以外の重篤な疾病や事故等の治療が受けられずに、重い後遺症や死亡に至るケースが増える可能性が高いのですから。


因みに100年前のスペイン風邪(後にインフルエンザと判明)では、1918年から1920年の間に、日本は45万人もの死者を出しています。当時の日本の人口は約5600万人で、死亡率は0.8%に上りました。集落ごと全滅と言うケースもあったようです。また、当時の工業地帯の人口過密地域で東京を上回る多数の死者が出たとの記録も。

(2018年時点で日本の人口は約1憶2,650万人、その内、2020年11月22日時点で新型コロナの感染者数は131,397人、死者は最新の11月23日データで2,001人となり、2,000人を超えてしまいました。現時点での死亡率は0.00158%となっています。

尤も人口比の死亡率の高さは、過去にSARSを経験した隣国韓国の0.0009%(死者516人、人口5,164万人)よりも高く、アジアの中ではけっして低いとは言えません。シンガポールに至っては0.0005%と言う低さです。因みに最悪の状況である米国は0.08%で、日本の50倍、シンガポールの160倍もの高さです。データは主に米ジョンズ・ホプキンス大の調査に基づく。)


そして、当時はウィルスの存在も医学的に認知されていなかった時代で、特効薬やワクチンの開発もないまま、全国的なウィルス蔓延による国民の集団免疫獲得によって、スペイン風邪は流行の終息を迎えています。


どこに軸足を置くかで、今回の新型コロナに対する捉え方(どの程度恐れるべきものなのか?それを踏まえて、社会や個人は新型コロナとどう向き合うべきか?)も、今までとは違って来るのかもしれません。

   《ベルリンの壁を近くの展望塔から望む》
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壁崩壊25周年の時、メルケル首相が、数年前の私と同じ覗き穴から壁の向こうを覗いているのをニュース映像で見かけて、不謹慎にも…嬉しく感じてしまいました。ベルリンの壁を目の当たりにした当初は、それまでの数々の映像で見たのとはだいぶ印象が違って、その本来の忌まわしさが目の前の殺風景な佇まいからは実感できませんでした。

2020/11/13

新型コロナとインフルエンザのシンプルな違い  はなこのMEMO

「新型コロナ」と「インフルエンザ」は共にウィルスで、
症状が重篤になれば肺炎を発症して、
死に至ることもある恐ろしい感染症です。

今更ながら知ったのですが、
両者の間には肺炎を発症する仕組みに違いがあるようです。


インフルエンザウィルスは感染後に患者の体内で増殖して、
患者の体力を奪い、その免疫力を弱めてしまうのですが、
その結果、

肺炎菌等の細菌が患者の肺に入り込んで
肺炎を引き起こすのに対し、

新型コロナウィルスは

新型コロナウィルスそのものが患者の肺の中で増殖し
肺炎を引き起こす

ようです。

つまり、インフルエンザウィルス感染由来の肺炎は、
『細菌性肺炎』である為、既存の抗菌薬により治療が可能
なのに対し、

新型コロナウィルス感染由来の肺炎は、
新型コロナウィルスに対する特効薬が現状存在しない為、
医療現場では、既存の様々な治療方法を試行錯誤するしかない
わけで、
その結果、ひとりの患者に対して、
従来の肺炎以上に多くの医療従事者が治療に当たることになる。

このことが医療現場の負担増と
医療従事者の疲弊を招いているのですね。

しかも「第三波」の到来と言われる現在は、
免疫力の衰えた高齢者の重症患者が急激に増えいる。
高齢者の場合、回復が遅く治療に時間がかかるため入院期間が長く、
治療に当たる人手も空きベッドも余裕がなくなる等、
新型コロナの治療を担当する医療機関は、
さらに厳しい状況下にあるようですね。


因みに、インフルエンザの特効薬の代表的なものは
ウィルスの患者体内でのウィルスの増殖を抑制して、
患者の体力、ひいては免疫力の回復を目指すもの。

だから、感染から一定の時間内に服薬しなければならない。
感染からあまり時間が経ってしまうと
ウィルスが体内で増殖し過ぎて、抑制できなくなるからなんですね。


最後の頼みは結局、患者自身の『自己治癒力』なのです。


そもそも従来から「風邪」の特効薬を発明すれば
ノーベル賞受賞確実と言われていますが、
この「風邪」の原因となるウィルスのひとつがコロナウィルスです。

今回問題になっている新型はやたら感染力が強く
コロナウィルスの中でもSARSやMARSのように
致死率の高い「重症肺炎」を引き起こす点が厄介。


数種類あると言われる従来の型のコロナウィルスでさえ、
その特効薬が未だ開発されていないのですから、
新型コロナウィルスの特効薬がそんな簡単に開発されるわけがない。

だから、各個人が出来る限り感染しないよう気を付けるしかない。
(それでも感染してしまったら仕方ないですね)

その予防策は100年前のスペイン風邪の時と殆ど変わらず、
(当然ながら、日頃から十分な栄養と睡眠を取り、適度にユーモアのある、
ストレスを溜め過ぎない生活を心がけつつ…)


マスクの装着
こまめな手洗い、消毒
密の回避
換気

の徹底に努めること。

凄くシンプルですが、今年インフルエンザの罹患が激減していることからも、
ウィルス感染予防には確実に効果が見られるようです。

手指のアルコール消毒はアルコールの揮発との勝負で、
まず指先から消毒して速やかに指と指の間、手首まで広げること。
目や口や鼻の粘膜に触れやすい「指先」の消毒は特に重要みたいですね。

(感染症予防策が100年経っても殆ど進歩していない、
人類の無力さに愕然としますが…
人類も他の動物同様、ウィルスの宿主になること自体、
人知を超えた自然の摂理とも言える現象なのではないか、
ウィルスを制御しようとの人類の目論見はうまくいかないのではないか?
さらに言えば、絶えず人類に襲いかかる「感染症」と「天災」と「戦争」は、
「自然(地球と言う生命体?)」によるヒトと言う種の総数調節作用なのでは?
とさえ思えるのです。

だからこそ、人類はもう少し「自然」に対して謙虚になるべきなのでは?
さもなくば、人類はこの地球上から、自然によって
容赦なく排除されそうな気がしてなりません。)


さらに感染を広げない為に個人で気を付けるべきことは、
普段の生活の中では人と接触する時に、
「ウィルス飛沫の飛散を防ぐ為」にマスクを常に装着
すること。

例えば飲食店では、幾ら店頭で手指のアルコール消毒をしても、
おしゃべりしながらの飲食ではウィルスの飛散は防げません。


私も今ではたまにカフェを利用しますが、周りを観察してみると、、
友人との久しぶりの再会で気分が高揚するのか、
若い男女も、私と同世代のおばちゃん達も、
マスクを外したままのおしゃべりが凄いです。
まさに口角泡を飛ばして、と言う感じ。

暫く会えなかった反動なんでしょうね。
おしゃべりに熱が入る気持ち、分からなくはないのですが、
こりゃ長居できないやと、私はそそくさと退散します。
外で入店を待っている人もいるし…

お酒が入っていなくてもこうなんですから、
お酒が入ればどうなるか、想像に難くない。


会食すること自体は悪くないと思うのです。
でも、相手と一定の距離を置きながら、

飲食中はしゃべらない
食後にマスクを装着しておしゃべりする

最低限このふたつを心掛けないと、
会食によって感染を広げてしまう可能性が大きいと思います。

ついでにダメ押しすれば、装着するマスクも、
『使い捨てが基本の新品の不織布製マスク』でないと
飛沫予防効果は半減みたいですね。

←最新(2020.11)のスパコン富岳の飛沫飛散度比較シュミレーション
によると、
半減とまでは行かないようですね。せいぜい10%程度の違い。

使い捨ての不織布マスクでも製造会社によって品質差があるし、
布製マスクでもさまざまな工夫により性能の高い製品がある。

要はとにかく人と接する環境にいる場合はマスクを装着すること。
マスクは顔にフィットさせるよう正しく装着すること。
そして、咳やくしゃみをする時はマスク装着中でも、
肘で口元を抑え、飛沫の飛散を防ぐこと。
 


言うまででもなくマスクはけっして感染症を完全に防ぐものではないけれど、
感染症対策として重要なファクターである
ウィルス飛沫の飛散予防に一定の効果があると既に認められているので、
国民の生命線である経済活動を止めない為にも、
個人が確実に出来る予防策として、マスクの装着に努めようと思います。

私達ひとりひとりが。自分自身も「感染者」「ウィルスの運び屋」
と思って行動するようにしないと、
狡猾な新型コロナウィルスの蔓延は防げないでしょうから。

今日の報道によれば、東大でのマウスを使った実験では、
最近流行の新型コロナは、当初の武漢型から変異して、
感染力がより強くなっているとのこと。

空気の乾燥と低温化でウィルスの感染力が強まる昨今、
今一度、気を引き締めて感染予防に努めて、
医療関係者の負担を増やすことのないよう気を付けたいと思います。


因みに市販の風邪薬は鼻炎、咽頭炎、発熱などの各症状に対して
対症療法で応えるもの。風邪そのものを治す薬ではありません。
私達は薬で上気道炎のそれぞれの症状を抑えて、体力を回復させ、
最後は自己治癒力で風邪を治しているのです。
抗生物質は細菌に対してのみ効果があるので、
風邪ウィルスには効果がないのですが、
かつてはなぜか風邪で抗生物質を処方されることが多かったですね。


しかも最近は風邪の諸症状(発熱、咳、くしゃみ、鼻水)は、
体内から風邪ウィルスを排出する免疫の働きによるものなので、
風邪のひき始めに無闇に解熱剤を用いて熱を下げることは良くない、
とも言われていますね(病院の血液検査で白血球の数値が上がっていると、
白血球がウィルスや細菌と戦ってくれているのねと感謝する今日この頃)


風邪をひいた時には、持病もなく健康ならば、
「すぐさま病院での受診や服薬をしなければ!」と慌てずに、
まずは休養(栄養と睡眠)を取って様子を見ることが肝要、
との意見が多数を占めつつあります。

2020/11/2

ホントにもう新型コロナでいろいろな予定が吹っ飛んじゃって…  日々のよしなしごと

今年、2020年と言う年は、おそらく世界中の多くの人が、
新型コロナに振り回された年だと思います。
しかも、この状態は、いつ終わるとも知れないタチの悪さ。

今年は(自慢じゃないが)数少ない友人にも(その仕事柄)会えず、
息子の結婚と言う、家族にとって大きな節目にも関わらず、
婚約者の我が家への来訪も叶わず、
ハワイでの挙式も(来年もどうなるか分からないのに)
来年に延期となり、
離れて住む息子夫婦の新居にも未だ行けず、
私にとっては最後の出席となるはずだった
3月開催の西美の展覧会レセプションも中止となり、
緊急事態宣言で大好きな映画館も美術館も休館となり、
6月に予定していた夏休みのマレーシア旅行も中止となり、
楽しみをことごとく奪われ、
やるべきこともことごとく未だ予定が立たず、
心が晴れないと言うか、モヤモヤしてしょうがない

さらに新型コロナ感染を恐れて歯科治療を控えたばかりに、
歯根が炎症を起こして、鎮痛薬も効かず夜も寝られないほどの痛みを経験し、
完治に2カ月もかかってしまいました。

悪化していた左手親指の腱鞘炎も、
10月にようやく手術を受けることができました。
先日抜糸をしたのですが、腫れはひいてないし、
痛みもまだあります。完治まではまだ暫くかかりそう…
とは言え、1年以上悩んでいたバネ指状態は解消したのだから、
良しとしなければね


ホロスコープ的には、12年に1度の大幸運年だったはずが、
なんだかアンラッキーてんこ盛りの1年になりそうです。
もうこうなったら笑うしかないですね 


真面目な話、
「こんな時だからこそ、日々の暮らしの中で、
小さな幸せ、楽しみを見つけることが大切だ」と、
最近の新聞のコラムにもありました。
その切り抜きを台所の食器棚に貼って、
折に触れて読んでいます。

米国のさる有名な心理学者曰く、
何事にも「ありがたい」と感じ易い人は、
人生の満足度が高いのだとか。
日々意識して5つの感謝を記録することで、
「睡眠の改善」や「意欲の向上」も見られたと言う
研究結果もあるそうです。

ポジティブなメッセージは素直に受け止めたいですね。
何かを学びとろうと思うなら、まず素直にならなければ…
と日々自分に言い聞かせています。

2020/11/2

Googleに慰められる?△※✖〇◇  日々のよしなしごと

OK Googleで、近日公開の映画のタイトル
「おらおらでひとりいぐも」を音声入力したら、
即座にGoogleが音声で

「なぜか寂しい気持ちなってしまうことが
ありますよね。
わたしでよろしければ、
いつでも話かけてくださいね」

と反応した。

うん?もしかして私、Googleに慰められてる?

傍でそのやりとりを聞いていた夫は、

「Googleって方言も理解できるのかな?
だとしたら凄いな」

と感心することしきりでした


秋の夜長のよもやま話

2020/10/25

久しぶりに横浜MM散歩♪  携帯電話から投稿

今日は絶好の行楽日和なので、
きっと人出が多いのだろうなと思いつつも、
横浜みなとみらい地区にやって参りました

案の定、行く道で多くの人々とすれ違い、
目指す山下公園で今日はベンチに座れないだろうなと
覚悟していましたが…
ラッキーなことに座れました♪
しかも、海を正面に望める特等席

絶妙なタイミングでベンチを空けてくれた方、アリガトー

夫が、はなこの日頃の行いが良いからかな?
と言っていましたが…そんなことはないですね

ベンチから見える景色は、雲ひとつない空の青と
ベイブリッジ、豪華客船、ターミナルビル、
そして公園の岸壁の手摺の白が、
絶妙なコントラストを描いて印象的です。

また、清澄な空の青さに呼応するように海の青さも際立って、
あたかも空と海が一続きのように見えます。
「水天一碧」とは、まさに今日のような風景を言うのでしょう。

空はどこまでも青く、高く、その開放感たるや、
10ケ月続くコロナ禍の鬱々とした気分も、
しばし忘れさせてくれます。

人間、俯いてばかりいてはダメですね。
辛い時こそ、顔を上げなければ。
晴れた日は、空を見上げなければ。

晴れた日の山下公園、サイコー


山下公園に到着して驚いた、と言うか、残念に思ったのは、
いつも利用していたコンビニのローソンが、
9月末で閉店していたこと。
今は看板もなく、もぬけの殻となった店舗の
入り口の張り紙で初めて閉店を知りました。

これもコロナ禍の影響なんでしょうか?

ローソンの閉店で、
公園来訪者の飲食のおこぼれに与れないと知ってか、
公園の風景の一部だったカモメの姿も消えています。
一方、姑息な(笑)鳩は数こそ少ないものの、
人出が戻って来たのを敏感に察知したようで、
馴れ馴れしくベンチの周辺を徘徊しています(笑)。

諸行無常とは言え(ホント、容赦なく変化して行くんですよね)、
見慣れた風景から馴染みのものが消えてしまうと、
寂しいし、哀しいですね。

コロナは最終的に、私達から、いったいどれだけのものを
奪って行くのだろう…
私達は失った代わりに、何かを得ることはあるのだろうか?

人波の途切れた時がシャッターチャンス
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2020/6/13

今日は朝から雨  携帯電話から投稿

紫陽花は、雨がよく似合う。

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