※こちらのレポは管理人の主観的な記憶にのみよるものですので、実際とはちょっと違ってるかもしれませんことをご了承ください。
特に会話の内容はそのままではなく、「だいたいこんな内容の事をしゃべってたと思う」程度の認識でお読みください。
また、間違ったことへの指摘や、コレはヤバいからアップしない方が良いよ、等のアドバイス等ありましたらお知らせください。
トークライブに参加された方は思い出を、参加されていない方にもお裾分けを、楽しんで頂ければ幸いです。
※完結しました!連続3本の続き記事になってます。
※※追記※※
次回のトークライブ(忘年怪)の予定日が12月14日から21日(金)に変更となったとの告知もあったのでした。レポで書くの忘れてました。申し訳有りません(汗)。
○本日のラインナップ
<サプライズ企画! 30周年and誕生日おめでとうございます! 踊るDとナマスもあるでよスペシャル(勝手につけた)>
<通常モード〜上映作品>
●地獄へ続く部屋
●TATARI
●僕のエリ 〜200歳の少女
●モールス
●遊星からの物体X
●遊星からの物体X~ファーストコンタクト
まずは…
<サプライズ企画! 30周年and誕生日おめでとうございます! 踊るDとナマスもあるでよスペシャル(勝手につけた)>
いつも通り12時ちょい前に階段に並ぶ。
ちょうど12時開場でナイスタイミング。
入るとコスプレしたDakatsu氏やナースな総婦長さん@仕事着に、謎の包みとクラッカー、女子には赤いレイを手渡される。
包みの中身は「人面瘡@菊地先生」。
菊地先生がレジン制の人面ソになってしまっています。別パーツでちゃんとメガネもかけています。ソックリです!
ゴム紐がつけられていて、手のひらに装着することが出来るスグレモノです(笑)。
着席後にはいつものお菓子配り。ニャンコアメとなぜかタコヤキせんべえを配るわしら。
遣りてコムスメの伯お嬢が勧誘に成功した、お初の娘さん達ともご挨拶。大阪からお越しの可純さんと、可愛いアニメ声のこのめさん。
前回お会いした素敵ボディーと低音ボイスがセクスィーな越街さんとも再開。相変わらず色々ナイスです!
そして伯さんは今回も気合の入った白いドクターコスでトテトテ歩いてます。おニューの19センチヒール半端ねえ! バトルフィールドアースか!とか思ったけど(笑)、ご本人の元の身長が小柄なので普通(汗)。
伯さんには別件でお願いしていた手作りペンダントヘッドをいただきました。素敵です〜。このあとずっと装着してましたら、周囲の女子に好評でした。ふふ。帰ってから見たら、青スワロ一個紛失で凹む(えーん)。
今回のトークライブは菊地先生デビュー30周年+9月25日が先生の63回目のお誕生日ということで、先生に内緒で悪巧みサプライズを有志で企画しお祝いする所からスタートです。
そんなわけで、会場内には賑やかしのコスさん多数。
なんちゃってコスの私ら夫婦も、クチュルーさま帽子とマスク(目出し帽)の被り物。
後ろの席の梅にゃんとぴんかしゃんに、持ってきたクチュルーさまパペットを渡して賑やかし拡大。渡したクチュルーさまがなぜかお花の頭飾りつけて可愛くされとる…。かっ‥可愛いじゃないかー。
他にもゴージャス姫(夜叉姫)のチャイナYさんに、屍さんコスなAMさんやお花になったおまえさん、ケビンさんは子供が泣きそうな神祖コス!などなど…。
これ全て、ただの賑やかしです(笑)。
コスコンではありませんが、皆さん気合入ってます!
あ、キンパツズラのDakatsu氏は何のコスだろと思ってたら、「魔性馬車」の執事だったらしい‥。分からんかった。
(コスの伝達が前回とかの場内で、顔見知りの常連さんズにコッソリ程度だったので知らない方も多かったかとは思いますが、充分にぎわってたと思います)
ステージ右奥には巨大なバルーンアート@菊地先生が鎮座してます。デカっ。
時間になって、菊地先生と今回のゲストの編集者山田さんのご登場〜。
コスが多い怪しげな場内に驚かれる先生。
紅いヒトが簡単な進行をしてくれます。
まずは新進気鋭の「アニメーター」でもあるすっかり常連のヘンリーさん制作のアニメーション。
Dを始め多彩な菊地先生のキャラクター達が総出演。荒廃したどっかでみたよな背景を背に、不思議ダンスをクネクネ踊る真紀絵やブレイクダンスするD。アニメ化されたキャラやコミックスのキャラがメインだったようですが、無礼帖の外谷さんもいます(笑)。
面白いことに、描く人がアメリカ人なのでキャラがみんなアメコミっぽい。動きもあちらのカートゥーン特有のニョロニョロした動き。ほほー。
彼らが揃って♫ハッピバースデートゥーユーと歌います。完璧な英語発音の合唱(笑)。
それを指揮するチビキャラ菊地先生がムチムチしててかわいい。
歌も終わってめでたく終了かと思ったら、なぜかDがチビ菊地先生の前に立ちはだかり、スパスパっと先生をナマスに切り刻んでしまいました。
ここで「Happy Birthday!」と出てエンド。
はは。ブラックでしたね。パチパチ〜!
ヘンリーさんが2ヶ月かけて制作したそうです。お疲れ様です。素晴らしかったです!
続いて会場みんなからの「ハッピーバースデーソング」。
歌い終わりでクラッカーを鳴らして、コスプレ美女たちからの花束贈呈、続いて恒例のレイにまみれてレッドキング状態の菊地先生。
皆で菊地先生人面ソを左手につけてアピールもねっ。
ケーキもありますよっ!
30の形の大きなケーキにロウソクがタップリ載って登場!
菊地先生に炎を吹き消してもらいます。
立ったままケーキを持ってよろめく先生に、会場から「先生頑張って〜」。
見事一吹きとちょっとで吹き消しました。
こちらのケーキはこの後切り分けられて先生達と、企画の協力者さん達に回ってきてたみたいですね。
ステージの背後には、菊地先生の著作362冊(か363冊くらい?)の作品の年代別リストが張り出されています。
それを見ながら、今までを振り返る菊地先生。
デビューはちょうど30年前の1982年。
デビュー作の「魔界都市〈新宿〉」は9月発売。
菊「奥付は9月30日だと思うんですが、実際の発売日は25日くらいなんですよね。書店に見に行きました」
82年はその1冊だけ。
翌83年にDとエイリアン3冊と「インベーダー・サマー」。
菊「Dとエイリアン書いたあと、もっと情緒的なのを書きたくて…」「エイリアンは『中ヒット』だと言われて嬉しかったですね。小ヒットよりいいじゃない。それで続けてエイリアン」
84年もソノラマでDとエイリアン、そして「妖神グルメ」。
菊「この当時のソノラマは好きに書かせてくれたんですよね(笑)」
85年にソノラマ以外の6社くらいから執筆以来が。
菊「こっちとしては依頼が来た順…A社B社C社K社S社‥と書こうと思うんですが、当時のS社の編集長が『菊地さん、K社は書いてもいいですが、次はS社ね(断定)』」
山「スゴイ人でしたからね」
菊「俺も、編集に上から言われるのは嫌いじゃないもんで(笑)。気安い編集より付き合いやすい」
この辺からもの凄い人気が出て忙しい毎日。
この頃はまだ机で執筆していたそうで、食事とトイレや睡眠以外はとにかく机に向かって書いていたとのこと。
「魔界行」の発売もこの年。
菊「初版か第3版くらいまでのは古本とかで探して持ってると良いですよ。今出てるののTは『復讐編』になってると思うんですが、初版は『第一次復讐編』になってます」
変更はそれだけじゃなくて、とにかく誤字脱字がもんの凄いことになってて、考えられないレベルだったらしい。
菊「スケジュールがね、とにかくキツくてね。間に合わないからとにかく出しちゃえ、と。直しは重版かかってから、と」
でも直しが間に合わないくらい凄まじい勢いで重版がかかっちゃったので、第3版くらいまでは直っていないそうです。
山「初版のオリジナルにはもの凄い付箋が貼られたのが社に残ってましたよ(笑)」
更に最近再販した分の魔界行も結構直してるらしい。どんだけー。
菊「直しって言ってもね、言い回しがちょっとアレダナーってとことかを直してるんですよ?」
菊「この年は『妖魔戦線』も出てますね。これも売れましたねvv とにかく世の中への恨み辛みを書きましたねえ…(笑)」
この時も発売日に本屋へ行って見たらしい。
どなたかのイベントに行く用事があったので、それの後の午後に改めて同じ本屋へ行ってみると、平積みだった本が「完売」となっていたそうな。スゲー。
菊「この年は『妖獣都市』もか…」
山「アニメ化もされましたね。映画化も」
菊「アニメは良かったよね!Dの2作目を監督した…誰だっけ?」
会場「川尻監督!」
菊「そう、川尻さん。良かったよね〜。(実写)映画の方はアレだったけどね」(華麗にスルー)
魔界都市ブルースは86年。
菊「魔界都市ブルースは最初、『SFマガジン』に掲載したんだよね」
ところが同誌に連載してたとある作家が『この作品はいやらしすぎる。一緒に掲載されたくない』、つまり菊地先生は使うなとか言ったらしい。
そんなわけで魔界都市ブルースは祥伝社に。
菊「大損してますよね、その会社は(笑)」
山「こっちは大助かりでした(笑)」
菊地先生はこの頃にはすっかり「長編作家」になってしまったけど、時々他社に魔界都市ブルースの短編を書いて、祥伝社でまとめて出しているそうな。気づかなかったー。
山「他所でもどんどん(短編を)書いてください。うちで(単行本を)出しますからって(笑)」
この頃引っ越ししたんだっけ?な話から編集さんの話になります。
当時は原稿を待つ編集さんが別室によく待機してたらしいんですが、菊地先生が執筆してる時に、隣の部屋から編集さんの笑い声が聞こえる。部屋にあったテレビでお笑い番組を編集さんが見てる。
菊「当時はB21スペシャルの人気がすごかったんだよね。それ見て笑ってやがんの」
でも先生も机の横のテレビでビデオ(映画)見て笑ってたらしい(笑)。
山「あとがきの『〜を観ながら』ってありますけど、本当にいつも映画を観ながら執筆してますよね。ながら見で。」
Fax導入後は編集さんが隣室で待機ということもなくなったそうなのですが、当時は賑やかだったみたいですね。
先生の奥様がよく、編集さんにお弁当を作ってくれていたそうな。
なかでもT編集さんというのが、とにかくなんでも残さずに食べるということで、奥様のお気に入りだったとか。
このT編集は、先生のあとがきにもよく登場したため、ファンクラブまで出来たとか。編集部にもファンクラブの女性が押しかけてきたそうな。
菊「ファンクラブ作るとかで女子大生がそのT編集に会いにくるってんで、心細いからついてきてくれとか言われちゃってさ。京王プラザのラウンジでその女子大生を前にして縮こまってるT編集を、隣のブースからこう、身を乗り出して聞き耳立てたりとか‥(笑)」
山「先生があんまり編集者のこと書くもんだから、他所の出版社の編集長から文句言われたりしましたよ『うちの編集者がおたくの編集さんのお世話になりまして‥』とか。冗談じゃないですよ?」
菊「わはは」
山「本当あとがきはシャレになんないんですからあ」
タイヘンっすね。
デビュー後数年だけでも結構な思い出話が満載です。このペースでは終わらないので、後は印象に残ってる作品や気に入ってる作品とかについていくつか‥ということに。
リストを見ながら。
菊「『吸血鬼幻想』…トランシルヴァニアへNHKの取材で行ったヤツはよく覚えてますよ。とんでもねえ国だった」
とにかくとても貧しい国で、世界で(ヨーロッパで?)唯一マフィアがいない国なんだそうな。あまりにも貧しいので、マフィアの経済活動が成り立たない。お隣のブルガリアなんかにはいるのに。(取材当時はってことですが)
取材中にも取材用の機材を積んだワゴンが盗まれたりしたとか。その車は現地のドライバー個人のもので、ドライバーが泣くので可哀想になってみんなで警察に行ったんだけど、警察は全くやる気がなさそうで、通り一遍の事情聴取を行っただけで、捜査してるようには見えなかった。
結果的に車は見つかったが、他は‥。しかし不幸中の幸い、当時はまだβのビデオテープを使っていたため、カメラとフィルムは無事だったとか?(ヨーロッパはすでにVHSだった)
先生の物も盗まれたとか。菊「パリのホテルのスリッパと電子手帳。電子手帳が無くなったせいで、○○のお店に勤めてた女の子に連絡が取れなくなって困った」
他にも、パリの空港でトランシルヴァニア行の飛行機を待っていると‥とかヤバ気な話もありましたが自主規制(笑)。
菊「『ガンスモーク・ロード』なんかも好きでしたよ。『アームズマガジン』に連載してましたね」
とか。
忙しい時は、作品の舞台が狭くなるらしい話とかも。
菊「エイリアンシリーズは基本、世界中あちこち行く話なんですが、『妖山記』だけは終始山の中なんですよね」
忙しくて取材とか調べ物ができなくなるから?
菊「現在362冊なので、もう10〜15年くらい頑張って、500冊を目指したいですね」
山「西村(京太郎)先生がこないだ500冊超えたとか」
菊「うへえ」
山「それでギネスブックに申請しようとしたら、駄目だったそうです。フィリピンかどっかに、著作数800冊の人がいるらしくて…」
菊「800冊!」
山「1冊1冊が薄いらしいんですけどね」
菊「そうか。ページ数薄くても1冊は1冊だもんな」
山「赤川次郎先生も500冊越えたそうですよ」
菊「ぎゃふん」
山「西村先生は今年82歳くらいなんですけど、年に21冊とか出してますよ」
菊「トシとってからの方が調子良いのかな? 良いこと聞いた(笑)」「まあ、とにかく500冊を目指して頑張ります」
頑張ってください!
15年何て言わずに、もうあと30年くらい(笑)。
菊地先生のお話はだいたいこのくらい。
ここまで約1時間ほど。
さて続いては通常モードの映画上映です。
※記事長くなったので下へ続きます↓。

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