「パーフェクト・センス」  

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この映画はパニック映画という体裁を借りた深い人間ドラマであり、示唆に溢れた哲学的な映画でもある。人間とは何なのか、人間はどこに向かい、何を求めているのか、人間という実存への果てしなき問い掛け。

「SOS」と名付けられた原因不明の感染症が世界的に猛威を振るい始める。

突然の悲しみに襲われ泣きわめいたかと思えば次の瞬間には嗅覚を失う。そして次第に味覚、聴覚と五感を失って行き、瞬く間に世界は混乱し、人類存亡の危機を迎えるのだった。

感染症を研究する科学者スーザンとシェフのマイケルは、そんな混乱の最中に出会い惹かれ合って行く。

ストーリーの詳細に関しては物語の性質上この辺りで留めておきたい。

「SOS」と名付けられる未知の感染症の正式名称は「重症嗅覚障害症候群」。
しかしこの映画でその「SOS」の正体に関して追求されるような筋書きは一切ない。
そこがこの映画の重要なテーマ、そして核心を物語っている。

病は打ち拉がれる堪え難い悲しみ、喪失感、後悔に根ざした慟哭から始まる。
涙が涸れた時には、もう既に嗅覚を失っている。

そして聴覚を失う前には、とてつもない怒りが自分を支配する。

それでも混乱に陥りながらも日常を取り戻そうとする人間の強さ、逞しさ。

遂に最後に残された視覚を失う直前に現れるのが、多幸感だ。

この順番にも非常に大きな意味が込められているのを感じる。

常に疑わずとも自分の手中に、傍らにあるものだと思い込んでいたものを失った時の喪失感は、とてつもなく心にトラウマティックな傷を残す。

そして人は、自分を責めたり、人を責めたり、人生という自分の本質に関わる部分に禍根を残したまま日々を凌いで行く。

しかし、それらを経験したことによってしか味わえない深い「愛」深い「幸福」を知ることが出来る。「愛」や「幸福」は掴み取るものではなくて、常に傍らにあって「感じる」ものだということ。

それを感じ得る為の媒介こそが、何かを失ったり、怒ったりという自分の紛れもない歴史であり物語。


何かを失ってこそ、人は人としての原初の魂に返れるのかもしれない。

何かを手放してこそ、人は生きていることへの感謝の念が沸き上がるのかもしれない。

世の中から何かが失われ、姿を消したとしても、それでも人は生き続ける。

人はそれでも生きて行く。

人は常に自分に「付け足して」いこうとする生き物だ。

そしてその「付け足された」重みに堪え兼ねて歩を進めることを諦めもする。

そして「付け足す」ことで傷付いたら人を恨み、怒りを露にする。

「付け足す」ことで自分も人も傷付けていることに気付こうともしない。

きっと人は「引き算」をしてこそ、自分の本来の姿に気付き、その輝きを享受出来るのかもしれない。

何かを失って嘆くことはない。

何かを失うことによって、貴方は本来の自分へと次第に返っているのだから。

何かを失うからこそ、与えたいと思え、許したいと思える。

何かを手放すからこそ、寄り添い、抱き締め、愛することが出来るのだから。

Life Goes On...



2011年・イギリス
デヴィッド・マッケンジー監督
原題:Perfect Sense
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