「家族の庭」  

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どこまでも「優しい」映画。

きっとこの映画を観る人は、トムとジェリー夫妻の立場で観るか、女性であればメアリーの立場か、男性であればケンの立場で観るかに分かれるのかもしれない。

地質学者のトム、そしてカウンセラーをしているジェリーは長年連れ添った夫婦。

普段は互いに仕事をこなし、休日には市民農園で野菜を育てる穏やかで幸せな暮らしをしている。

そんなトムとジェリー夫妻の元には、夫婦の人柄もあって友人達がいつも訪れて、自分の身の上話をする。

そんな友人達の悲喜交々の人生に夫妻は、いつも黙って耳を貸し、そして寄り添い、肩を抱き、時に抱き締める。

ジェリーの同僚で病院で秘書をしているメアリーは20代で結婚に失敗して、30代で男に逃げられてからというもの、とことん男にツイていない。意中の男性にはいつも彼女がいて、その度に酒に溺れる。そんな彼女は恋愛で行き詰まった時にはいつも夫妻の家を訪れる。夫妻が彼女の思いを受け止め、話を聞いてくれるからだ。

長年の友人ケンは親友夫婦を亡くし、馴染みのパブに顔を出せば若者達が騒がしく行けなくなったと、我が身の孤独さと老いに嘆く。やはり夫妻は突然泣き始めるケンを優しく抱擁する。

トムの兄ロニーは妻のリンダを亡くし、夫妻と息子のジョーが葬儀に駆け付ける。ロニーの息子のカールは2年間も音沙汰なしで、母の死を聞いて葬儀に遅れて駆け付けるも間に合わず「何故俺が来るのを待てなかった」と父を激しく罵る。そんな息子の言動に狼狽える兄ロニーをトムは抱き締め「うちに来てくれ」と自宅へ連れ帰るのだった。

どれも、私達の身近で起こりうる、そして自分の身にも十分起こりうる人生の物語。

幸せそうなトムとジェリーの姿を、自分の情けない哀れな人生と比べて落胆するメアリーだが、この映画が伝えたいメッセージは、そのどちらの人生も本当は輝きに満ちていて意味のあるものだということ。

メアリーはポツリとこう言う「人と話せるのっていいわね」

そう!その自分が話したい、聞いて欲しいと思える相手がこの世に存在しているという事実も、自分の人生が大きな意味を持っているという証拠だし、自分の個性や感性の賜物なのだ。

人の記憶の中に、自分という存在があるという事実さえも、もうそれだけで大きな意味を持っている。情けなくても、哀れであっても、いつだって人生は有機的に動いているんだから。

今自分の思いを話せる相手がいなくても、いずれそういう人は貴方の元に、貴方の話を聞く役割を持ってそっと現れるはず。そんな時に、心を開いて委ねられる様に、今を精一杯生きるべきだ。

この映画を観ていて「男はつらいよ」を思い出したりもした。いつも辛い時は「男はつらいよ」を観るとホッとしたものだった。

寅さんを始め、おいちゃんや、おばちゃんや、さくらは見ず知らずの人でも、いつも笑顔で「とらや」に招き入れて笑顔で相手を労り、その相手の心を慮ろうとする。夜になるとごちそうを振る舞って、2階の寅さんの部屋に泊めたりもする。相手が複雑な心情を心の奥に仕舞い込んでいて作り笑顔でその場に座っていても、その気持ちを推し量って、核心には触れずとも相手の心にそっと優しく寄り添おうとする。

そんな「とらや」の人達を見ていると「僕もスクリーンの中に飛び込んで、このくるまやの団欒に加わりたい」そう思えたものだった。そして「くるまや」の人達に話を聞いてもらったり、一緒に些細なことで笑い合えたら、もうそれできっと十分なのだろうと思えた。

形は少し違うが、そんな手触りがこの「家族の庭」にはあった。

僕もいつかそんな「庭」を提供して、人を包容力一杯に包み込める人になれたらと思う。



2010年・イギリス
マイク・リー監督
原題:Another Year
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