Diary of a Mad Old Man

2021/9/18 | 投稿者: pdo

谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』を青空文庫でダウンロードし、それをワードにコピペし、原文のカタカナをひらがなに打ち直す作業に没頭している。こうすることで、あの読みにくいカタカナの文章を読み易くすることができるだけでなく、単純に読むよりも文章が頭に入ってくるし、谷崎の文章の雰囲気やリズムといったようなものを何となく体で感じることができるというメリットもある。この作業を通して分かったのは、谷崎の文章は決して癖のある新奇なものではなく、むしろまったく逆で、きわめて平易な分りやすい文章だということだ。これは、耄碌した老人の身辺雑記というこの作品そのものが要求した文体なのかもしれないが、それにしても、ドロドロした官能とマゾヒズムの世界、という作品世界の一般的なイメージとはまるで異なる、サラサラした清流のような文章なのである。同時にこれは非常に高度の知性によって書かれた文章であるということも分る。今でこそ老人の倒錯した性愛を描く小説や映画やドラマは巷にあふれるように存在するが、当時の社会通念からすると飛んでもない逸脱した世界観を表現するのに、読者になるべく抵抗のないやり方で、よどみなく小説の中に引き入れるというのは、きわめて用意周到かつ洗練された作品構造とスタイルを必要とする。これをあっさりと成し遂げている手腕はやはり只者ではない。

だがずっと打ち込んでいると手が疲れる。原稿用紙に手書きすればもっと疲れるだろう。尤もこの作品は殆ど口述筆記によるものだが、それでも小説を書くというのは体力の要るものだと感じる。八十歳近くでこれを書いた谷崎はやっぱり凄い。自分にはとても無理だ。そもそも八十まで生きるとは思えない。まともに仕事できる体力のあるのはせいぜいあと十年くらいだと思う。何とかそれまではそれなりの収入を得たいのだが、インボイス制度や何やらで国家に搾取される金額もどんどん増えそうだし、このままいけば何とか破産せずにぎりぎりやっていくだけで精一杯にしか思えない。
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