葛西善蔵

2021/8/31 | 投稿者: pdo

硫黄島の本と一緒に葛西善蔵『贋物・父の葬式』 (講談社文芸文庫)も借りてきた。

硫黄島で斃れた兵士たちも哀れだが、葛西善蔵の生涯もまた哀れである。こっちは自業自得だという人もあろうが、自分は後者を愚か者と切って捨てるような見方はできないのである。

「私小説の神様」という呼び名はさすがにどうかと思うが、彼の文章にはやはり「貧乏自慢」や「貧苦をネタにしている」とのみ言ってしまうことのできない、ある種の自己を見る眼の卓見というか省察の味わいというものを感じざるを得ないのである。

貧苦や貧乏を売りにする私小説を書く作者の中に自己を憐れむ感情がないとはいえないだろうが、そこに引きずられてしまったら作品にならない。自己のみならず広く世の人並みを憐れむ心があって初めてそこに滋味のような文章が出てくる。

己の悲しみは世界の悲しみである。栗林中将が「散るぞ悲しき」と詠った悲しみと己のこの悲しみとは根底で通じている、という位の受け止め方が泣ければ私小説は書けない。

戦争を巨大な人間の業が集積した結果とするなら、己の惨めな生活もまた人間の業である。悪いのは誰か、などと言ってみたところで仕方がない。まして俺の方が正しいのだ、などと言いはったり他人と争ってみても詮無し。

ところで最近よく「心が折れる」とか「心を折る」という言い方をするのが目立つが、心が折れるというのは硬直して伸びきっていた枝がポキリと折れてしまうようなもので、伸びた雑草のように柔らかく自在に曲がるような心をもっていれば、折れることもないだろう。

「こうあらねばならぬ」という思いは、心を硬直させ、いつかポキリと折れてしまう。「かくあるべし」などと思い詰めずに如何様にも伸縮自在な心持でいれば風雪に耐えることも出来る。

何だか坊さんの詰らぬ説法のようなことを書いてしまった。

こんな世の中、若い人は特に将来が見えずに悩んだり落ち込んだりもするのだろうが、あのテレビ教の聖者アカシヤが述べる如く「生きてるだけで丸儲け」であり、同じく神の使徒である植木等が伝えた啓示のように「そのうちなんとかなるだろう」と思うのがいいと思う。




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