抱擁家族(12)

2021/7/26 | 投稿者: pdo

「お前は、この三カ月というものは、計画的に事をはこんだのだ、あの男を家に入れたのもそのためだ。お前のたった一つの取り柄は正直なことだとおれは思っていた」
 俊介は感傷的になった。
「その一つをお前は捨てたのだよ」
「計画的ってことはないって」
「みちよがそういった」
「あんた、バカね」溜息を洩らすようにいった。「ほんとにしようがない人ね」
「みちよはその様子が前からあったのだが、おれもその様子に気がついているものと思っていたといった」
「ちがうわよ。そんなことないって」
「お前は黙っていたよ。黙ってこれからも続けようと思っていた。そうだろう? それでいて、さっきもおれにスカートを選ばせたり出来るんだからな」
「あんたがみちよの前でそんなこといえば、みちよがいったことがちがっていないことを証明するようなもんじゃないのよう」
「何だって」
「そうじゃないの、あんたとみちよの二人がそういえば、私がほんとにそうだったということになるじゃないの。そうなったときには、バカを見るのはあんたよ。妻にそのことをさせるのは、妻が夫に対して不満のためということになるでしょ。ほんとに見っともないったらありゃしないわよ」
「そうか」
 と俊介は心の中で呟いた。
「あんたは自分を台なしにしてしまったのよ。私はいつか折をみて話そうと思っていたのよ。それなのに、ほんとにあんたっていう人といっしょにいると、あんなことが起こったり、こんなことが起ったりするう!」



この場面は、なんといっても最後の

「それなのに、ほんとにあんたっていう人といっしょにいると、あんなことが起こったり、こんなことが起ったりするう!」

というセリフが、あまりにも強烈である。

同時期に書かれた島尾敏雄の私小説「死の棘」(このブログにも感想文を書いた)のミホも強烈な女性だが、この時子ほど〈女くさく〉はない。

「抱擁家族」の最大の魅力の一つが、この時子の描き方にある。

男から見れば、「女の他者性」が見事に描かれているということになるが、女から見れば、どうなるのだろう。大庭みな子や瀬戸内晴美は、時子の描かれ方に激しく共感し、ほとんどシットしているといっていいくらいである。

俊介は時子を愛していたのだろうか。「馬」という「抱擁家族」の前に書かれた短編(村上春樹が「短編小説案内」の中で取り上げている)にも、トキ子という妻が出てくる。主人公はトキ子が愛しくてならず、勝手に家の敷地に二階建ての馬小屋を建てられていても、トキ子の顔をみるとぽうっとなってしまって、何も言えなくなる。

俊介も、時子がジョージと密通していたのを知って、ソファに引き倒したりするが、「あんた、バカね」「ほんとにしようがない人ね」と反撃されて、内心「そうか」と呟いたりしている。

小島信夫が「抱擁家族」のあとに書いた短編「よもつひらさか」は、著者によれば「死んだ妻が坂をのぼってたずねてくる」話であるが、その中で夫は妻にこんなふうにいう。

「ぼくは、お前がいったように、たしかに愛し方が足りなかったのだよ。そのことに気がついた。すぐ気がついた。そのことばかり考えてきたのさ」

時子が「あんた、バカね」というのは、夫であるあなたがそんなに取り乱して、みちよのいうことを鵜呑みにして、そんな振舞い方をすると、まるで妻である私があなたに不満があったことを認めているようなものじゃないの、それはみっともないことだ、というのである。

この理屈を苦し紛れのものと取るか、俊介に対する何らかの愛情の表現と取るか、どちらでもあるといえばそのようにも思えるし、この後けっきょく、この二人は、喧嘩して互いにぶつくさ言い合いながらも、最期まで(少なくとも夫の方は)惹かれ合っていくことになるのだ。

「死の棘」のミホとトシオは、最期まで互いに惹かれ合っていたといえるだろうか。もちろんいえると思うのだが、小説を読み返す度に、俊介と時子もそんな気がしている。
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