抱擁家族(9)

2021/7/17 | 投稿者: pdo

第一章

「だんなさまが二週間ぶりでお帰りになりました。これで、翻訳の御本が出て、まとまったお金が入りますわよ」
 と台所でみちよがいって立ち上がると、時子も立った。俊介が腰かけている居間に、時子の物が入っている洋ダンスがあった。時子は黙って入ってくると、着替えをはじめた。こちらに背中を向けたままで、
「このスカートの方が似合うかしらね」
「さあ、その方がいいと思うね」
 時子はスリップを股の間にはさんで、腰をよじりながら、こげ茶色のタイトのスカートをはいた。
 鏡の前で姿をうつしながら時子は呟いた。
「やっぱりこっちの方がいいようね」
 俊介は庭へ出て紐つきのゴルフ球をうちはじめた。
 みちよが、だらしのない恰好でふき掃除にかかりながら、
「奥さま、紐つきでうまく打っているように見えても、かえって悪いクセがつくんですって」
 といった。みちよのその言葉には、時子はこたえなかった。時子は、しばらく、出かけようかどうしようか迷っているように見えた。それを見ながら俊介は庭からみちよに声をかけた。
「うまく打っていれば、どこへ行ったってうまく打てるさ」
 時子が出て行くと、荷物の整理をしている彼のところへみちよがよってきた。ちょっとお耳に入れておいた方がいいと思うのだが、あるいは黙っている方がいいのだろうか、とみちよがいった。どっちを選ばせるつもりか、と俊介は睨んだ。次の瞬間、ああ、分った分った、分った、と三度叫び、分っているから話せ、といった。
「だんなさま、奥さまがジョージと・・・・・・」


いよいよ第一章、「抱擁家族」本編のはじまりはじまり。

いきなり、みちよの存在感がすごい。文字通りこの家を支配している感すらある。

そして物語を起動するスイッチを押すのは当然みちよである。

ちょっとお耳に入れておいた方がいいと思うのだが、あるいは黙っている方がいいのだろうか、とは何といやらしい言い草だろう。こんなふうにして言わされずにはおれないように仕向ける。

このとき、俊介は、逆上しながら、「ああ、分った分った、分った」と三度叫び、「分っているから話せ」というのだが、何が分っているというのだろう。

たぶん俊介本人にもよく分っていないからこそだろうが、イラっとしたときの、理屈では割り切れない、こういう買い言葉のようなセリフにも非常にリアリティを感じる。

そしてみちよが静かに爆弾を落とす。


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