謎解き亀山郁夫

2021/6/9 | 投稿者: pdo

水村美苗『新明暗』を読んで思い出したのが、亀山郁夫『新カラマーゾフの兄弟』である。

言わずと知れた、ドストエフスキーの大作『カラマーゾフの兄弟』を、現代日本社会を舞台にリメイクした問題作だ。

『カラマーゾフの兄弟』は、ドストエフスキーの死により、構想されていた続編が書かれないまま終わったとされている。

亀山郁夫は、その未完に終わった部分を彼の推理と想像力で補完した『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』という本も書いている。

『続明暗』は、どちらかといえばこっちの方に近い作品であるといえる。

実は自分は『新カラマーゾフの兄弟』も『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』も読んでいない。

『新カラマーゾフの兄弟』の方は、図書館で借りて読もうとしたのだが、読みかけて早々に挫折してしまった。内容も覚えていない。

亀山郁夫は、東京外国語大学の学長であり、ドストエフスキーだけでなく、ロシア文学や広くロシアをテーマにした数多くの本を書いている。

『カラマーゾフ』以外にも、『悪霊』も翻訳しており、『謎解き『悪霊』」という本も書いている。


2019年には、NHKの「100分de名著」という番組に出演し、『カラマーゾフの兄弟』について視聴者に分かり易く解説するという役割も果たしている。

つまり、今の日本では、「ドストエフスキーといえば亀山郁夫」とされており、少なくとも今の日本の若い世代は、彼の存在を抜きにしてドストエフスキー作品に触れることはほとんど不可能な状態に置かれている。

で、何が言いたいかというと、これは非常に不幸な状態なのではないか? という気がするのである。

というのも、亀山郁夫のドストエフスキー作品の理解とその訳業については、専門家から、かなり厳しい批判が寄せられている。

これは専門家によるものではないが、以下に引用するアマゾン・レビューがその一例である。


新訳「カラマーゾフ」が評判になってしまったためにドストエフスキーというとこの方は必ず出てくるようになってしまいました。

私は「カラマーゾフ」がでたあとに講演会で直接話を聞いたこともあります。最近やっとこの「専門家」についてもやもやしていた思いがなんだったのかわかりました。

ある場所に書かれていた言葉を引用します。

『多くが思いつきと思い込み、または誤読にすぎず、その前に基礎基本をしっかりしてほしい』これに尽きます。

この新書(『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』)は「空想」と銘打ってあるので、それこそこの方の本領発揮、どこまでも「空想」が延長されていきます。

ですが、この訳者が空想しているのは、この本だけではないのです。ご自分が翻訳された悪評高い「カラマーゾフ」「悪霊」「罪と罰」の解説・解題、そして翻訳そのものにおいてすら空想・妄想が多分に入り込んでしまっているのです。

それらについて多くの識者からの指摘を読むとわかりますが、専門家の名を冠した訳者の妄想が原作そのものを侵食するような愚かなことが起きています。そしてそれをチェックする機能が出版社の編集においてまったく働いていません。

「亀山(誤)訳ドストエフスキー」は歴史の試練に耐えられないのはもちろんですので、早晩、どんなに遅くとも訳者の没後には誰にも顧みられることがなくなるでしょう。

ですがこうもおおぴらに誤訳とその放置、本来媒介者に過ぎない翻訳者の妄想が原作を侵食するという暴挙が発生したこと、そしてそれをチェックし、修正する機能を出版社が果たせなくなった端境期がまさに今であることが、後世からはよく理解されることと思います。


僕はロシア語が読めないので、彼の誤訳についての指摘がどこまで正当なものかを、直接判断を下すことはできない。

しかし、このサイトの検証を読むだけでも、過去の翻訳者、米川正夫、原卓也、江川卓の三人の翻訳と比較して、亀山郁夫の翻訳だけが際立って異なっているのが分かる。原文と照らし合わせた解説を読む限り、亀山のはどうも解釈の違いというよりは明らかな誤訳のようである。

そしてこれらの誤訳の根っこには、どうやら訳者である亀山郁夫にそもそも『カラマーゾフの兄弟』が全然理解できておらず、読み取れていないという問題があるということのようである。

このことについて、大部のテキストが存在する。僕はこれをすべて読んだわけではないが、この著者の主張にはかなり共感できるところが多かった。

僕自身、亀山郁夫の訳した『カラマーゾフ』と『悪霊』を読もうとしたが、違和感があって読めなかったという経験があった。そのときは、これらの批判の存在を知らなかったはずである。

僕は、新潮文庫のドストエフスキーを読んでいたので、『カラマーゾフ』は原卓也訳で、『悪霊』は江川卓訳で、『罪と罰』は工藤精一郎訳で読んだ。

その後、全集などで米川正夫訳も読んだ。それらはいずれも何の違和感もなく読め、ドストエフスキー体験の感動を深めることに大いに役立つものであったと感謝している。

だが、亀山郁夫の訳したものは、とても違和感があって読めなかった。誤訳とかそういうレベル以前に、頭と身体が受け付けなかったのである。

亀山新訳は、「今の若い人にも読みやすい」ということで、ドストエフスキー普及に大きく貢献するものとして高く評価されているようである。

ただ、自分は、初めてドストエフスキーを読んだのが亀山訳でなかったことを感謝している。

本当は『新カラマーゾフの兄弟』について書くつもりだったのだが、もうその気をなくしてしまった。



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