みちよと馬

2021/5/29 | 投稿者: pdo

小島信夫を読んで、純文学は美文でないといけないとか人間の感情や思考のアヤを丁寧に描かないといけないという先入観があっさり崩れた。

例えば、絵を描くためには、基本的なデッサンの力(絵心〈えごころ〉)が必要であるのと同じように、小説を書くためには、文学的な文章を書く文才が必要な気がしていた。だが、小島信夫の小説、とりわけ代表作である『抱擁家族』は、言ってしまえば非常に不器用でヘタクソな文章で書かれている。文章のつながりもおかしい。それでいながら、何かとても豊かで深いものを含んでいる。村上春樹は、この小説を七、八度読み返し、その度に感心している、と『若い人たちへの短編小説案内』という本に書いている。

小谷野敦は、島崎藤村は悪人というより他人の感情が本質的に分からないサイコパスだったのではないかと書いていたが、小島信夫もそんな匂いがある。『抱擁家族』の主人公・三輪俊介は、妻の時子から、「あなたは妻(女)の気持ちがまるで分かってない」と何度も詰られ、それが時子とジョージとの情事の遠因にもなっているのだが、これは実際の作者である小島自身もそうなのではないか。そして小島は、そんな自分を三輪俊介として突き放して描いている。彼から見たありのままの時子の姿も描いている。この小説の登場人物たちは皆、ジョージも、みちよも、息子の信一も娘のノリ子も、著者の想像を超えたリアルな〈他者〉として存在している。彼らの発する言葉はいちいち驚くほどのリアリティを放っている。著者は、彼らの内面を〈理解〉しようとはせず、ただ〈ありのまま〉の彼らの振舞いを観察して、それを忠実に、身も蓋もない、つまり文学的情緒のまるで欠けた、直接的な文体で書き取っているだけのように思える。

人が内心で思っていることとまったく無関係な、むしろ正反対の行動をしばしば取ってしまうことを、小島は鋭く観察し、コミカルに描くのが上手い。これは主人公・俊介の行動に顕著で、例えば、時子と姦通したと疑いのあるアメリカ人ジョージが俊介に電話して来て、「ハウ・アー・ユー?」と言ったとき、俊介が反射的に「ジャスト・ファイン」と叫ぶように答える場面など、可笑しさと哀れさ(惨めさ)が同時によく出ている。また後に、ジョージが俊介から時子との関係を問いつめられて、「僕が責任を感じているのは国家と両親に対してだけだ」と答える場面など、富岡多恵子が「これは作者の想像から出てきうるようなセリフではない」と感心している。やがて時子は乳がんで入院するが、一時退院することを強く望み、病院から俊介と二人タクシーで帰宅する車中で「帰ったら、お願いね」と言う場面とか、実に生々しい。男性ホルモンの注射を打っていた時子は性欲が高まって、病身にもかかわらず俊介とのセックスを求める。俊介がそれに応じる場面で、時子は三輪と結婚して初めて性的な満足を得るのだが、富岡多恵子などは、この場面が夫婦の和解と許しの象徴として描かれているとしたら安直で気持ち悪いと感想を述べる。自分は富岡のようには感じず、特定の効果を狙った場面ではなく単にあったことを描いたに過ぎないのだと思う。もしこれを小島が夫婦の和解と許しの場面として描いたのだとしたら、男性ホルモンの注射という化学的な作用によって初めてそれが実現できたという何とも皮肉なことになってしまう。

『抱擁家族』が含んでいた剥き出しの〈他者〉のリアリティと独自の文体によるリズム感は、その後に読んだ、三十年後の三輪家を描いた『うるわしき日々』という小説を一読する限りでは、ほとんど感じ取れなかった。

もちろん、家族とそれを取り巻く環境は完全に変わってしまっている。時子が亡くなった後に再婚した京子は痴呆症で記憶を失いつつあり、五十代半ばの息子良一は、妻子と別れた後にアルコール依存に付随して精神疾患が深刻化し、自分の年齢も忘れた状態で病院に入院している。妻と息子の精神が崩壊していく中で、俊介が病院の担当者や友人知人に手当たり次第、息子の転院先について相談を持ち掛け、右往左往する様子が描かれている。息子は妻から離婚訴訟を起こされ、その対応を弁護士と協議するのも俊介の役割となっている。

これは新聞小説であり、かつて文芸誌に十二年間も連載した『別れる理由』のような前衛的な小説にはできなかった。また構想や表現を十分に練ることのできる書き下ろし小説とも違って、研ぎ澄ました文体を期待するのも難しいだろう。だが、かえってそれ故に、別の味わいがある。『新しい人よ目覚めよ』以降の後期の大江健三郎の変形私小説に通じるものを感じる。小島の『抱擁家族』に相当するのが大江の『万永元年のフットボール』だとしたら、『うるわしき日々』は大江の『静かな生活』といったところか。もっとも、ノーベル賞受賞後の大江は、障がい者である息子の光氏と共に(少なくとも外面的には)平穏な生活を送っていたように思われるが、小島の日々は前述のように平穏からは程遠く、『うるわしき日々』というタイトルはアイロニーにしか思えないのだが、本人は「アイロニイではない」と「あとがき」で書いている。ちなみに、この読売新聞の連載小説を小島に交渉して実現させたのは尾崎真理子という編集者で、彼女は大江健三郎の担当者としても有名であり、『大江健三郎全小説全解説』という著作がある。
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