川崎長太郎

2021/5/5 | 投稿者: pdo

この連休はひたすら川崎長太郎を読んで過ごした。満腹。

現代日本文学大系49(筑摩書房)

「無題」1924年(大正13年)10月
  北川健太郎。カフェの女給(お明とお安)との関係を描く。
  文体に志賀直哉の影響が感じられる。
「落穂」1943年(昭和18年)6月「八雲」川端康成編集
  私。中風で寝たきりになった母の介護と、弟とその妻(糸)の関係。
「鳳仙花」1952年(昭和27年)10月
  川上竹七。満50歳。一年以上続く雪子との関係。映画見に行く。
「船頭小路」1964年(昭和39年)8月「群像」
  私の半世紀。関東大震災(大正12年)から父の死(昭和8年)まで。
「漂流」1972年(昭和47年)4月「海」
  小川一郎。1956年頃から1年くらい物置小屋を訪ねてきた三子の話。
  「二千円じゃいけないわ」

川崎長太郎選集(吉行淳之介編)

上巻

「無題」1925年(大正14年)2月「新小説」文壇デビュー作。
「兄の立場」1927年(昭和2年)7月「新潮」
「桃色のスリッパ」1927年(昭和2年)11月「女性」
「路草」1934年(昭和9年)2月、単行本
「余熱」1935年(昭和10年)10月「早稲田文学」
「裸木」1939年(昭和14年)3月「文学者」〈小津もの〉代表作
「蝋燭」1942年(昭和17年)4月「早稲田文学」
「父島」1946年(昭和21年)10月「人間」川端康成の勧め
「抹香町」1950年(昭和25年)3月「別冊文藝春秋」
「鳳仙花」1952年(昭和27年)10月「文学界」
「伊豆の街道」1953年(昭和28年)4月「群像」

下巻

「徳田秋声の周囲」1960年(昭和35年)5月「群像」
「彼」1962年(昭和37年)5月「新潮」
「結婚」1962年(昭和37年)9月「群像」
「うろこの記録」1966年(昭和41年)5月「新潮」
「忍び草」1969年(昭和44年)12月「群像」
「島へ」1973年(昭和48年)3月「群像」
「谷間」1974年(昭和49年)2月「海」
「冬」1976年(昭和51年)1月「海」
「日没前」1977年(昭和52年)2月「海」
「墓まいり」1977年(昭和52年)9月「群像」
「ある娼婦の独白」1977年(昭和52年)10月「すばる」
「淡雪」1979年(昭和54年)5月「文芸」
「私小説家」1982年(昭和57年)8月「新潮」
「夕映え」1982年(昭和57年)3月「海」

『「抹香町」「路傍」』(講談社文芸文庫)

「父の死」1934年(昭和9年)11月「早稲田文学」(「遺産」を改題)
「無題」1925年(大正14年)2月「新小説」
「軍用人足」1953年(昭和28年)2月「小説新潮」
「抹香町」1950年(昭和25年)3月「別冊文藝春秋」
「ふっつ・とみうら」1965年(昭和40年)10月「群像」
  夫婦で旅行。つげ義春のエッセイに出てくるので有名な作品。
「路傍」1972年(昭和47年)2月「群像」
「日没前」1977年(昭和52年)2月「海」
「墓まいり」1977年(昭和52年)9月「群像」
「徳田秋声の周囲」1960年(昭和35年)5月「群像」

花街小説集(講談社文芸文庫)

「君弥の話」1934年(昭和9年)6月「蝋人形」
  私と君弥が四年前の初夏に初めて会ったときの話。千丸に迷う。
「うつつ」1935年(昭和10年)2月「るねっさんす」
  千丸に迷う私の話。
「玩具」1935年(昭和10年)3月「世紀」
  私。千丸と君栄。君栄と店で林檎を食べる。
「鬘」1936年(昭和11年)4月「文芸雑誌」
  文吉。千丸に振られて君栄に近づく。
「泡」1936年(昭和11年)6月「文藝春秋」
  私が文丸(千丸)に惚れた話。
「手」1937年(昭和12年)1月「文芸懇話会」
  由造と君栄。君栄は映画監督と付き合うが、別に旦那を持つ。
「人形」1937年(昭和12年)5月「早稲田文学」
  わたし(君栄)とパパとHさん(小津監督)の話。
「通り雨」1938年(昭和13年)5月「文学界」
  一木と君栄。大津監督。小説のモデルにされて君栄が怒る。
「裸木」1939年(昭和14年)3月「文学者」
  君栄と映画監督大野とパパ青木。貧乏作家S・Tは君栄の台詞だけ。
「宮町通り」1952年(昭和27年)10月「小説新潮」
  小田原の花柳の港・宮町。川上竹七。花丸。君栄。大津高二郎のいきさつ。
  戦後に偶然再会する竹七と君栄。

「抹香町」小説集(講談社文芸文庫)

「夜の家にて」1950年(昭和25年)4月「新潮」
  川上竹七。みえ。
「ひかげの宿」1950年(昭和25年)7月「文学界」
  竹六。横浜でダンサーをしていた二十代半ばの女。
「無縁」1950年(昭和25年)8月「新潮」
  福島出身の「わたし」と五十男。腹膜手術の後病院で偶然会う。
「浮草」1952年(昭和27年)3月「小説公園」
  川上竹七。節子(「無縁」)。実家に帰ると言ってまた戻ってきた節子を抱きながら心中を仄めかす。再び訪ねたら、別の店に移っていた。
「金魚草」1952年(昭和27年)12月「別冊文藝春秋」
  28歳の「私」と川上竹七。小説のモデルにされたのを知る。二人で林檎。
「淡雪」1953年6月(昭和28年)「別冊文藝春秋」
  「私」(雪子)と川上竹七。黒いショール。「伊豆の街道」を読む。競輪場で偶然見かけるもつれなく対応。
「褪色記」1954年(昭和29年)7月「新潮」
  竹七と雪子。「雪ちゃんは、決して途中下車なんか、させやしないわ。」
「女色転々」1954年4月(昭和29年)「別冊文藝春秋」
  川上参六。一年ぶりの雪子。洋裁師三十女が月に一二度来る。
  三十過ぎの女(浜子)。桜を見に行こうと誘う。
「山桜」1954年(昭和29年)7月「別冊小説新潮」
  竹七、浜子と強羅の桜を見に行く。
「野良犬」1954年(昭和29年)8月「別冊文藝春秋」
  竹七と浜子。浜子が胃けいれん起こす。痛み止めの注射。
「たそがれの色」1956年(昭和31年)7月「別冊小説新潮」
  捨七と浜子。豊橋の女工。三十女が来て同棲の催促。久しぶりに浜子を訪ねたら、レントゲンで胸に穴があるのが分かり、別の家に引っ込んでいた。通知があり次第無料の療養所に行くという。
「再会」1957年(昭和32年)3月「小説新潮」
  結核療養所に浜子を見舞う捨七。四十女が月に一二度訪ねてくる。四か月ぶりに抹香町に行くと療養所帰りの浜子がいた。法改正で赤線地帯の消滅も決まり、身の振り方を相談する浜子。
「娼婦」1959年(昭和34年)2月作品集『流浪』文芸評論新社
  道七。東京から独身三十女が来る(「漂流」の三子?)。浜子の身の振り方の相談に乗る。しばらくぶりに行くと、店の知り合いの女の家に女中に入ることになり、年寄りの馴染の世話になることにしたという。二人で日帰り旅行。その後、二人は相愛見ることがなかった。
「三叉温泉」1964年(昭和39年)12月「小説現代」
  温泉で働く浜子のもとを訪ねる私。 

老境小説集(講談社文芸文庫)

「彼」1962年(昭和37年)5月「新潮」
「老残」1961年(昭和36年)12月「群像」
「結婚」1962年(昭和37年)9月「群像」
「円い食卓」1962年(昭和37年)11月「小説新潮」
「海浜病院にて」1968年(昭和43年)3月「群像」
「七十歳」1972年(昭和47年)1月「海」
「老坂」1973年(昭和48年)4月「別冊小説新潮」
「三本脚」1974年(昭和49年)1月18日「週刊朝日」
「独語」1979年(昭和54年)7月「群像」
「甥」1983年(昭和58年)3月「文学界」
「夕映え」1982年(昭和57年)3月「海」
「死に近く」1983年(昭和58年)9月「海」

「もぐら随筆」(講談社文芸文庫)1977年(昭和52年)11月、エポナ出版
1 梅干の唄
  「消える抹香町」1958年(昭和33年)4月「群像」
2 多賀の桜
  「三国行」1972年(昭和47年)10月「風景」
    19歳の甥と信州旅行。
3 「私小説」の半世紀



0



コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL





AutoPage最新お知らせ