読書感想文 島尾敏雄「死の棘」をよんで

2020/12/21 | 投稿者: pdo

ぼくは、島尾敏雄という作家の、「死の棘」という小説を読みました。

しんちょう文庫で600ページ以上あるぶ厚さなので、最後まで読めるかどうか不安でしたが、読み始めると面白くて一気に読んでしまいました。

主人公は、トシオという作家で、奥さんと子ども2人の四人家族で、東京の小岩という所に住んでいます。子どもは、上の伸一が5、6歳、妹のマヤがその一つか二つ下で、小学校に行く前の年です。

ものがたりは、トシオの浮気が奥さんにバレて、奥さんがトシオを問いつめるところから始まります。そして、小説の最後まで、奥さんはトシオに怒ったままです。その怒り方と問いつめがあまりにしつこいので、トシオも頭がへんになりそうになって、最後は奥さんがせいしん病院に入院することになったところで終わります。

最初から最後まで、えんえんと夫婦げんかしているだけの小説なのですが、どんどんエスカレートしていくので、一体どうなっちゃうんだろうという好奇心から、ついつい読みふけってしまいました。

でも、一言でいえば、この二人(トシオと奥さんのミホ)はクズだと思いました。

なぜなら、まだ学校に行く前の小さな子どもを完全に放りっぱなしにして、自分たちだけでじゃれ合っているようにしか見えないからです。

トシオは、ミホの発作におびえながらも、ミホの様子が少しよくなると、わざとけしかけるようなことを言って、発作を起こそうとしています。ミホはミホで、死ぬとか出ていくとか言いながら、ぜったいにそうしないし、トシオが死ぬとか出ていくとか言ったら、泣いて止めようとするばかりか、伸一が夜中にぐっすり寝ているのを叩き起こして、トシオを止めようと手足を押さえつけるのを手伝わせたりしています。

こんな両親の様子を毎日見せられている子どもがあまりにもかわいそうで、親の都合で何度も引越し、伸一は小学校に入って3日で転校させられたり、具合が悪くて学校に行きたくないというと、トシオに持ち上げられて尻をぶたれ、さらには木の板を使って力いっぱい尻を叩かれるのを読んで、かわいそうでなりませんでした。

妹のマヤはもっとかわいそうで、ろくにごはんも食べさせず何日も放置されたり、兄の伸一から暴力を振るわれたり、外で遊んでも近所の悪ガキ連中に囲まれいじめられたりしているのに、トシオもミホも自分たちの夫婦げんかごっごに夢中で、ぜんぜんかまってやろうとしません。

小説の最後に、ミホとトシオの二人で、せいしん病院に入ることになり、子どもたちが親戚にあずけられてミホの生まれた沖縄の方の島に行くことになるのですが、子どもたちはこんなクズ親から離れて本当によかったし、親と離れる寂しさよりも、どうしようもない大人たちから解放されてせいせいしたのではないかと思いまいした。

ミホは、トシオの前では気がくるったようになりますが、お客さんが来るとかんぜんにまともになり、買い物にいくときも普通にしゃべっています。要するに、くるった芝居をしているのだと思いました。トシオがミホの芝居につきあわされるのは自分がまいた種だから仕方がないと思います。トシオはミホと結婚してから10年の間、好き勝手な生活をして、何日も家に帰らないことはザラで、あちこちに愛人をつくって、子どもたちはひもじくてボロボロのみなりをしているのに、自分は愛人と温泉に行ったり、年末年始も家を空けて愛人の家に泊まったりするじょうたいが続いていたのですから、ミホがばくはつしたのもとうぜんだと思います。

でも、自分を愛人の名前で呼んでほしいとか、トシオが愛人に買ってあげたパンティーの柄を全部教えろとか、愛人たちに送った手紙を全部取り戻してくれとかいうミホのしつこさもちょっと異常だと思いました。何よりも子どもたちの前で首を絞め合ったり家具をめちゃくちゃにして夫婦が暴れまわったりするのは子どもたちへのぎゃくたいだと思いました。

小説というのはこういうくるったような人たちが自分たちのメチャクチャな生活をありのままに書くことが正しいのだという考え方があるという話も聞いたことがあるし、じっさいぼくもこの小説を面白く読んでしまったのでちょっとうしろめたさも感じてしまいました。

でも、こんな小説をとても崇高(すうこう)な芸術作品だとかいって持ち上げるのはどうかと思います。ぶんこ本の解説を書いている山本健吉という人の文章を読んでぼくは口をあんぐりしてしまいました。

前に読書感想文を書いた島崎藤村の「新生」もそうですが、こんなきたない小説のタイトルを聖書から引用して、さも高級な作品に見せかけ、芸術ぶるのは、くだらないと思いました。

さいごに、この小説で「あいつ」と呼ばれている、浮気相手の女の人は、小説の中で、書いてもいない電報の濡れ衣をきせられ(おんなの人が送ってきた電報がミホのでっちあげだということは明らかだと思います)、ミホに暴行され、トシオはその暴行を腕を組んでみているばかりか、ミホといっしょになって女の人のスカートと下着を脱がせようとまでしており、なんでそこまでされないといけないのかかわいそうになりました。

梯久美子の『狂うひと』というノンフィクション作品をよむと、この浮気はそもそもトシオが仕掛けたもので、浮気のことを書いた日記をミホにわざと読ませ、あきらかに気がへんになったミホを何カ月も医者に見せようともせず、ミホの発作をけしかけ、子どもの養育も放棄して、ミホと一緒に入院してしまったトシオ(=島尾敏雄)がいかにクズな人間かよくわかりました。

この浮気相手の女の人は、島尾敏雄がこの小説を短編の形で小出しにして文芸誌に発表し(ミホはその全部の清書をしていました)、酷い書かれ方をしていたことを気に病んでいたそうです。そして最後は自殺してしまったようです。

島尾敏雄とミホの両親から虐待を受けたマヤは、言葉を発することができなくなり、障がい者として暮らし、一時は東京の自立施設に通っていましたが、最後はミホと同居するよう言われ、ミホの家で亡くなりました。

長男の島尾伸三さんは、敏雄とミホが亡くなってから、こんな風に語っています。

今にして思えば、4歳か5歳くらいの時に線路に首を載せて並んで「死ぬ」ってお母さんが言ったときに、すごく悩んだんだけど「まあ死んでもいいや」と思ったんですね、子供心にね。その「死んでもいいや」と思った理由は、自分は両親のためには何もできないですからね、死ねと言われたら、死ぬことしかお役に立てないんです、子供だから。

子供のころ、母と父の諍いで、母がお皿投げて割ったりするんですけど、いいお皿パッと持たせると、投げませんからね。私はそれを割るんです。母は怒るの。パッと正気の自分に戻って、子供を怒り始めるの。と、物語のテーマが変わるわけですよ。舞台が違う場面になるわけです。そうすると、私の父は救われるんですよ。今までは、父に対して怒ってたのに、大事なお皿を割った子供に物語が転換するわけです。と、彼女の中で、夫とのつらいテーマはどうでもよくなって、空中に消えているわけです。私は、自分の子供にはそんな理不尽なことできません。私の場合は、もっと他のよい方法があるはずなのに、という風に考えた、ということでしょうね。自分の問題解決を暴力や狂気へもっていかなかった。

妹は、凄い元気な子供だったんです。もうすごく元気で、頭もいいし、なんでもサッとやるし。・・・で、私が逃げたら、妹は即病気。ところが妹は逃げる方法を知らなかったんですよ。それまで自由だったから。私が防波堤になっちゃってたから、自分の身を守る方法を知らないから、モロに被ってどんどんどんどん、ひどくなっていった。

両親が不安定な環境の子供は、つかむべき藁がないんですよ。溺れかけているのに、溺れさせられて、船からポイと海に出されて、藁もなんにもないの。溺れていくっきゃないんですよ、あとは死ぬしか。「ああ、じゃあもういいや」、死ぬときってすることを諦めるわけです。溺れちゃえって思って溺れても、なんか生きてたんですね、私の場合は。それだけですよ。

小学校二年生の夏休みまで、一年生で字を覚えた時から、毎日、日記を書いていたんですよ。几帳面だったんです。学校から帰ってくると、お母さんが怒っているの、すごく。なんでかというと、私の書いている日記見て怒っているの、あんなことを書いてあった、こんなこと書いてあったと怒るの。それが何度もあった。それで、小学校二年の夏休みだったと思いますけど、焼きましたよ、泣きながら。一生、日記は書かないと誓った。・・・そんなこと経験してしまった子供は、大人を許せなくなってしまうんじゃないですかねえ。もう私はその頃から人格が分裂しているんですよ、小さい時から。

たぶん私の父が受けた災難は、ヨブの受難のようなものだったと思うんですね。だから、父はそれを試みと受け止めて、その試練に耐えるという手段を取れたんです。・・・でも、妹と私にとっては、そのようなことを理解できませんし、これはもう人災なんです。災害ですから、その中で泳いで生きていかないと死ぬんです。・・・しかも、この災害を乗り越えたからといって、二人の子供が救われたり、浄化されたりすることはないんです。

父は自分に関心が向くのを避けるために、母の関心を子供に向けさせるんです。妹は、だんだんと心身ともに弱っていく。両親の元に残されて、救いのない世界に取り残されて、中学生になる頃にはすでに口がきけなくなったり、手が動かなくなったりして。
私もしゃべりたくない。何も。小学校二年ぐらいのときから、学校でしゃべるの嫌だった。ずーっとね。お喋りが好きだったはずなんですが、後で自分が嫌になる。・・・嘘ばかり聞かされていると、言葉を聞くのが嫌になるんですよ。

子供を育てると、親のありがたさがわるるよって言うけれど、私は育てていて、こんなかわいくておもしろいものに対して、あんなにひどいことをやっていたんだと思うと、腹が立つ。

妹と私が味わった苦しみを奴らに味わわしてやりたいと思っちゃう。父のような人に対しても疑問を持っています。殴れるものだったら殴りたい。父は優しい人でもありますよ。それは言葉遣いが優しかったり、きついことあまり言わなかったり。こんな小さい歩けるか歩けない奴にも、大人として付き合う。そういう風にしか付き合えないのです。だけど、それは無関心だからです。苦しんだふりしてるだけだから。父の骨を金槌で割りたいくらいですよ。砕いてそのへんに放って墓の名前も削りたいくらいです。

(島尾伸三『魚は泳ぐ』より)


「死の棘」は未だ島尾敏雄とミホの魂に食い込んだままです。



追記:

上野千鶴子・小倉千加子・富岡多恵子の3人による対談本『男流文学論』(筑摩書房、1992年)の中で『死の棘』について論じられていて、おもしろかった。

ここではすでに、吉本隆明らの「ミホ=巫女と島尾隊長との出会い」という神話が突き崩され、夫が妻の病を「治さないように、治さないようにしている」こと、小説のために二人が一種の「共犯関係」にあったこと、ミホの中にも打算とナルシシズムがあったことなど、後に梯久美子によって『狂うひと』の中で裏付けられたことが指摘されている。
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