途中から遠藤チャンネル風になります

2020/11/2 | 投稿者: pdo

東京メトロの広告で、オフピーク通勤の宣伝に「ピークを知る男」と題してサンミュージックのタレント(小島よしお、髭男爵)が使われているのだが、鳥居みゆきも「ピークを知る女」として出てこないかなとひそかに期待している。

さて、週末に手塚治虫の「<黒手塚>の傑作」との誉れ高い『奇子』という作品を読んだ。

小学館『ビッグコミック』に1972年1月25日号から1973年6月25日号まで連載されたこの作品は、劇画ブームの台頭などによる手塚マンガの人気低迷、全共闘運動など反体制運動の雰囲気(あくまでも「雰囲気」)が盛り上がった60年代末からそれが急速に終焉していく70年代初頭の時代の空気感などを反映させた、手塚作品の中でも分かりやすく「大人向け」の内容となっている。

もっとも、手塚マンガが「子供向け」というのは一つの幻想であり、おそろしくシリアスなテーマと世界観がどの作品にも共通していて、世間一般のイメージはただ外観に騙されているだけなのだが、この『奇子』は、ストーリーや舞台設定自体がその外観を剥ぎ取っている。

というのも、この作品のアイディアには、戦後最大の謎事件の一つ「下山事件」と「犬神家の一族」と「カラマーゾフの兄弟」の要素が含まれており、そこに性的フェティシズムと官能性という要素をいかんなくぶち込んでいるものだから、「手塚治虫全集」の中でも子どもの目に届かない場所に置かれるという扱いを受けることが多かったのではないかと思われる。

松本清張と横溝正史とドストエフスキーを材料に、手塚治虫が自らの性的嗜好を存分に表現する漫画を書いたらどうなるのか。天才の想像力に読者は翻弄されっぱなしになるしかない。ついでに北野武のアウトレイジ的要素(当時で言えば『仁義なき戦い』か)も入っている。

『ばるぼら』という作品も読んでみたが、こちらはまもなく息子の手塚真の手掛けた映画化作品が公開されるという。この作品については次回に書くとして、

『奇子』を読んで思ったのは・・・

めっちゃ続きが読みたいっすね〜。

何でかって言うと、たぶん、この作品の続きは、奇子がその後の人生で「魔性の女」っぷりを存分に発揮する展開になると思うんですけど、手塚先生にぜひそれを書いてもらいたかったっすね。

それに近い作品ってあるのかな? 僕、手塚作品って実はよく知らないんすけど、あったら読んでみたいんで、知ってる方はコメントいただけたら嬉しいっす。

あと、この舞台設定は『カラマーゾフの兄弟』にヒントを得たと手塚先生がどこかで語っているらしいんですけど、確かにそうなんですが、最大の違いは、ここには「キリスト」(=神)がいないってことなんですよね。

で、その代わりに「奇子」がいるということなんだと思うんですよ。

つまり、ドストエフスキーは「カラマーゾフ」の中で二男のイワンや三男のアリョーシャを通して神の存在やキリストについて語っているわけですけど、それを戦後日本という文化の中で表現すると、「奇子」(=観音或いは巫女)になるんじゃないかと思ったんです。

だからこの作品は、手塚治虫による『カラマーゾフ』へのアンサーと捉えるのが一番僕の中でしっくりきました。

『カラマーゾフ』の続編がドストエフスキーの中では予定されていたのに遂に書かれないままだったのと同じように、『奇子』の続編も手塚先生の中では予定されていたと思うんですが、遂に書かれずに終わったという運命にも類似を感じます。

カラマーゾフの続編ではアリョーシャが革命家になって処刑されて(殉教して)終わるという展開を予想する人もいますが、それに倣えば、『奇子』の続編では、奇子は・・・とか想像するだけでも面白いっすよね。




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タグ: 奇子 手塚治虫



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