「リスペクト アレサフランクリン伝記」より

2020/1/11 | 投稿者: pdo

音楽が始まる前、クリーヴランドは時間を取り、これはれっきとした礼拝なのだと信者たちに説明した。あなた方は今日、何よりもまず、生ける神を讃えるためにお集まりになったのです、と。

その晩、アレサの最初のソロがマーヴィン・ゲイの「Wholy Holy」だった。ワッツの教会でアレサが歌った晩から10年以上が過ぎたある雨の夜、僕はマーヴィンと共にベルギーのオステンドでそれに耳を傾けていた。マーヴィンは当時、ロサンゼルスの自宅を逃れた長い亡命期のひとつの真っ只中にいた。

曲が終わり、マーヴィンは沈黙のまま座っていた。魔法の余韻に浸っている彼を邪魔するのは気が進まなかったが、僕には聞きたいことがあまりにもたくさんあった。

「彼女がこれを録るというのは、いつ知ったの?」

「レコードが出て、それで初めて」とマーヴィンは言った。

「それで、驚いた、と」

「愕然とした。今と同じくらいに唖然とした。自分が歌うに値するものを僕が書いたとアレサが思ってくれた。それを知って愕然としただけじゃない、彼女の解釈の美しさに愕然としたんだ。『What's Going On』が出てから、まだそれほどたっていなかった。あれは激しい論争の末に出たものだったからね、これじゃあ商売にならないとモータウンが考えたために起きた例の諸々なんだけど、その闘いの疲れがまだ少し残っていた。

僕はレーベルにきっぱりと言い放った、これを出さないなら二度と録らないと。僕は闘いに勝ち、世間は僕の姿勢が正しかったことを立証してくれた、つまりレコードは売れていた。それでもまだ僕は不安の中にいた。あれがいいというのはわかっていた。でもアレサが「ホーリー・ホリー」を歌ってくれたのを知って、それでようやく、本当にいいものなんだと実感できたんだ。

彼女と僕の音楽的背景は似ている、ふたりとも父親の説教や歌を見て聴いて育った、だからこの手の曲についてアレサの耳がとりわけ肥えているのはよくわかっていたから。僕にとって、ゴスペルは究極の真実であり、究極の試金石なんだ。

デューク・エリントンにまつわるこんな話を聞いたことがある。デュークは後年の人生の大部分を聖なる音楽作りに捧げた。ある優れた組曲を書いていたときのこと、女友達にクラブに行こうと誘われた。デュークは渋った。その女性はしつこかった。『その音楽はまた後で仕上げればいいじゃないの』。『ねえ、きみ』とデュークは言った。『たいていの場合、たいていの人は、うまいことを言えばたぶらかせられる。でも神はたぶらかせられない』。

ゴスペル音楽の精髄はそこにある。そう、神とのつながりがゴスペルを朽ちることのない清廉潔白なものにする。アレサは朽ちることがない。彼女の神聖な精神は朽ちることがない。あの曲を歌ったとき、僕は自分の声を重ねて、いわばセルフハーモニーを作り上げた。自分で自分に影をつけた。弦と管と音響効果もたっぷりと加えた。でもアレサの場合は、自分の声とあの美しいフルボディの聖歌隊だけ。それであれを高く築き上げた。決して揺らぐことのない強固なものにした。僕は確信した、彼女はあの曲を永遠のものにしてくれたんだって」

「『至上の愛』のほかの曲は?」と、僕はマーヴィンに尋ねた。

「真のソウル愛好家に僕の最高傑作は、と尋ねれば、答えはたいてい、『ホワッツ・ゴーイン・オン』だ。真のゴスペル愛好家に最高傑作は、と尋ねれば、答えは『至上の愛』だ。じゃあ、真のアレサ・ファンに彼女の最高傑作を挙げてくれと言ったら、答えは同じ、そう『至上の愛』さ。「リスペクト」や「ナチュラル・ウーマン」や「チェイン・オブ・フールズ」を僕ほど愛している人はいない。『スパークル』には嫉妬のあまり、顔が真っ青になったくらいだ。カーティス・メイフィールドがアレサのアルバムをまるまる一枚、書いて制作もして! ああ、そんな機会がもらえるなら、僕はもう死んでもいい。でも、あれもこれもどんなに素晴らしくても、『至上の愛』のレベルには届かない。アレサの傑作を一枚だけ挙げるなら、『至上の愛』というのは、僕だけじゃないと思う。僕が尊敬するミュージシャンは大半が同じことを言うはずだよ。あれは彼女史上最高の作品。僕にとって最も大切な彼女のアルバムなんだ」

























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