犠牲の贈り物

2019/10/26 | 投稿者: pdo

早稲田松竹でタルコフスキーの『サクリファイス』を観る。

タルコフスキーの遺作であるこの作品を観るのは初めてだったので、なるべく先入観なしに見ようと思い、映画の解説や評論その他の媒体にはできる限り目を通さずに見に行ったのだが、それでも事前に聞いたことのあった「核戦争を防ぐための神との契約」といった仰々しい謳い文句が頭の片隅にあったせいか、意外と骨格としてはホームドラマにさえ思える物語には意外な気がした。

尤も、この映画に限らず、映画という表現形式に関してストーリーを過剰に解釈しようと努力するのは危険なことだろう。専ら映像美、そして映像に込められた「芸術的イデア」を感じることに徹するべきなのだろう。

そういう意味からすると、やれ4Kだデジタル・ハイビジョンだなどと画像の鮮明さを押し売りされている我々の趣味からすると、もう少し「鮮明な」映像が見れたら、と詮無き思いを抱く瞬間もないではなかった。

主人公が元舞台俳優で『白痴』のムイシュキン公爵を演じたことがある、というドストエフスキー要素も盛り込んである。タルコフスキーがこの映像と緊迫感でドストエフスキーを映画化すれば大変なものができただろう。実際『未成年』を映画化するプランも存在したようだ。

終始重苦しいトーンと緊張の連続に支配されているのだが、最後のあたりはドタバタ・コメディーにも見えて思わず笑ってしまい、これはいけないことなのか、と自問自答する。

これが遺作となってしまったが、タルコフスキーは疑いなく映画の未来を示すことのできる才能だったと思うので、『サクリファイス』以後のタルコフスキー映画が見れないのはひたすら残念である、との思いで館を後にする。


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