2019.8.13

2019/8/13 | 投稿者: pdo

ドストエフスキーについては、21世紀になって亀山郁夫が「新訳」を発表し、たいへん売れたらしい(らしい、というのはリアルタイムでは知らず、ネット知識でしかないため)。

そして、この亀山「新訳」については、研究者からかなり批判の声があるようだ(ようだ、というのは、実態はよく知らず、ネット知識でしかないため)。

亀山氏による新訳は読んでいないので良いか悪いかは分からないし、そもそもロシア語が分からないので判断のしようがない。個人的には、原卓也や江川卓の翻訳で読んだものが自分にとってのドストエフスキーで、それでよかったと思っている。

「カラマーゾフの兄弟」はもともと二つの小説の前半部分で、後半がその13年後(当時のリアルタイム)の物語になるはずであったことは作者自身がまえがきで述べている。

作者は「カラマーゾフの兄弟」を書き終えてすぐ亡くなったため、後半は書かれずに終わった。後半のプロットについては作者によるメモ書きが残されており、前半(カラマーゾフ)の中にも後半の展開を示唆する描写が含まれているため、その筋書きを推理することはある程度可能だと考える人もいる。

もっとも、小林秀雄のように、「『カラマーゾフの兄弟』という小説は、続編の有無など問題にする余地もないほど完成された文学作品である」という声もあるし、その方が正しい気がする。

そして、池田信夫のように、「後編は20世紀に、ロシア革命という形で実現してしまったのではないか」と考える人もいる。それはそれで深く頷ける。

しかし、ロシア革命が終わった今も、なおドストエフスキーはアクチュアルな作家であり続けている。そのリアルさは、現在のいかなる作家をも凌駕している、と思う。

※上のを書いた後、亀山郁夫のカラマーゾフ解題を読んでみたが、なんとも浮ついた薄っぺらなものだったのでガッカリ。こんなものでは魂の糧にならない。
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