2019.6.30

2019/6/30 | 投稿者: pdo

認識は3秒あればいいのである。それはふつう直観と呼ばれているが、この直観を核にしない認識は、5年かけようと、15年かけようと無にひとしいということも正しいのである。なんのひらめきもなく、ただ現実過程の受動的反映にすぎないデータの束をかかえて恍惚としている者たちを「専門家」という。(平岡正明)

筋のいいキチガイとは、《極小と極大とがあってその中間のないもの》という思考形態をとる。過敏な自我が宇宙論と直結していて、中間の、国家、民族、階級、現状判断、主体性といったものがない。ユートピアの次のページが行動指針になっている。(平岡正明)



『平岡正明論』(大谷能生著)を読む。この本では平岡の思想的(?)評価が中心で平岡の人となりにはほとんど触れられていないので、平岡本人の著作が猛烈に読みたくなる。


しかし、いま、著者ははっきりとこう断言できる。あらゆる解釈が無益だ。ほんとうにそうなのだ。もしそれが青白い閃光のような懐疑の一瞬であったならば、それはそれにおいて充足しているだけのものである。それは、そのような内的体験を持つことで充足することに本質をもっているのである。そして、このような本質的な非条理はだれもがもっているものだし、むしろそれは実現された自己認識の世界よりも大きい。(『韃靼人宣言』より)







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