2020/11/25 | 投稿者: pdo



NiziUのデビューシングル「Step and a Step」のMVが公開された。

NiziUのデビューに向けたメディア露出は、絨毯爆撃のような勢いで、どれだけ資本投下されているのかと半ば呆れるほどだ。

まだ本格デビュー前なのに紅白歌合戦の出場も決定し、まるで国民的ブームのように持ち上げられているが、正直自分には「本当にそこまで人気なのか?」という疑いの念もある。

僕はTWICEのオーディション番組「シックスティーン」を見て、これの日本バージョンをやるというので期待して見ていたという経緯があるが、その前提がなければ、Niziプロジェクトを見ることもなかっただろうし、日テレの『スッキリ!』でやたらとゴリ押ししているのも胡散臭い目でしか見れなかっただろうと思う。

プレ・デビューシングル『Make You Happy』もどうってことのない曲だし、「縄跳びダンスが大流行り」というのもなんだか取って付けた感じしかしない。

とはいえ、さすがにメンバーは皆それぞれに光るものを持っていて、もうすっかり成熟したTWICEとは違って、各人の成長ぶりを微笑ましく見ていられる。

ひたむきで努力家で天然で愛すべきリーダー、マコ

大人びた表情と、母性を感じさせる豊かな表現力を持つ、マヤ

プロのダンサーからアイドルへと見事に脱皮してみせた、リオ

ビジュアル担当、ふわふわした性格ながら押さえるところはきっちり抑える、アヤカ

グループ随一の個性的外見を纏いつつ、控えめな性格で好感度の高い、マユカ

元気がよく気の強そうな関西娘だが、愛嬌たっぷりの、リク

天性の美貌と才能という意味ではグループ一番かもしれない、Zeebraの娘、リマ

一番年下(マンネ)ながら、目立つ顔立ちと傑出した歌声を持つ、ニナ

そして、これらのメンバーの中でも、オーディションの段階から特に大きな可能性と将来性を感じさせていたのが、「ミイヒ」だった。

全ての決定権を持つプロデューサー、パク・ジニョン(JYP)も、当然ながらミイヒのアイドル性には当初から注目し、高い評価を与えていた。

東京合宿を終え、韓国合宿での、メンバーがソロで曲を披露するステージで、ミイヒはWonder Girlsの「Nobody」という曲を見事なアレンジで歌い上げ、JYPを驚愕させた。

ところが、このころから、ミイヒは心身の調子を崩してしまったらしく、次第に精彩を欠くようになっていく。

最終メンバーに選ばれた際にも、JYPから体調を気遣われ、「しっかり食べるように」と助言されるほどであった。

それでもプレデビューまでは皆と一緒に活動していたが、本格デビューを前に、活動休止が報告された。

9人のNiziUは、日本に来て8人で活動することになった。

そして、本日公開されたデビュー曲のMVは、まるでミイヒのために作られたような内容になっている。

ミイヒも登場し、座り込んでいたところをマヤに発見され、手を引かれて、メンバーの元に駆け寄るという場面で終わる。

このパターンは、TWICEの「Feel Special」でも使われていた。そのMVの中では、活動休止中のミナにチェヨンが手を差し伸べ、インスタでの発言が元でバッシングを受けたサナにダヒョンが手を差し伸べるという場面がある。

「フィルスペ」の歌詞も、落ち込んでいてもあなたがいるから頑張れるといった励ましの歌になっている。

同じように、この「ステステ」の歌詞も、

Step and a step 私の歩幅で
Step and a step 私だけのペースで
ゆっくり行ってもいい休んでみてもいい
歩いていく自分らしく
Just believe yourself

というサビになっていて、ミイヒを励ますかのような内容にも取れる。

このことについては、事務所が十分な体調管理を怠ったせいで活動休止に追い込まれたミイヒの話を美談にするな、という批判の声も上がっているようだ。

また、このようなMVは、ミイヒが復帰しなければならないというプレッシャーとなり、彼女にますます負担を与えるのではないか、との声もあるようだ。

個人的には、JYPという事務所は、パク・ジニョンの考え方を反映して、韓国芸能界のドロドロした前近代的な因習からはかなり免れている(枕営業はさせないなど)と感じているが、他の事務所と同じく所属アーチストに過重な負担をかける傾向がある。ただしその結果心身の故障が生じた場合には割とすぐ休ませるような柔軟な印象がある。

このMVはミイヒの活動休止の発表がある前に撮影されたということだし、現在のミイヒの実際の状態がどうなのかは分からないが、JYPが、ミイヒがこのような形でMVに出演しても大丈夫だという判断を下したのであれば、今後のミイヒの活動について希望的な観測が許されるのではないかと思う。

ネットで毎週放映されている、NiziUの日常の様子を撮影した体のバラエティー番組でも、ミイヒの姿がしばしば捕らえられていることを見ても、彼女の復帰の目途は立っているのだろうと思われる。

ミイヒが戻ってくる日がもう視野に入っているのだとすれば、今回のようなMVはミイヒ復活の機運を盛り上げるには絶好の構成だったといえるのかもしれない。


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2020/11/23 | 投稿者: pdo

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ウラジミール・イリイッチ・レーニン(1870〜1924)と言えば、鋼鉄のような意志をもって革命事業を遂行し、革命に殉じた人物という印象が一般的だと思うが、ソ連崩壊後、彼がイネッサ・アルマンドという女性に充てた手紙と彼女の返信が公開され、レーニンがこの女性を深く愛しており、彼の生活に美と彩りを添えていたことが明らかになった。

イネッサ・アルマンドは、レーニンより4つ年下で、2人が出会ったときにはレーニンは39歳、イネッサは35歳だった。

当時レーニンは、パリで妻のクルプスカヤと二人でまるで棺桶の中にいるような陰鬱で味気ない亡命生活を送っていた。

イネッサは、19歳で実業家と結婚し、5人の子供を設けたが、夫の弟と駆け落ちし、その男性を病で失った直後であった。彼女はすでにマルクス主義に目覚めており、ボルシェビキの熱心なメンバーとなっていた。

イネッサがパリのロシア亡命者グループに加わると、たちまち崇拝者たちが彼女を取り囲んだ。だが彼女は芸術と自由恋愛の信奉者である一方で献身的な革命家の素質もあった。彼女は革命グループの指導者レーニンを遠巻きに畏れながら見つめていたが、彼女が開設した青年たちのための教育施設にレーニンが講師としてやって来るのを手伝ったり、彼の論文のフランス語への翻訳を手伝ったりしているうちに、徐々に親しみのある関係になっていった。

イネッサの敬意は好意からやがて恋に代わっていたが、レーニンはまだイネッサのことを見込みのある同志としてしか見ていなかった。彼はイネッサをある秘密活動のためロシアに派遣するが、それは当然ながら大きな危険を伴うものだった。案の定イネッサはセントペテルスブルグで逮捕・投獄され、1年余りで脱獄し、ヨーロッパへと戻ってきた。

スイスで生活していたレーニンたちのもとにイネッサが帰還したことは、レーニンにとって嬉しい驚きであった。ここでレーニンとイネッサの親密度は一気に増すことになったが、奇妙なことに、イネッサはレーニンと妻クルプスカヤとその母親とも大変親しく交際した。

レーニンとクルプスカヤとイネッサはしばしば三人で自然の中を散策し、さまざまなことを語り合った。レーニンは、歩きながらレールモントフの詩編を暗唱し、彼がベートーヴェンの音楽をどんなに愛しているかについてイネッサに熱弁した。

イネッサは卓越したピアニストでもあった。彼女は革命家の道を選ばなければヨーロッパで一流の音楽家になることもできただろう。彼女がスイスの家でベートーヴェンのソナタを弾くのをBGMにしながら、レーニンは猛烈な勢いで革命論文を執筆した。レーニンは絶え間なくイネッサにベートーヴェンの曲をリクエストし、自分の愛する音楽をこれほど身近に楽しめる幸運に感激した。

クルプスカヤは後年、この時期のことを、イネッサについてたいへん好意的な思い出と共に回想しているが、その真意は分からない。ただ確かなことは、クルプスカヤは、イネッサが1920年に死に、レーニンがその4年後に死んだ後も、イネッサの子供たちを自分の子供のように庇護し続けたことである。

1917年4月、レーニンがドイツからロシアに送られた「封印列車」には、イネッサとその子供たちも同乗していた。その年の10月にレーニンとボルシェビキはロシアの政権を奪取した。

革命後ロシアの動乱の中で、重責を担い、オーバーワークに疲弊したイネッサは、レーニンの勧めでロシア郊外に休養に出かける。だが、そこでコレラに罹患して死んでしまう。

イネッサの死を知らされたレーニンは、休養を勧めた地が危険でイネッサの衰弱した肉体が耐えられる場所ではなかったことを悔いたが、後の祭りであった。

イネッサの葬儀に臨むレーニンは、クルプスカヤに支えられてやっと立っている状態であり、憔悴しきっていた。それ以来彼は魂が抜けたようになってしまい、脳梗塞の発作に倒れ、言葉を話すことができなくなり、そのまま死んだ。

イネッサは革命の純粋な大義に殉じた高貴な魂の一人であった。彼女のような無数の人々によって革命は成し遂げられたのであり、レーニンは彼らの力を結集し、体現するための焦点であった。

後の歴史が示す通り、その後の革命の歴史は粛清と流血と虐殺と無数の無辜の罪からなる人類史上最悪の悲劇となった。

だがその出発点には、このような人間の血の通ったドラマがあったのである。
イネッサ・アルマンドの生涯とその悲劇は、後世に語り継ぐべき物語の素材を多く提供している。
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2020/11/17 | 投稿者: pdo

『プリンス回顧録』には、1982年頃にプリンスが書いた映画『パープル・レイン』の手書き草稿が載っている。

『1999』がヒットしていた頃で、その時点ではまだ「パープル・レイン」という曲はできていなかった。

この草稿に書かれたストーリーは、完成した映画にかなり近いものだが、映画よりもずっとダークで、設定も若干異なっている。

草稿の中で、彼がサウンドトラックに想定していたのは、次の曲たちだ。

Baby I'm a STAR
I would die for U
Moonbeam Levels
I can't stop this feeling I got
Too tough
Wouldn't U love to love me
I just wanna be rich
Bold Generation


これは「3人の夢と野心の物語」であるとプリンスは冒頭に書いている。

一人目の登場人物は、モーリス・デイ。容姿端麗でクールな22歳。音楽、金、女性を愛し、この3つの悪習の中で、ゲットーにはまりこみ、抜け出せずにいる。

二人目は、裕福な家庭の出身で、非常に魅力的な女性、17歳のヴァニティ。あまりに美しく、裕福で、潔癖なために、周囲の仲間に溶け込めずにいる。どこに引っ越しても、見せかけだけの「RICH BITCH」だと思われているが、「心根は愛情深い人物である。誰も彼女を手なずける辛抱強さを持っていないだけなのだ。」

三人目の登場人物は、プリンス―この物語の主役だ。彼は幼くして両親と死別した。彼が6歳か7歳の頃、彼の目の前で母が父を射殺し、自分も銃で命を絶ったのだ。この出来事は、彼の中で時折フラッシュ・バックし、狂気じみた行動を取らせる。彼は3人の医師から統合失調症と診断されている。

プリンスはステージの上でしばしば錯乱状態に陥り、バンドを動揺させる。それが演技なのか計算なのかは誰にも分らない。プリンスは成功を渇望している。名声と富を手に入れたいと思っていると同時に、音楽を通じて人々を助けたいと思っている。彼は何よりもまず、生きている間に何か価値のあることをしたいと思っていた。「つまり、神から点数を稼ぎたいのだろう。(Scoring points with God I guess.)」

この映画は、3人の登場人物が、人生の現実に直面する時期を描いている。

「何か欲しいものがあるなら、つかみ取りに行け! 寝ているだけの者には、夢しかやって来ない。(If there's something out there that U want--Go for it! Nothing comes to sleepers but dreams.)」

映画の基本的な筋書きは、プリンスのバンド(プリンス・アンド・ザ・レヴォリューション)とモーリス・デイのバンド(ザ・タイム)のバンド合戦と、ヴァニティを巡るプリンスとモーリス・デイの駆け引きだ。

クライマックスのバンド合戦では、ザ・タイムが勝利するが、これはプリンスがステージで錯乱状態に陥ったためだ。しかしヴァニティはプリンスのもとに駆け寄り、二人は結ばれる。

ラストはピストル自殺しようとしたプリンスが発砲音と共に目を覚ますという夢落ち。


このオリジナルストーリーのままでは、『パープル・レイン』の大ヒットはなかっただろう。完成された映画の方がはるかに洗練されており、大衆受けの良いものになっている。

草稿からは、プリンスが両親と自分との関係をいかに重要視していたかが伝わってくる。

優れたミュージシャンで、頑固者だが、信心深く、怒ると妻(プリンスの母)に暴力を振るう父親。

享楽的で、パーティーや派手な振舞いを好み、酒とセックスに溺れる母親。

両親はプリンスが幼い頃に離婚したが、プリンスは父と母を同じくらい愛していた。

両親との問題は死の直前まで彼の心を捕らえていた。2016年4月17日、亡くなる4日前に、自伝の共著者ダイ・パイペンブリングの携帯に真夜中に連絡してきたプリンスは、「細胞記憶と親の因果の関係」についてダンに詳しく語って聞かせた。

自分の血の中を流れる父と母の矛盾した性質の葛藤を眺めることが、生きるジレンマの一つだ、とプリンスは語った。

草稿の中では、プリンスはフラッシュバックによって精神錯乱に陥ると、父親と母親の両方の人格が乗り移ったようになり、回想シーンではプリンス自身が父と母の二人を演じることになっている。

80年代の後半にプリンスと付き合っていた女性の一人であるデビン・デバスケスは、回顧録の中で、プリンスは父親を愛していて、父のことについてたくさん話してくれたが、母親については何も言わなかったと書いている。

未完に終わった自伝の中では、プリンスは母に焦点を当てる予定だった。自伝の書き出しは、プリンスが生まれて初めて目にしたのが母のまなざしだったことについての記述から始まっている。

映画の草稿では、フラッシュバックの最中、プリンスは自分とヴァニティを自分の父と母だと思い込むという設定になっている。

彼がこれを書いたときに映画の相手役として心に描いていたのがヴァニティだったことは明らかだが、プリンスとヴァニティは別れ、結局、アポロニアが相手役を演じることになった。

デビン・デバスケスは回顧録の中で、ヴァニティとプリンスは瓜二つの人格だったと書いている。ヴァニティが2016年2月15日(ちょうどプリンスが亡くなる2か月前)に亡くなったとき、プリンスは「ピアノ・アンド・ア・マイクロフォン」の公演中に彼女を追悼している。

ヴァニティは90年代に腎臓病で余命3日を宣告されたが、イエス・キリストのビジョンを見て救済されたと信じるようになって以来、熱心なキリスト教伝道者として生涯の最後の20年余りを送った。

プリンスが2016年4月のアトランタ公演のときにジュディス・ヒルに「最近は死んだ友人たちと夢の中で会っている」と語ったのは、ヴァニティのことだったかもしれない。
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2020/11/15 | 投稿者: pdo

プリンスの死因は、よく知られているように、オピオイド系鎮痛剤フェンタニルfentanylの過剰摂取であった。フェンタニルは劇薬であり、ヘロインの50倍の強度を持つ。医師の処方がなければ入手できないが、偽造錠剤の形で違法なルートで取引されている。

彼の死亡後、自宅(ペイズリー・パーク)からは「ワトソン385」とラベルされた多量の錠剤が発見された。これはフェンタニルを示すラベルではなく、別の鎮痛剤ヴァイコディンVicodinに見せかけた偽造錠剤であった。プリンスは、自分が飲んでいるのがフェンタニルであるという自覚のないまま偽造錠剤で致死量を超えるフェンタニルを摂取していたと思われる。

死亡の前日にマイケル・シュレンバーグ医師Dr.Schulenbergのクリニックで行った検査ではプリンスの体内からフェンタニルは検出されていないことから、彼がクリニックを出た2016年4月20日の夕方から遺体が発見された21日の朝までの間にプリンスはこの偽装錠剤を飲んだと思われる。なお、4月初旬にシュレンバーグ医師はプリンスの側近カーク・ジョンソンの名義で鎮痛剤Percocetを処方しているが、これはプリンスのプライバシーを守るために行われたもので、フェンタニルの処方ではなかった。後に、シュレンバーグ医師は、カーク名義で薬を処方したことが違法な行為であったとしてミネソタ州当局に30万ドルの罰金を支払った。また、シュレンバーグ医師はプリンスの遺族からプリンスに対する過失致死として訴えられたが訴えは退けられた。

プリンスが病院でフェンタニルの処方を受けた記録はなく、偽装錠剤をどこから入手したのかを解明する手がかりとなる記録は一切残されていなかった。2年間の捜査の後、ミネソタ州検察当局は、フェンタニルの入手経路が特定できないため、刑事訴追を行わないことを発表した。

プリンスは自分の携帯電話を持たず、外部との交信には自宅の電話とEメールを使っていた。直近の数か月に彼が直接外部の人間とコンタクトして錠剤を入手していたことを示す交信記録は存在せず、側近の携帯電話の過去数か月分の通信記録にも手がかりとなる記録はなかった。当時のプリンスに最も近かったのは、側近のカーク・ジョンソンKirk Johnson、身の回りの世話をしていたメロン・ベクルMeron Bekure、プリンスのマネージャー、ファエドラ・ラムキンスPhaedra Lamkinsの3人であるが、3人とも遺体発見直後に刑事弁護人を雇い警察の事情聴取を拒んだ。

ペイズリー・パークに住んでいたのはプリンス一人であり、カークやメロンも夜には家(メロンはプリンスが近くに借りているホテルの部屋)に帰っていた。運転手や料理人も必要な仕事以外に来ることはなかった。彼の招きで滞在したゲストには直近ではジュディス・ヒルがいる。彼女はアトランタでの緊急搬送の時にもプリンスと共に行動していたが、プリンスの身体の痛みや薬物依存についてまったく気づいていなかったという。

カーク・ジョンソンは、ファエドラと話し合い、プリンスを薬物依存者のためのセレブ御用達の更生施設に滞在させることを計画していた。プリンスの死亡した日には、その施設長の息子アンドリュー・コーンフォールドAndrew Kornfieldがペイズリー・パークでプリンスと入所に向けた打ち合わせを行うことになっていた。4月21日の朝にプリンスの異変を通報するため救急病院に電話したのは、ペイズリー・パークに到着したばかりのアンドリューであった。プリンスの寝室には、日用品を詰めた旅行用バッグが置いてあり、彼自身リハビリ施設へ赴く予定であったことを窺わせた。

2008年から2014年までプリンスのマネージャーを務めたキラン・シャルマKiran Sharmaは、ファエドラとカークとメロンの3人がワッツアップWhatsAppというSNSで連絡を取り合っていることを警察の調べに応えて明らかにした。警察はその通話データを押収しておらず、キランからその情報を聞いてデジタル。アーカイブに問い合わせたときには、すでに過去の通話ログはアプリ会社によって削除された後だった。

キランは警察に対し、ファエドラとカークが、4月21日に警察の現場捜査の後でシュレッダーにかけた書類の入った8つの袋を持ちだしたという話を聞いたと告げた。キランの在職中にプリンスが薬物を常用していた気配はなかったと言い、一度プリンスが体が熱いと言って裸でペイズリー・パークの周囲を歩き回ったことがあり、それは彼が飲んだ薬に関係しているのではないかと思ったという。別の人物の証言では、それは2010年頃にプリンスが股関節置換の手術を受けたときに処方された鎮痛剤Percocetのせいではなかったかという。プリンスが鎮痛剤を大量に必要とするようになったのはこの手術がきっかけだったかもしれないという。

プリンスの部屋から大量の現金が発見されたという事実は、キランにとっては驚きだった。プリンスは家計の出費については倹約家で、現金を身の回りに置いたり持ち歩く習慣もなかったからだ。キランが聞いた話では、プリンスは亡くなる前の数週間、多額の現金をファエドラに持ってくるよう要請した。

2011年頃からプリンスのマネージメントに関わるようになったテオ・ロンドンTheo Londonは、2015年2月にプリンスの元を去るまでに、ツアー・マネージャーからお金の管理までプリンスから多くのことを任される立場にあった。テオとファエドラ・ランキンスはしばしばお金の使途などを巡って衝突し、あるときファエドラがテオを解雇して彼女の友人を雇おうとしていると聞いたプリンスは、それを阻止し、そのような権限をファエドラが持たないことをはっきりさせたという。

ファエドラはプリンスがワーナー・ブラザーズから「マスター(原盤)」の所有権を取り戻し、ユニバーサル・レコードと有利な条件で契約するのに手腕を発揮した。プリンスはその報酬に彼女にテスラを買い与えた。

テオは、ファエドラが4月22日にペイズリー・パークを封鎖したことを不審に思っていた。23日にテオがペイズリー・パーク内に入ったとき、カークが床にある何かを取り除かないといけないと言ったのが印象に残っている。テオはカークに、最後にコンピュータを使ったのは誰かと尋ねた。カークはPCのパスワード(プリンスがPeter Bravestrongという偽名で使っていたもの)を知っていたが、最後に使ったのはいつか思い出せないと言った。するとファエドラが、それは何とかなると言った。その言葉がテオには引っかかった。テオは、ペイズリー・パークでファエドラと一緒に働いていたとき、以前シリコン・バレーに住んでいたことがあり、知り合いに頼めばコンピュータをハッキングできると聞いたことがあった。

ファエドラはプリンスが亡くなった後のお金の支払いについて気にしていて、銀行に行く必要があると言っていた。テオはそれを聞いて、プリンスが死んだ直後にそんな話をするのかと思った。テオの在職中、プリンスは自分で支払いをすることはなく、すべてテオかファエドラに任せていた。ビジネスの資金管理をしていたのはファエドラだった。彼女はしばしばプリンスから命じられた支払いを拒むことがあり、例えばプリンスはジミ・ヘンドリクスの伝記映画の製作チームに10万ドルを提供しようとしたが、ファエドラは支払わなかった。

テオは4月23日にジュディス・ヒルと夕食を共にし、その席でプリンスの命を救う機会がなかったのかについて長いこと話し合った。ジュディスがファエドラに、アトランタの緊急搬送のときに医師がプリンスに至急医療的なケアが必要だと言っていたと知らせると、ファエドラは、プリンスはただ寝ていただけだと笑い飛ばしたという。

テオはプリンスのために菜食主義者のための栄養管理のできる料理人を雇い、プリンスに会いたいというメッセージの選別をする仕事もしていた。不適当な人物からのメッセージを伝えるとプリンスの逆鱗に触れるからだ。

テオが2015年に辞める決意をしたのは、あまりに多くの責任を負わされていると感じたからだという。あるときプリンスはテオにペイズリー・パークの修繕が必要な個所を案内して、建物管理をしてほしいと言った。プリンスは寝ないし、夜通しメールを送ってきた。彼が辞めることを知ったプリンスは激怒したが、もう肉体的にも精神的にも限界だった。

警察からカークについての印象を聞かれると、テオは、カークはファエドラの命令することを行っていただけだ、お金を管理しているのはファエドラだから、と答えた。彼は操り人形のようなもので、自分はカークが好きだし、誰もがカークを好きだが、彼自身は自分の考えというものを持っていない、と言った。

メロンについてはどうか、と聞かれると、テオは、プリンスとメロンは親密であり、彼が辞める直前に雇われたと答えた。

ラリー・グラハムについては、プリンスがラリーを友人として大切に思っていることは明らかで、彼の家を建てるためにいつでも100万ドルを用意してあると言っていた。ラリーがそのお金を受け取ったかどうかテオは知らない。

プリンスが何かを入手したいときに、彼が頼むとしたら誰か、という問いには、カーク、メロン、ファエドラ、とテオは答えた。

テオはペイズリー・パークのセキュリティについても話した。プリンスは誰かに見られていると感じるのが嫌で、自宅の監視カメラはすべて切られていた。電源を切らないと誰も携帯電話を持ちこんではいけなかった。彼はプライバシーを徹底して守った。

旅行するときには、自分のスーツケースはプリンスが自分で準備した、とテオは言った。出かける時には階段の下にある彼のスーツケースをただ車に運べばよかった。

プリンスは、自家用ジェットに乗っている時、自分のスーツケースを他人が絶対に開けないよう気にしていた。テオは、中にお金が入っているのだろうと推測していたが、中身を見たことは一度もなかった。

ジュディス・ヒルの証言では、アトランタ公演のときの自家用ジェットの中で、プリンスは自分のカバンの中からバイエル(ドイツの製薬会社)のラベルの付いたボトルを出していたようだという。カークは、飛行機の乗務員に、プリンスのカバンに触れないようにと念を押していたという。バイエルのボトルはプリンスの自宅からも発見された。そこにはフェンタニルの偽造錠剤が入っていた。プリンスはアトランタの緊急搬送先の病院で検査を受けることを頑なに拒んだ。ジュディス・ヒルがそのことでプリンスを問い詰めると、「ここで検査はできない」と答えるだけだった。

クリスタル・ゼヘトナーCrystal Zehetnerは、2010年にキランからの誘いでプリンスの料理人になったが、その後マネージメントに関わるようになった。今はファエドラが行っているような会計や著作権の管理やツアーの仕事や公私にわたる仕事を引き受けていた。

彼女が辞めたのは、プリンスの薬物のことが原因だった。

プリンスは股関節が傷み、ペイン・クリニックの治療を受けていた。彼は手、腰、足、背中、臀部のすべての痛みに苦しんでいた。クリスタルはしばしば自宅に医者を呼ぶように頼まれたが、彼が医者と話す時は必ずスタッフは部屋の外に出るように言われた。

プリンスは、尻が痛いとかB12(カンフル剤)を打ってほしいからと言っていたが、クリスタルはなぜ医者を呼ぶのか真の理由に気付いていた。

医者はLAでもミネソタでもツアー先でも呼ばれた。警察はクリスタルに、どの医者を呼んだのか教えて欲しいと再三訊ねたが、彼女は分かれば連絡すると言うだけで、とうとう連絡することはなかった。

クリスタルは、典型的な症状として、突然の体重減少、気分の落ち込み、「自分のいる場所がよくない」という気分などを挙げた。プリンスがペイン治療から離れることに成功した時期もあったが、それが長く続かなかったことで、彼女が辞める結果になった。彼の気分のムラについていけなくなったという。

このことはある程度の期間プリンスに関わった人なら誰でも知っているという。警察が調べないといけないのは、決して調べに応じないような人々なのだ、とクリスタルは言った。真実を知っているのはそのような人々であり、彼の周囲にいて、彼に「ノー」と言えない人々こそがそうなのだ。そのために彼は死んだのだ、とクリスタルは言った。

スタッフはプリンスを守ろうとしていた、と彼女は言う。しかし医者以外のところで手に入るのであれば、彼は直接連絡したと思う、と。

クリスタルは辞める時、ファエドラに、自分はプリンスの麻薬取引に関わるつもりはないとはっきり言ったという。プリンスが死んだとき、ファエドラは彼女に「今になってあなたの言っていたことの意味が分かった」と言ったという。しかし彼女はファエドラを責めるつもりはない。プリンスは一人の大人なのだ。しかし、周囲の人々が彼に何が起こっているかを知らなかったとは思わない、とクリスタルは言った。

カークについては、マネージメント能力に疑問はあるものの、彼はプリンスの古い友人の一人で、最も信頼されていた。カークはプリンスが鎮痛剤を使っているのを知っていたことは間違いないが、プリンスを守ろうと彼にできる最善を尽くしていたと思う。彼がプリンスのためにドラッグを入手していたとは思わない。

クリスタルは、4月20日、プリンスが死ぬ前の日にカークと交わした会話を覚えている。カークから電話で、彼女は事態の深刻さを悟った。カークはどうすればいいか分からないと訴えていた。プリンスはたくさんの問題を抱えていて、自分は最近までそれを知らなかったとカークは言っていたが、クリスタルはそれは信じられない、と答えた。

クリスタルは、カリフォルニアの何人かの知り合いに頼んでプリンスを施設に受け入れてくれるよう頼んでみると申し出たという。彼女は、プリンスをトルコかカイロに連れて行き、周囲の騒ぎが届かないようにしてほしいと言った。何よりも、今の家から連れ出すことだ大切だ、と話した。

その翌日にプリンスは死んだ。

クリスタルは、プリンスはあんな風に死ぬべきじゃなかった、彼にはもっとふさわしい人生があったはずだ、決してメディアや前面に出てこない人々こそ語るべきだ、と言った。

彼女は警察にそう話した1年後、ABCテレビの「20/20」に出演してプリンスのツアーでの生活や私生活について証言した。
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2020/11/13 | 投稿者: pdo

プリンスの自伝『The Beautiful Ones』を読み始める。

ちょうど2016年4月16日の、アトランタでの緊急搬送事件の直後の話から始まっていて、並行して読んでいる捜査報告書の内容と併せると彼のこの頃の心情が朧げに伝わってくる気がする。

捜査報告書の方は、専らプリンスの死にまつわる犯罪捜査という視点から彼の行動を追求するもので、それはそれで興味深い。

アトランタでのコンサートの帰路に飛行機の中で仮死状態になったとき、彼と一緒にいたのはカーク・ジョンソンとジュディス・ヒルだった。

ジュディス・ヒルは、プリンスの誘いで、4月12日にロサンゼルスからミネアポリスに飛び、ペイズリー・パークから一緒にアトランタの会場に移動している。

彼女は、その前年(2015年)にプリンスと一緒にアルバム『バック・イン・タイム』を製作しており、しばしばペイズリー・パークで彼と過ごしていた。ジュディスの名前が知られるようになったのは、マイケル・ジャクソンの最後の公演のリハーサルを撮影した『This Is IT』でステージに立つ様子が公開されたことだった。

アトランタの夜のショーは二回公演で、第一回目の公演終了後、控室で二人きりになった時、プリンスは他の人間には決して見せない表情を見せた。

以下はジュディスが、プリンスの死後に、捜査官の事情聴取において語った言葉である。

「私は彼のそんな様子を見たことがありませんでした。」

「彼は、最近は眠るのがとても楽しいこと、そして自分はこの世で行うべきことをすべて達成したような気がすると言いました。」


ジュディスがプリンスに、起きている時には生きているのが楽しいのかと聞くと、プリンスは即座に「ノー」と答えた。

「彼は、生きているのは『退屈だ、とてつもなく退屈だ』と言い、精神的に落ち込んだ状態にあるようでした」

二回目の公演は10時30分に始まり、ジュディスには、一回目の公演と同じくらい素晴らしいものに思われた。聴衆からエネルギーをもらったのか、ショーの直後のプリンスはいい状態にあるように見えた。

「ステージにいる彼の姿からは、彼の内心がどんなものかを知ることは絶対にできなかったでしょう。」

プリンスとジュディスが二人で話していると、控室のドアをノックする音がした。

プリンスの友人、CeeLo Greenが楽屋訪問に来て、明るいムードをもたらしてくれた。やがてジャネル・モネイも加わって、その日のショーについて15分くらい語り合った。ジュディスは、ジャネル・モネイのことを素晴らしいアーティストであり、プリンスの良き友人であると捜査官たちに語った。

二人が去ると、またジュディスはプリンスと楽屋で二人きりになった。

「彼が、二回目のショーの途中でほとんど寝落ちしそうになったと言ったのを覚えています。それを聞いてとても変だと思いました。ステージの彼からは決してそんな印象を受けなかったし、彼の性格的にも、そんなことを言う人ではなかったので」

続く会話の中でプリンスは、ミュージック・ビジネスについての不満を口にした。それはかつてのようではなくなってしまった、と彼は言った。

「彼はすべてのことに失望しているようでした。古き良き日に思いをはせ、今は誰もいない―自分しかいない―といった会話をしました。そんな彼の話を聞くのは辛いことでした。」

プリンスは会場を出てリムジンの中でもジュディスと話し続け、昔好きだった音楽の思い出について回想に耽っていた。初めてフリートウッド・マックを見たときのことなどについて話した。

そしてミネアポリスに戻る飛行機に乗り込んだ後、プリンスは気を失い、飛行機は緊急着陸して、救急車で病院に搬送される。ジュディスは、プリンスが死んだと思ってパニックになった。

プリンスが意識を取り戻してから、病院のベッドの横で付き添っていたジュディスに、こんな風に語った。

「彼は、『ぼくの魂が肉体から離れた。君の声は聞こえていたし、みんなの声も聞こえていた。ぼくはどうすれば肉体に戻れるのかを尋ね続けていた』と言っていました。」


ジュディスは、プリンスに痛み止めの薬を飲むのを止めるように言った。プリンスは、いつも手が痛むので、薬を飲まないと演奏できないと言った。ジュディスはプリンスの口からそんなことを聞くのは初めてだった。

プリンスは、薬を混ぜたことでこのような結果になったのだとジュディスに言った。カークはプリンスが薬を飲んでいることを知っていて、止めさせようとしていたが、プリンスはカークたち側近からも薬を隠していた。

病院を出る前、プリンスはジュディスに、自分の生涯の中で昨夜の二つのパフォーマンスが最高だったと言った。

「彼は、あれが頂点だったと言いました。そして、『これで僕はこの世を去って休息することができる』と言ったのです」



この、プリンスがステージでたった一人でピアノを演奏するだけの公演、『ピアノ&ア・マイクロフォン』について、『プリンス回顧録』の編者ダン・パイペンブリングはこのように書いている。


プリンスはペイズリー・パークで『ピアノ&ア・マイクロフォン』の初公演を行った。

ショーの構成は、デビュー・アルバムの『フォー・ユー』から最新作までの楽曲に、物語と省察を入れ込んだものだった。その挿話から、彼が当時考えていたことを知ることができた。彼は、自分の過去を整理していたのだ。

その夜、ピアノの前に座るとすぐに、プリンスは過去のさまざまな出来事を回想し始めた。彼はいきなり子供に戻ると、音楽にまつわる思い出を語り始めた。

「ピアノが弾けたらいいのに」

彼は観客を前に、子どものように語った。

「でも、ピアノの弾き方がわからない。3歳の目には、ピアノは大きく見えた。ううん・・・テレビでも見ようかな」

彼はピアノに飛び乗ると、テレビの前でポップコーンをほおばる仕草をした。

「パパが来た。ピアノには触っちゃいけない約束だけど、弾きたくてたまらない。パパが出て行った。パパとママは離婚するんだ」

それから彼は、もうひとり登場人物を加え、まるで父親が部屋にいるかのように振舞った。

「実のところ、パパが出ていくのは嬉しいよ。僕はまだ7歳だった。でもこれで、好きな時にピアノを弾けるんだ」

プリンスは、『バットマン』の主題歌から数小節を弾いて見せた。

「でもパパみたいには弾けない」と彼は言った。

「パパはどうやって弾いているんだろう? ええと、・・・歌が歌えたらいいのになあ」

彼は言い添えた。

「パパのようにピアノを弾けるようにはならないだろう、と僕は思っていたし、パパもことあるごとにそれを僕に思い知らせた。それでも、僕たちは仲がよかった。パパは僕の親友だった・・・」

この公演が行われるまでは、プリンスがステージの上で極めて率直な発言をするなど考えられなかっただろう。この日のセットリストには、伝統的な黒人霊歌『マザーレス・チャイルド(時には母のない子のように感じる)』が含まれていた。「家から遠く離れている」彼は、「ときどき死にそうな気分になる」と歌った。

その夜、彼が最も赤裸々にもの悲しさを言葉にしたのは、コンサートの後半だった。

「明晰夢を見た人は、どれくらいいる?」と彼は観客に尋ねた。「昔よりも、夢を見るのが好きになってる。友達が何人か亡くなって、彼らと夢の中で会っているんだ。なんだか彼らが生きているような感じがして、夢の中が現実のように感じることもある」

それから彼は、『Sometimes It Snows in April』を歌いはじめた。

この曲じたい、彼のレパートリーの中でも特に哀愁の漂う歌だ。



トレイシーは長い内戦が終わってすぐに死んだ

僕が彼の最期の涙を拭き取った直後に

彼は昔より幸せに過ごしているだろう

この世に取り残された愚か者たちよりもずっと幸せに

僕はトレイシーを思ってよく泣いた 彼はたった一人の友だちだったから

彼のような人に巡り合うことは滅多にない

僕はトレイシーを思ってよく泣いた 彼にもう一度会いたかったから

でも人生はそう思い通りにならないものさ


四月に雪が降ることもある

時にはひどく落ち込むこともある

時には人生がずっと続けばいいと思うこともある

でも人は言う、どんないいことも決して続かないと


僕は春が一年の中でいつも一番好きだった

恋人たちが雨の中で手を取り合う季節

でも今では 春はトレイシーの涙を思い出させるだけ

いつも愛のために涙を流し 決して痛みのためには泣かなかった

彼はいつも死ぬのは怖くないと言い張っていた

彼が怖くないと言うので僕もそう思い込んでいた

彼の写真を見つめているときに気づいた

僕のトレイシーが泣いたように泣いた人は誰もいない


僕はよく天国について夢想する トレイシーがそこにいることを知っているから

彼は別の友だちを見つけたことだろう

たぶん彼は四月に降るすべての雪の答えを見つけたことだろう

たぶん僕もいつか僕のトレイシーを再び見つけるだろう


四月に雪が降ることもある

とても落ち込んでしまうこともある

人生に終わりがなければいいのにと思うときもある

でも人は言う、いいことは決して続かないのだと 


どんないいことも、いつか終わる

愛は、それが過ぎ去るまでは愛とは分からない

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