2008/9/5

他人事なら笑い話だね。  姑ネタ

<おことわり>

今回のおぼえ書き非常にブラック、かつ罰当たり(と思われそう)な話が満載になります。
不愉快に感じそうな方は読まずにスルーしてください。


本文は「続きを読む」にて。


おばちゃんの火葬が済んで舅宅へ引き揚げると、休む間もなく祭壇を作って御骨の安置。全て葬儀屋さんがやってくれるので、私達は何もすることはないのだけれど、仕事上、葬儀屋さんは今後の段取りなどが気になるわけで、初七日や四十九日の法要はどうするのか?という話になったのだが・・・結局、何もやらないことにした。 


というのも、生涯独身だったおばちゃんは実家と断絶状態だったので実家の墓に入るわけにも行かずに自分で墓を建てていたし(これもいろいろあるのだけど)、全て姑が取り仕切るので構わないのだけれども、姑自身に仏事の知識が全くないし、ダンナ実家の面々は、誰を取っても信仰が無いか、あってもバラバラでどうしたらいいのかわからないのだった。とりあえずお墓はあるので、納骨さえすればいいだろうと。

石屋さんに聞くと、「学会(創価学会?)などは納骨にお坊さんは来ない」らしく、実際、石屋さんさえ呼べば納骨はできてしまうらしい。

今後の参考に(謎)と舅に話を聞いてみたのだけれども、舅の父母は早くに他界したためにどこの宗教だったのか判らず。舅自身は物心着く前にキリスト教で幼児洗礼を受けたっきり、教会に通っていたのは小学生までで、さらに舅のお兄さんは、たびたび教会に通い続けていた(ミサに通うと、その後美味しいご馳走が振舞われたとかいう理由で)経緯からキリスト教で葬儀をした。親戚を辿ると、クロズミ教(後で調べて判明、黒住教。神道の一つらしい)に入った人もいたとか。

私が結婚してこの家と関わるようになってもう15年くらいだけれども、振り返れば墓参りに行ったのも数えるほどしかない。それもお盆とは関係ない時期ばかりで、思い立ったら墓参り♪みたいな感じだった。事あるごとに「神様、神様」とやたら話題にしている(姑だけだけど)わりには、神棚も仏壇も目に付かないところで埃まみれで何もしてなかったりする。

その仏壇には魂が入っているわけではなく(お坊さんが家に来たことがないらしい)、ずっと前に住んでいた家に置いていた物を今の家にそのまま持ち込んでいる。その仏壇を持ち込んだ姑すら仏壇はもう置きたくないから処分の仕方を調べてくれと。
そもそも仏さんもいないのに、何のために仏壇なんて買ったんだ・・・。

私の出した結論は、「(魂の入っていない)この仏壇はただの箱なので、粗ゴミ(「あらゴミ」。これは神戸特有の言い方で、粗大ゴミの意)で出して良し!」(その代わり、処分だけは姑さまがやってね)。

仏壇置くにも婆ちゃんの位牌を作るにもお坊さんを呼んでいないのに、供養だけしてくれなんて言えるわけないじゃん・・・。

おばちゃんの葬儀のときの互助会の人が言うには、位牌(仏壇に入れる本位牌)は宗教によってあったりなかったりするらしい。真言宗と臨済宗は要ると言っていたような。
過去帳(故人の名前、亡くなった日を書いておく、ちっちゃなノートみたいなやつ)だけでいい宗派もあるらしい。

困ったことに(というのもアレだけど)おばちゃんは生前、お婆ちゃんの位牌を作っていた。それも夫婦位牌。本家に行ったら位牌はあるのだけど、それとは別に仏壇屋さんで作ったらしいのだ。当然の如く、お坊さんにお経を上げてもらったわけではなく、ただ作っただけ。
仏壇を処分したいと言っている人がいる中で、位牌があるってのは困ったことだ。
仏壇みたいにゴミで出す(それもどうかとは思うけど)というのも、気が引ける・・・・。
そんなわけで、おばちゃんの(本)位牌も、作らないでおくことにした。

位牌だけでなく、もちろん(!!)過去帳もだ。
いつ作った仏壇なのかがわかるかと、過去帳をペラペラとめくると、

『○○××(爺ちゃんの名前)陸軍上等兵でアリマス』

とか、

『ブーブー(飼ってた猫の名前)、○月×日死亡、
この鉛筆書きは何があっても消さないでください。』


と、おばちゃんの鉛筆書きがあった。過去帳は落書き帳じゃないっつーの・・・

どうやら、おばちゃんに神様が憑いた頃に書かれたものらしい。(当時は気が狂ったと病院に入れられたくらい特におかしかった時期なので、推して然るべしというところなのだけれども・・・)

私がこれを見つけるまで、舅も姑もこの内容を知らなかったらしい。

消さないで!と言われてるので、これを解決するには新しい過去帳を作ればいいのだろうか??
でも、仏壇を処分するのに、過去帳だけ保存っていうのもどうなんだろう?
これも悩むところだ。


この顛末を実母に話したら、「他人の家の話なら面白いわね。」と言われた。
エラい家に娘を嫁がせてしまった・・・って心配するところじゃないのか!!



2008/9/7  8:19

投稿者:ゆっき

kenkenさん
30代で三度も・・・ご苦労されたのですね。
今回いろいろな選択を迫られ、やっと一息ついた時に、「これで良かったのかな〜?」と思うことだらけで。
宗教、宗派がわからない(ない)だけに、余計に悩みました。

結局、ダンナとその両親には
「自分の時にどうしたらいいのか、各自決めて表明しておくよーに!!」と言い渡しました。(苦笑)

2008/9/7  0:42

投稿者:kenken

人の終焉の時には色々と有りますよね(^^;亡くなった人は、何も言えないので残された者がどう思い考えるかによってあらゆる選択肢が生まれてきます(><) 私は30歳代に三度も喪主を務める事に成りましたが、一番最初が父の葬儀でしたが、実の父であったのがまだ救いでしたが、それでも色々と有りました。湯灌に関してはJIJIさんと同感です。三度とも現実家(RFSで建て替える前の家)で行いました。
宗教・宗派に関しては、その故人に合わせるのか先祖に合わせるのかでしょうが?今思うと、どうするかを生きているうちに決めて、親族に伝えておく事が一番の理想でしょうね。
またお墓にしても、親族が代々ちゃんとお墓の面倒を見ることが出来るのならそれに越した事は無いのでしょうが、いつかは無縁仏のようになってしまうのも、如何な物かと?なので自分の子供たちに、ちゃんと教えていかないといけないと思いますし、出来ないのならまた他の方法を考えなければいけないとも思います。
しかし、どんな形であっても先祖を敬う気持ちさえ忘れなければ良いと思います。
それから、一番ややこしかったのは、父方の祖父が亡くなった後の相続関係が大変でした。資産がある方は、遺言状を作っておくべきですね!! 自分の思いとは違う形になることが有りますからね。
何か取り留めの無いコメントになってしまいました。すいませんm(__)m

2008/9/6  23:04

投稿者:ゆっき

JIJIさん
コメントありがとうございます。

私の父のときも、今回の伯母のときも、突然に亡くなってしまったので、前の日まで普通に入浴していたんですよね。父の場合は家で倒れてそのままでしたので、不審死ということで解剖に回されたというのもありまして・・・どちらも湯灌はお願いしませんでした。
私の場合は、父を白装束に着替えさせる時が最も荘厳な儀式だったように思います。

葬儀は日常的な行事でないだけに、物珍しさが先に立ってしまいがちですが、一つひとつの行為に意味があることを葬儀屋さんに説明されると、昔の人は故人のためにいろんなことを考えたんだなぁと感心します。

でもやはり、葬儀というのは故人のためというよりも残った人のため、お別れの儀式をすることで、生きている人が心の整理をするためにあるんじゃないかと。その後の仏事も初七日、四十九日、新盆、一回忌・・・だんだん間隔が開いていきますよね。そうやって時間をかけて悲しみを乗り越えて行くように考えられているんじゃないかと、そんな気がします。

ろくに仏事などやっていなかった私の母が、父の死後になってマメに仏事を行っているのも、悲しみを乗り越えるために欠かせない事なのだと思って見ています。

2008/9/6  13:53

投稿者:JIJI

ひとつ前の記事レスを兼ねて。
『湯灌の儀』
親父の葬儀のときにも、家族の前でこの儀を
行ってもらった。確か希望により選択できた
ように記憶しています。
その儀を見るまでは、どんなことになるんだろうと不安でしたが、葬儀場の一室にて、入浴デイサービスのような機材を持ち込み、シャワーしながら3人がかりで故人の体を清めてもらいました。
入院が長く、末期には入浴もままならない体
でしたので、この湯灌の儀の最中は、故人もきっと気持ちよく思っているだろうと家族で会話した記憶があります。
正直、葬儀全体の中で、最も故人を尊重し配慮された行いがこの『湯灌の儀』であっとと
思いました。

私も信心深い人間ではありませんでしたが、
儚さと悲しみを乗り越えるには、なんらかの
信仰もしくは、祈りをささげる対象があったほうが望ましいと感じています。
形式はともかく、先祖や家族への敬いの気持ちを継承できれば良いのではないでしょうか。

自身は、残る家族に負担はかけたくありませんが、可能であれば、記憶に留めてもらえる存在として人生を終えられれば・・・・と。

2008/9/5  23:44

投稿者:ゆっき

レオンさん
勇気あるコメント(?)ありがとうございます。
うちの父も、生前は「海に撒いてくれたらいい」みたいなことを言っていたみたいなのですが、母はせっせと仏壇を買って、位牌も作って、墓も建てて・・・と、その後も仏事を欠かしていないようです。

私としては、死んでしまった後は残された人達の好きなようにと思うのですが、それが悩みの種になったりするのは不本意なので、ある程度の指針は示しておきたいと思っています。

今の日本、レオンさんの言われるとおり、クリスマスをお祝いしたら、大晦日にはみんなで除夜の鐘を聞いて、年が明けたら神社に初詣して、って人がほとんどですよね。
クリスチャンでもないのに教会で結婚式をするとか、子供が生まれたらお宮参りをするとか、何と言うか「いいとこ取り」がOKなんですよね。

それがダメと言うつもりは毛頭ありません。生きているうちは、楽しめることは楽しんでおくべし!と私は思います。

2008/9/5  23:21

投稿者:レオン

ゆっきさん
かなりブラックでした。。。
今後の健闘を祈ります。

我が家は無宗教なのに
正月は神社でお祈りをして
明日は娘の幼稚園でアーメンです。

嫁さんには
自分の時には散骨を兼ねてHAWAIIにでも
遊びに行くように伝えてあります。

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