6月14日(金)の65
15:15 布気皇舘太神社 (写真1)
神社ネットより
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御由緒
由 緒 延喜式神名帳には、垂仁天皇一八年鈴鹿郡布気神社と見えている。 昔、旧野村字に布気林という所かあり、そこに奉斎してあったことから布気神社と称えたのであるが、 文明(一四六九‐八六)の頃に起った兵乱のため、社殿悉く焼失したため、後に皇舘の森へ奉遷したと伝えられている。 皇舘の森の皇舘とは、垂仁天皇の御宇、天照大御神が忍山に御遷幸の折、大比占命が神田・神戸を献じ給うたことに由来する地名であり、 野尻、落針、大岡寺、山下、木下、小野、鷲山の七ケ村を神戸郷と言い皇舘太神社を総社と仰ぎ、平素の尊崇は論を俟たず、 大祭の奉仕に専念、殊に早魃の時には郷民こぞって参籠して祈ったということである。いろいろな名で親しまれたが、 亨保八年(一七二三)に、吉田家から皇舘大神の神号を受け、布気神社皇舘大神となったが、明治四一年六月より現在の社名となった。 明治四一年、近郷近在の小社・小祠を合祀して今回の神社になった。倭姫が立ち寄ったとも言われている。宝物等 獅子頭 一口
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神社の前も境内も真っ暗でひんやりしていて、とても鳥居をくぐる勇気はありませんでした。
その先の道(写真2)も、写真は編集して明るくしていますが、真っ暗で、早くここを通り抜けてしまいたい、と思いました。
その冷気みなぎる聖域を抜けた辺りに、写真3の灯籠のある家がありました。
本日の66に続く


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