ウイルスの役割とは〜ウイルスは私たちの免疫システムの一部  社会

以下の文章はいかなる科学的根拠もありません。これは私の中におりてきたものです。

自らの内なる声です。現在、あらゆる恐怖が国や専門家やマスコミから流れてきます。

ですから、それを予防する“それ”をどうされるかは情報を収集しあるいは信頼できる医師とご相談のうえご自身で判断してください。

今現在私が把握しているところでは、予防するそれを拒否することは簡単なようです。それがいかにも強制であるような情報はメディア中にしか存在していないことを覚えておいてください。

以下は私の内なる声で有り、科学的根拠は一切ありません。自らの力を信じて、不安や恐怖に心を明け渡さないようにしてください。

ウイルスの役割とは

ウイルスは生命体ではありません。ウイルスはタンパク質の殻と内部に遺伝情報を持った物質です。ウイルスは生命のシステムを利用して増殖していきます。

ですからウイルスが生命体に侵入していない状態ではそれは単なる物質です。

ウイルスは1935年に発見されました。それは生命体の中から発見されたのです。そのへんの土や空気中から発見されたものではありません。

ウイルスは生命体の中から分離されたのです。

そしてウイルスは生命の仕組み、システムを利用して自己増殖するのです。

ウイルスは生命の仕組みを知り尽くしています。そうでなければ生命を利用することが出来ません。

ではウイルスはどこからやってきたのか?ということになります。ウイルスは生命のなかで発見されたのです。そしてウイルスはタンパク質の殻と内部に遺伝子を持っています。

そして細胞内に侵入する時もそこから他の細胞に侵入する時もこの遺伝子を利用しています。

このことから、ウイルスは私達の一部であることがわかります。ウイルスは私たちの身体から出ている物です。

では何故そのようなウイルスが身体から創られて、他の生命体に侵入しそこで感染して自己増殖を行っているのかということですが、これは常に行われているものです。

通常の営みです。私達生命体は常にこの地球上で生き残るために環境に適応する必要があります。

地球の環境が変化したり、それに伴い食べ物が変化したり、あるいは放射能の数値が高くなったり、紫外線が強くなったり、酸素濃度が変化したり、その変化に適応するには設計図(遺伝子)書き換えなければなりません。

ですから人間のシステムとして、そのような変化を感知した時に、自らの体内でウイルスを製造しその中に新しい遺伝子をコードします。その遺伝子を抱えたものをウイルスとして体外に放出し、他の生命体(人間)に受け渡し(感染)そのウイルスが他の人間の遺伝子を改変することによって、環境に適応する生命体を創造していくのです。

ウイルスが遺伝情報を持っており、遺伝子が人間を変化させるのです。

これは生き残るための巧妙なシステムです。人間のシステムをウイルスが利用できるのはこういうことです。

その我々が病気として捉える感染と言う現象は、実は外界の変化に適応して生き残るための人間のシステムの一部です。

現代科学や医学や大衆が考えている病原体としてのウイルスは存在しません。それはウイルスでは無く、人体で自らが創造した遺伝情報の放出です。これにより人間は遺伝子を書き換えるのです。

私達は多くの微生物と共存しています。空気中には、土壌には目に見えない微生物が多数存在し、我々の皮膚にも口から肛門まで粘膜にも多数の微生物が存在し、人間はその微生物を利用し、微生物は人間を利用しお互いに生命体として共存しています。

この微生物のバランスを崩すような上記に記した外界の変化が存在した時、微生物の細菌叢のバランスが崩れるとき人体は病として表現します。そこでその病気の状態を人体が感知し、遺伝情報をウイルスとして放出します。

それがウイルスと呼ばれるものです。外から感染するものではありません。自らがタンパク質の殻に遺伝情報をコードして外界に放出し、他の人類が生き残れるように新しい遺伝情報を与えるのです。

これがウイルスの正体です。ですからウイルスはタンパク質の殻を持ち、遺伝子情報を持っており、人間のシステムを利用できるのです。

これが感染の仕組みです。遺伝情報の共有がウイルスの役割です。

これまでも人類はそうやって生き残ってきました。ウイルスは病原体ではなく、遺伝子の書き換えを促進する物質です。

人を死に至らしめるのがウイルスの役割ではありません。その逆で生き残りをかけた遺伝情報の受け渡しです。

ほとんどの人がウイルスに感染してもほぼ大丈夫なのはそういうことです。この遺伝子の書き換えを行う時に必要なのが免疫です。私たちの中に存在する免疫力です。マクロファージや白血球です。これらは必要な遺伝情報の書き換えと、不必要は遺伝情報の書き換えを選別します。

この際に必要なのが症状です。書き換えにはエネルギーが必要なのでそれが発熱になります。そしてそのウイルスを体外に放出し他の人類に渡すときに咳がでます。

そうやって人類は環境に適応し生き残ってきたのです。

今現在、流行している“それ”もそういう役割を持っています。書き換える必要が無い人は無症状で終わります。

書き換える必要がある人は症状が出て遺伝情報を獲得しより適応していきます。

残念なことですが、その過程で亡くなる人も存在します。それは体力の無いお年寄りや深刻な基礎疾患を持った人がそれにあたります。

これは今深刻になったわけでは無く、昔からそうです。

血液が汚れると体内の微生物のバランスが崩れ、普段は悪さをしない常在菌が細胞内感染を引き起こします。人体はそのままでは身体が弱って死んでしまうかもしれないので、コードした遺伝情報をタンパク質の殻で包んで細胞内に創り出し、遺伝子の書き換えを行います。遺伝子内にはすでにあらゆる状況に対処できる遺伝情報が存在しているため対応することが出来ます。

自然の川でも流れない川は腐ります。川が腐れると酸素の供給も断たれ、そこに生きている魚などの生命は死に至り、微生物のバランスは崩れ、悪臭を放ちます。その川を流すには、なんらかのエネルギーが必ず必要になり、エネルギーを加えて川が流れるようにしてあげれば、川の水は酸素を含み微生物叢もバランスを取り戻し、魚も住はじめ生命が溢れきれいになります。

ですから血液の流れを良くするためにウイルスが出現し、そのウイルスが遺伝子を書き換えるときに発熱などの症状が発現します。この時、すべてのエネルギーは熱なので、熱を奪うようなことをすると遺伝情報は転写されず、その病は深刻化していきます。

ガンの自然治癒は昭和40年代には珍しいことではなかったと、私の師匠は教えてくれました。それは風邪を引いて、発熱したあとにみられるそうです。たったの2〜3週間でガンは完治していたということです。

末期のガンであってもその人がヨロヨロと歩けるくらいの体力があればガンは完治すると師匠は教えてくれました。

ですからウイルスは敵では無く、私たちが創り出したものです。それを否定することで問題は深刻化しているのです。

さらに問題を問題にしているのは、このウイルスによる遺伝子の書き換え(これは人間のシステム)を、薬により人間が意図的に行おうとしていうことです。

人間が体内で自ら作り出したシステムであればそれは自然に適応できるものですが、人間が人工的に作り出した遺伝子の書き換えシステムは上手くいくことはありません。

それが今、まさに行われようとしています。

それがいかに愚かなことで不可能なことであるかというと、体内でそのシステムを発動させるときにはそれは物凄い数の酵素反応や細胞間の連携が為されてはじめて起動するものです。

それは人間が決して解明できるものではありません。あまりにも複雑すぎて科学的と言う範疇を超えています。

ですから今でも高血圧や痛み止めや糖尿病などあらゆる薬が副作用だらけで最終的には、身体に深刻なダメージを与えてしまうのはそういうことです。

未だに何一つ病気を治すことが出来ないのはそういうことです。

現在、流行中の“それ”を防ぐためのものが市場に出回っていますが、それは、何一つ人体の複雑な細胞間コミュニケーションを理解しないまま人工的、科学的という根拠に基づき、遺伝子を転写して書き換えるということを行おうとしているからです。

その被害は想像を上回るほど破壊的な結果をもたらすでしょう。それは短期的にでは無く、長期的に甚大な被害をもたらします。

何か検査機器を用いて、そのウイルスを発見したと騒いでいるようですが、それは全く無意味です。

それは感染するものでは無く、自らの体内にすでに存在しているものです。ですから、不顕性感染(無症状感染)を調べだすと、あらゆる無症状感染がそこに発見されるでしょう。

現在流行のそれは防ぐものでは無く、誰しもが必ず“それ”を持っており、“それ”にいずれは感染するのです。

ちなみに感染したから発病するわけではありませんのであまり恐れる必要はありません。

専門家や国によって、陽性と感染と発病が全くわからなくなっています。気を付けてください。
もし、今後、致死的な感染症が流行した時は、それは人体が創り出したものではなく、間違いなく人工的に作成したものです。

ウイルスは人類が生き残るために創り出したのです。



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マネジメント  社会

多くの人々は管理されたがっている。自由など要らない。管理に気づいたと思い、管理は嫌だと考えている人もいるが、誰が管理しているのかに気づきもしない。

全てにおいてマネージメントされている。世界の支配者など必要ない。ビジネス書を読んでごらん。そこにはマネージメントの仕方が書いてあり、小学校から中学。高校でも大学でも会社でもマネージメントを学ぶ。だからあなたは管理の仕方を学び、そしてあなたは管理されている。

あなたが管理を学びあなたが管理し、あなたが管理されている。

そしてあなたは管理されたくない。自由が欲しいと言いながら自ら管理される。

つまり管理しているのは”あなた”だ。

家畜は嫌だと言いながら家畜を育てている家畜はあなたである。
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あなたは誰(WHO)と闘っていますか?  社会

それは口輪や薬、あるいは家にいることで予防できるので、口輪や薬を望んでいない人と共存できます。

それはこうです。

口輪や薬を使いたい人はそれを使い家にいる。あるいは予防しながら外に出る。

それを望まない人は口輪も薬も使わず、外に出ても家にいてもいいのです。

何故なら、口輪や薬は予防するからです。予防できる口輪や薬を使用した人は外に出ても大丈夫です。

それを使用していない人からそれをもらうことはありません。

それを使用していない人も大丈夫です。何故なら周りのほとんどの人が口輪や薬を使用するからです。

ですからどちらも共存できます。お互いに争わないでください。

もし、それでもそれが増えるようであれば、口輪や薬に疑問を持ってください。

すでに疑問を持つ段階に来ていますが、疑問を持つことさえ出来ず、大衆同士で争っていることは非常に悲しいことです。

あなたを脅かしているのは一体何ですか?誰(WHO)ですか?

専門家が言う”それ”ですか?国ですか?政治家ですか?企業ですか?職場ですか?それともマスコミですか?情報ですか?教育ですか?常識ですか?科学ですか?専門家ですか?それとも世間ですか?あなたの中にある妬みや嫉みですか?

それは本当に恐ろしいものですか?あなたはそれを見たことがありますか?
一体あなたは誰(何)と闘っているのでしょうか。

それは指をさすことが出来ますか?自分の言葉と自分の考えで説明することができますか?
静かに考え周りを見渡したとき、そこには何も争う相手がいないことに気づくはずです。
もし闘いがそれでも止まないならば、その闘っている相手は自らの破壊的な”恐れ”になります。それは自己破壊的なことになるでしょう。

争いを止めれば、それは終わります。

私達は”恐れ”について学ぶ必要があります。何故、本能的な恐れ以上に私達は恐れるようになったのか。

過剰な恐れは自己破壊的であり、子供を破壊し、社会を破壊します。そしてそこには平和や平安、安寧、静寂、愛は存在できなくなります。
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それ  社会

これから多くの人が亡くなるでしょう。それはそれによるものではありません。それを防ぐものによって行われます。しかし、大衆にはそれが引き起こしたように見えるでしょう。

または、それは効果があったようにみせかけてくるかもしれません。

あなたがファクトチェックをしたり、調べたりすればするほどあなたの頭の考えは強固なものとなるでしょう。

なぜならあなたの思考はすでに乗っ取られ、なにもかもが完了しているからです。

もうあなたはその中から抜け出すことはできません。

科学は常に大衆を偽装してコントロールします。

しかし、偽装について、あなたはそのことを全く考えることが出来ない様になっています。




それは今後も無くなることは無いので、これからは一生緊急事態の中で生きていくことになります。

それが新しい生活なので大衆はいずれ受け入れてその生活が当たり前となります。

そうなったらもう疑問は生じなくなります。

支配者がハウスと言えばステイホームです。お手と言えば腕を差し出しそれを防ぐものを与えてくれます。

待てと言えば自ら行動を制限します。

そして口をふさがないと危険なので口輪をさせられます。

大衆は非常に躾けやすいペットです。おそらくそのうち檻の中に入っていても気づかなくなるでしょう。

そしてすでにそうなっています。

檻(ハウス)から出ると処分が待っているでしょう。


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時間は幻想ですが、肉体は痛みを感じます。
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今は存在するか〜幻想の世界  社会

私達は過去と今と未来という時間の中に生きていると考えている。

では時間とは何かを考えるとき、川の流れで見るといい。

川は上流から下流に流れ海に出る。海の水は蒸発し雨となり大地に注ぐ。

大地は水を溜めて、それが湧きだし川となる。そして川は海へ注ぐ。

これは循環である。そして決まったように行われる。

さて、この川のどこに過去があり今があり未来があるのか?

ある人は川の上流を見てそれが過去だと言う。そして下流が未来だと。

しかし、この循環を考えた時、それは過去では無い。そして未来でもない。あなたがその川の上流を見ても下流を見ても海を見てもそれは今に過ぎない。

ですから私達は実際には川を見ることが出来ないのです。それは循環を見ているということです。

時間と言う観念は現代の物理学に絶対的に必要な概念である。物理学を科学だと私達は言うが、それは私達が創り出した観念で有り、宗教と同じである。

科学と言うと何か根拠があると多くの人は思い込んでいる。

それは観念に過ぎない。他の観念を物理学者や科学者が考え出せばその観念は180度ひっくり返る。

今のところ、相対性理論のような観念の中に閉じ込められているので人々はその監獄の中から出ることが出来なくなっている。

何故ならその優秀な人々は絶対的な現代科学という教義を携えているからである。この教義をぶち破ることが出来るのはある種の変人である。

私達は幅、奥行き、高さに時間を加えた空間の中に存在している。

幅も奥行きも高さも時間と言う空間が無ければ存在しない。もちろんこの時間という概念が無ければ変化、動きも説明することが出来ない。

しかし、川の流れ問題がここで生じる。すべては循環の中にある。ではどこに時間があるのか?

やはり今しか存在していない。時間とは人間が考え出した観念に過ぎない。

そして私達は物理学者はその観念の中に閉じ込められている。物理学者は”今”という存在を科学的に証明できない。

今を切り取ることが出来ない。ですから”今”を科学的に証明できないでいる。

今の存在を証明できないということは、私たちの存在を証明できないばかりか、時間の存在も証明でいないでいる。

しかし、私達はそんなことは関係なしに”意識”として存在している。

脳科学者によると私達が行動を起こすときに、それが認識される前に脳のニューロンが発火しているそうだ。

つまり認識や意識が起こる前に脳が反応している。これは人間に自由意志が存在しているのかという疑問を生じさせた。

このことからやはり神がいて、人間はゲームの駒に過ぎないという人々もいる。

アインシュタインは”神はサイコロを振らない”と言ったが、不確定性原理によると何も決まっていないということになる。

つまりラプラスの魔物(因果律の従って未来は確定する。簡単に言うとあなたがビリヤードの球を打てばそのあとはすべて確定しているということ)は存在していないということになる。

しかし、これも単なる観念に過ぎない。どれも科学的では無い。

循環を考えた時、そこには創造も無ければ破壊も無く、原因も無ければ結果も無い。エントロピーの減少も無ければ増大も無い。

もし神が存在するなら私達はすでに決まった運命の中で、ただゲームのプレイヤーの駒として存在しているだけである。

シュミレーション仮説は全ての矛盾を説明できてしまう。

私達にとって観察していないものは存在していない。それは私が観察することによってはじめて存在することになる。

私たちが存在していると思っている自由意志は本当に存在しているのか?

科学的にも宗教的にも突き詰めていくとそこには”無”が存在している。

しかし、無が存在しているということは出来ない。何故なら”無”が在るということになるからである。

この現世の中で多くの人々が争いそして常に何か問題を抱えている。

そしてそれは終わりが無い。そして始まりも無い。

ただ、私達に出来ることはどんな問題も存在していないことを認識することだと思います。
それは現代科学や宗教あるいは身近なところでは倫理や道徳つまり決まりの中に存在しており、その限定された世界において善悪という観念があり、それは脳内で処理され視覚化した幻想であるからです。

ですからどこかの誰かがこの幻想をぶち破ってもそこには新たな幻想の世界が展開されています。

私達は常にそのことの観察者であり、その幻想のスクリーンに登場する俳優が繰り広げる感情劇場に巻き込まれず、まさにそれを観察するということが現世における生だと思います。
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水脈  医学情報

水脈を整えに御池神社の沢に行った。水はあらゆる万物の記憶であり、電化装置である。
水の流れは渦を創りそこに電気を生ずる。


水脈は地球の地球の血管であり、地球の隅々までエネルギーを送り届ける。


地球上の微生物、植物、動物、人間他のすべてがこのエネルギーを受けて動いている。

地球はエレクトリックであり、自然はエレクトリックである。そしてあらゆる生命や生命に限らずこのエネルギーをチャージしてその働きを維持する。

人間は電気で動いている。神経の伝達は電気現象である。そのエネルギーは血液から供給される。人は天空の気と水穀の気で健康に活動できる。

天空の気には水分が多く含まれている。穀物などの食べ物は水のエネルギーを受けて育つ。それを人間は食料として口から取り込む。

水は飲料水として人には絶対的に必要となっている。それがエネルギー源なのだ。

体内に取り込まれたエネルギーは血液に変化し、細胞で代謝され電気エネルギーとして人間を動かす。

水は生命の源であり、人間の60%から70%は水で出来ている。おそらく人間はほとんど水である。

人間の実態は個体としての物理的な物質化した人間が本体では無く、本体は水から出来ている。その水を細胞膜で取り囲むことにより固体化しているのが人間であり自分である。

水脈の詰まりを取るのが沢を整えるということになります。この沢の流れを良くすると水が流れ出しそこに電気を生じて、その電気が大気に放電され万物にエネルギーが供給されます。

ですから、沢を整え流れを良くすると大気に電気が解放され、一気にその周囲の空気が清浄に変化し、木々にエネルギーが行き渡りそこに風が通り抜け、上空には雲が生じたり、あるいは晴れ間が見え光が差し込みます。

多くの人々はコンクリートに取り囲まれ、汚れた飲食物を摂取し、汚れた空気を吸っている為、身体に余計な電気が溜まり、身体を動かすのに必要な電気を充電(チャージ)することが出来ません。

そのことにより人体のエネルギー供給装置である血管の流れが悪くなり、汚れた血液が溜まりそこに病気が生じます。

人間は十分に電気を充電できない為、正常に動けなくなるばかりか錆びついてしまいます。
何故、人が自然の中でエネルギーをもらうのかというと、そこにエネルギーが満ち満ちており、そこで充電できる、あるいは放電できるからです。

普段からエネルギーの詰まりがある場合、自然の中に行くと一挙に具合が悪くなったりすることがあるのはその人のエネルギーレベルが低すぎて充電された時にその電圧に耐えられないからです。

しかし、そういう人でもしばらく沢の流れを整えたりしているとそのうち体調が良くなりエネルギーに満ち満ちてくるのがわかります。

あるいは次の日に身体からエネルギーを感じるでしょう。

沢の流れを良くすることは人体の血液の流れを良くすることであり、水が流れ出すと水脈が流れ出しそこに渦巻きが生じ、波動となりその波動はエネルギーを放出し、生命はそこからエネルギーを充電しあるいは現代社会の中で不要に溜まった電気を放電させ
人体は正常に働くようになるのです。

ほとんどの人々は水の流れや水脈など何も考えずに生きていると思います。

ですから精神的、肉体的病気が蔓延することになります。自分の家や地域の水脈を整えることがいかに大切かということに改めて

体感し気づいたのが今回の沢の流れの詰まりを取るという沢活でした。

病気やあらゆるトラブルを解放するには自然の中に自分を感じることであり、自分の中に自然を感じることだと思います。

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