ハンドヒーリング(癒しの手)  メンタル

”ここ(私の治療院)に来ると落ち着くんですよ”

と、私と歳の変わらない、ある大きな組織のNO.2は言った。彼は大きな責任を伴う仕事をしている。私にはそのような責任を負うことなど到底できない。たいしたものだなと思う。

私の治療院に来ると落ち着くという人は多い。

それはそうだ。何しろこちらは肩書や地位や名誉とは遠く離れているのだから。私はそのようなものに全く関心が無い。おまけに協調性も無い。こちらはそのような社会からドロップアウトしているのだ。あまりにもドロップアウトし過ぎて、治療院以外での一般的な世間の興味関心と随分ずれてしまい、世間話というものがほとんどできなくなってしまった。私には、どこの誰がどうしたとか、自分は何をしたとか言う会話に全く関心がないのだ。

従って、治療院以外で人に出合うと、何を話して良いかわからず、様々な集まりなどでは、話す事柄がなく孤立してしまうことが多い。苦痛なこともあるがしょうがない。無理して話を合わせると非常に疲れる。何しろ興味が無いので会話にならない。それでも良いと思っているし、目立ちたいという思いも無い。

それでも講演を頼まれたりすると1時間でも2時間でも話はできる。これも頼まれなければ自分からはいかない。

このような治療家であるので、利害関係も何も存在せず、私の治療院では気を使うことが無い。

そんな協調性の無い私でも9年間会社の総務をしていたので、自分でも驚く。よく出来たものだ。今なら絶対に出来ないし死んでもやらない。

私は一般的に言うと社会的不適格者である。非常にわがまままである。

私が治療、鍼や灸をしていると寝てしまう患者が多い。開業して10年経つが、最近、自分の手からエネルギーが出ているのではと思う。触っているうちに皆寝てしまう。これは私が特殊能力を持っているのではなく、きっと同じことを10年続けていると誰でも出来るようになるものだと思う。誰の手のひらにもハンドパワーはある。変な人と思われる方は思えば良い。

神経症の方が治療に来る。大体は、子供時代に親に否定的に育てられ精神的支柱(自分は失敗しても受け入れられるという自己肯定感、安心感)が育っておらず、常に不安に苛まれる。

精神的支柱(自分は失敗しても受け入れられるという自己肯定感、安心感)が育っていないということは、根本が無いということであり、失敗したらそれでおしまいという恐怖感に支配されており、従って、常に緊張している。サバイバルモードで生きているようなものである。周りは常に敵だらけということだ。ゆったりすることができず、生き残り(サバイバル)に必至であるため、余裕は無い。だから、いいアイデアも持てず、常に失敗しないようにというネガティブな思考で行動(闘うか逃げるか。多くは逃げ腰である)する。従って、選択肢(行動)は手足が縮こまり狭いものとなる。

精神的支柱がしっかりしている人は、安心感に満たされ、周りにいる人は常に肯定的に自分を見てくれると思っている。もし中に否定的な人がいたとしても、必ず自分を信頼してくれている人がいるという安心感から、失敗を恐れない。このような人は常に余裕があり、緊張していてもその緊張はポジティブな緊張感であったりする。

この育てられ方のその後の”差”はその人の生き方を左右する。この”差”埋めがたいほど大きい。

精神的支柱がある人から、精神的支柱が無い人をみたとき、その行動が理解できない。

精神的支柱が無い。自己肯定感が無い、自己蔑視している人は、生きていくことは苦痛でしかない。

これは、精神的支柱を持っている人には到底理解できない。

では誰が悪いのか?それはわかりきっています。あなたが悪いのではありません。親が悪いのです。これは決定的です。あなたに責任はありません。兄弟が絡んでいる場合もあります。そうなると家族で、あなたはいじめられた可能性があります。弱いところ(者)に家族の病理は押し付けられるのです。

では親の責任を問えば良いのかと言うとそれも違います。親を責めてもあなたの問題は解決できません。

ただ、理解するだけで良いのです。あなたの責任ではないと。

私は言いたい。

あなたにはあなたの価値があるのです。

例え仕事が出来なくても、他人とうまくやれなくても、存在を否定されても、孤独でも、

あなたにはあなたの価値がある。

あなたが出来ることもあれば出来ないこともある。出来ないことを責められても、それがあなたには価値が無いということではない。あなたには何かできることがある。あなたしか感じられないことがある。あなたにしかわからない世界がある。それはあなたの素晴らしい価値です。

協調せよ、ポジティブであれ、という一般的な社会の物差しが間違っているのです。

あなたの全てを肯定して下さい。自己否定、自己蔑視は精神的自殺です。このような感情はあなたの責任では無いのです。





村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

をまどかちゃんが貸してくれたので読んだ。いつも医学関係の本ばかり読んでいて小説は久しぶり、それこそ数年ぶりに読んだ。

村上春樹は、「ノルウェイの森」「風の歌を聴け」「羊をめぐる冒険」「1973年のビンボール」「ニュークリアエイジ(訳書)」「ダンス・ダンス・ダンス」などを読んだことがある。

凄く面白かったとの印象は無い。今回、話題になっていたので期待しながら読んだ。書評は賛否両論あり、あまり参考にしなかった。

最初、冒頭の部分はつまらなくてもう読むのを辞めようかと思ったが、中盤、ひきこまれ一気に最後まで読んだ。

感想は、面白かった。いい小説だと思う。ただ、読んだ後はどうでもよくなった。これは赤川次郎的である。面白いんだけどそれだけ。というやつ。あくまでもこれは私の個人的感想であるので文句がある人は、どうぞ文句を言わないで下さい。個人的感想です。
何でノーベル賞に一番近い作家なのかな?非常に疑問???。
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フラメンコ  社会


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映画『シリウス(SIRIUS)日本語字幕』  宇宙 


下記サイトで鑑賞できる。

http://jceti.org/?page_id=1126

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肉食と平和  社会

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 人間はその身体的特徴、生理機能から草食動物である。さらに、他の動物にはみられない複雑な精神構造(想像力や創造力、過去記憶力や未来思考力など)を持っている。精神性豊かな生き物である。

しかし、その豊かな精神性を成長させることができず、お互いに殺し合いをしている。

この殺すという行為は、紛争や戦争、事件に限らず、日常茶飯事に平気で行われていることがある。それが肉食と言う行為である。

家畜である牛や豚、ニワトリを毎日のように殺戮しその死肉を食らう残虐な行為を平気で行える。

その精神性は残虐で残酷な行為である。

しかし、それは生きていくために食べると言う行為の上に正当化され、スーパーに死体が累々と積み重ねられていても何ら不快な感情も湧かず、むしろ舌舐めずりを行う。

生きていくために死肉は必要ない。人間に肉は必要ない。

ただ食われる為に、人間の一時的な快楽の為に、生まれて太らされそして殺され、ただ食われるだけの命があって良いのだろうか?

あなたの大切な優しい人も、残酷に殺された死体の死肉を食らう恐ろしい一面を持っている。これは人間の悪魔的な一面だと思う。

この残酷性、残虐性が人間の精神から無くならない限り、私は平和な世の中は来ないと思う。

日常的に常に殺戮を行い平気で死肉を食らう恐ろしい生き物。それが人間。

この残酷性に気づき精神が成長、発達し日常的に”殺す”という行為を終わらせた時にはじめて、この地球上に平和がもたらされるのではないだろうかと私は思う。

人間は肉食動物では無い、ネズミを生きたまま食べることは出来ない。生肉を引き裂く牙もも爪もない。肉を消化するような消化管を持っていない。生きている動物を抑えつけて殺すこともできない。

人間の食べて良い物は、果物、野菜などの植物、茸類、穀物などである。

生きていくために肉食が必要だから大切な命を食べさせてもらっている。ありがたく食べなさいなどというのは詭弁である。

肉食は必要ない。人間は生きていける。それは残酷な行為であることを私達はよく考える必要があると思う。


あなたは下記のサイトを現実として直視できるだろうか?

食卓のお肉ができるまで
http://saisyoku.com/slaughter.htm


これは私が考えていることであり、正しいと主張するつもりもない。それに、この世から肉食をなくすことは不可能だろう。しかし、この日常的な殺戮がいずれ残酷な殺戮行為である暴力行為、戦争に結びついているような気がしてならない。

いずれ人間はこの残虐性から脱却できるものと私は信じている。そのとき人間は平和な高等生物として進化する。





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モルジェロン病  医学情報

モルジェロン病患者さんからお電話を頂いた。モルジェロン病で苦しんでいる人の参考になればとブログを開設されたそうだ。

モルジェロン病は非常に認知度が低く、日本の医療関係者でこれがわかる人はほとんどいない。従って、モルジェロン病のような症状が出て病院に行ってもさっぱりわからない。

しかも、自らがモルジェロン病ではないかと思って病院に行くと、もちろんそのような病気は誰も知らないので、妄想だと思われ、おそらく精神科を紹介される。

そのような病気である。

しかし、私のところに電話を頂いた患者さんは、幸運なことに理解を示してくれる医療関係者に出合い、症状が良くなったようだ。

きっと同じような状態で苦しむ方にとって、このブログは役に立つことと思われる。

以下のブログをチェックしてみて下さい。



モルゲロンズ病患者のブログ
http://ala-aliis-plecent.cocolog-nifty.com/solong/


モルゲロンズ病は解明されつつあるようだが、いろんな背景から研究に圧力がかかっているようだ。

一刻も早く解明され、病気の増加の歯止めと、治療法が確立されることを望みます。



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精神医療  メンタル

内海聡医師の精神医療3部作

この著作で精神医療は99%詐欺だと指摘し、

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次作では100%精神医療を否定。

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3作目で、薬物依存からの脱却を指南。

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内海聡医師は、精神病は存在しないと言っている(あってもわずかである)。うつ、パニック、強迫性障害、不安神経症、社交不安障害やADHD(注意欠陥/多動性障害)などの発達障害、気分変調症、恐怖症などの病気は、病気ではなく状態である。

ストレスが高じると誰でも多かれ少なかれ、パニックになったり神経質になったりする。それはストレスに対する正常な反応であり病気ではない。

毎日絶好調と言うわけにはいかない。生身の身体である。多少調子が悪いのが当たり前である。

精神科医療の重大な問題点は、このようなストレスに対する正常な反応を病気と称して、しかも血液検査や画像所見のような明らかな、診断手法も存在せず、マニュアルに沿って、精神科医が、勘を頼りに診断し病名をつけて薬物治療がはじまることにある。

そうなった原因が何かもわからず、さらに生化学的な所見もなく、病気の機序もわからない。病気かどうかもわからないのに、病気として診断し治療がはじまる。

そして、何の解決策もない治療であるため、もちろん効くはずもなく、患者は新たに薬物依存と言う新たな病気と闘う破目になる。そうしている間に薬物の長期接種により、副作用として、脳の機能改変、代謝異常(糖尿病など)病気が増えていく。

患者になった皆さんはこう言う。

”私は薬を飲まないとおかしくなるんです。”

これが現代の精神科医療であることに間違いない。

内海聡医師は、精神科に通う患者は、牧畜された家畜であり、牧場主は精神科医で、餌は薬物である。一生搾取されボロボロにされる。家畜であるので、最後には屠殺される。

私は、内海医師の指摘は、その通りだと思う。薬物では精神は治らない。それどころか、新たな苦しみを生みだす。

彼は、一般的な医療から抜け出し、自説を貫き、日本ではじめての薬物依存脱却の医療機関を設立した。これは画期的なことである。覚せい剤やアルコール依存に対する施設はこれまで存在したが、合法的薬物の依存を断ち切る医療施設は今まで無かった。

私の臨床経験からも合法的薬物依存で苦しんでいる人は多数存在していると思われる。

薬物依存から脱却したいと思われている方は、内海医師の医療機関を訪ねてみると良いと思う。ただし、日本に一か所、東京にしかない。

Tokyo DDC<drug-deprivation-(support)-clinic>
http://tokyo-dd-clinic.com/


私は、この3部作を読んで全くその通りだと思ったのであるが、何だかすっきりしないものが残る。精神医療を否定するのは問題ない。病気として薬物治療をするものでもない。その通りだ。

しかし、社会的に適応できず苦しんでいる状態の方々は多数存在する。現実は、彼の言う通りでは無い。社会はそれを個性として認めてくれるわけではなく、非常に厳しい。

よく100%うまくしようと思うからいけないんだ。50%〜60%出来ればそれでOKでいいんだよという人がいるが、実際の社会ではそれは許されない。自分で50%で良いと思っていても、周りは100%を要求している。それが社会であり、会社だ。口で言っていることと、実際とは大きなギャップがある。そのギャップを知っているので、このアドバイスは役に立たない。ウソだろ!そういうことである。


彼は、弱者へ対して甘えと依存から脱却するようにと言っている。それが出来ない人や、精神科医療に頼って来る人を軽蔑し、グーミン(愚民)と蔑んでいる。一体、どれだけ高い立場から人を見下しているのだろうか?。

もっとも、内海医師は、自らのことをキチガイと称しているので言行は一致している。

それに自分の考えに合わない方は来ないで下さいと言っているので、グーミン扱いされてもよい人だけ病院を訪れるのだろう。

私は、内海医師がオカシイとは思っていない。自説に忠実に生きており実行されている。自分賛同しない人はそれでもいいと言っている。

その通りで、彼の説は正しいと思う。

どの考えが正しいかではなく。自分がどう思うかである。そう言う意味ではこの過激な3部作だけではなく、彼と反対側にいる精神医療についてもやはり知識をいれておくべきだと私は思う。

何事も陰があれば陽がある。表もあれば裏もある。逆もまた真なり。なのだ。

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本書では、精神障害を細かく分類して、治療法として薬物療法と認知行動療法などの心理療法を薦めている治療法に関しては一般的な精神医療の本である。ただし、精神障害の分類とその解説は非常にわかりやすく理解しやすい。

本書を読むと、内海医師は勉強不足ではなかろうかと思ってしまう(そういうことは無いと思うが)。

どう考えても精神障害は存在する。ただし、それが病気であるかどうかは疑わしい。社会的に適応できず社会生活を送るのに著しく困難をきたすときに障害として認識される。確かにそれは障害であると思う。

この障害という概念は、経済や国や文化により左右される。社会が余裕を失い、違いを受け入れる許容度、受容度が低くなれば、生きていくのが困難な人が増えるかもしれない。

日本と言う国は、自分と違う状態の人に対しての、受容度、許容度が非常に低いと思う。従ってそれが障害となり、依存や甘えを抱えた精神的弱者は社会からはじかれ、合法的薬物依存症で苦しむという構図になっている。

もっと社会の許容度、受容度が高い豊かな社会になれば、現代の精神医療はお払い箱になるだろうと思われる。

そういう意味では、内海医師の理論が正しいものの現実にはそぐわない。現実は、弱者がたくさんおり、皆この世で一緒に生活している。そこに注意を向けるまなざしが必要だ。弱者に強くなれと言ってもそれは無理な話だ。


「働く人のための精神医学」の著者の知識は深く、精神障害を説明したその明快な文章は本当に素晴らしい。作家としても活躍されているそうだ。他の著作も読んでみたいと思う。

以上、常に表があれば裏もある。そして逆もまた真なりなのだ。一方だけの理解では、偏った考えしか生まれない。両方知った上で、あとはあなたがどう考えるか自由だ。ただし、自説を絶対正しいと他者におしつけてはいけない。

私はそう思う。



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