原発反対派が原発推進派に変わる(懸念)  原発

僕は、原発反対である。

しかし、僕はある懸念を持っている。以下は、その妄想である。

世界中で、そして日本全国各地で、原発反対の声が大きく聞こえる。その流れからか、原発推進派やいわゆる御用学者は黙り込んでいる。これは、科学的ではなく、雰囲気である。

科学的根拠とは何だろうか?僕は、ほとんど全ての科学的根拠は怪しいと思っている。何しろ、すべての科学的根拠について、いわゆる専門家の見解は180度反対である。放射能には閾値があるとか、いや閾値は無い低用量でも危ないとか、むしろ健康に良いとか。だから、福島原発で漏れだした放射線量は非常に危険だとか、いや、危ないとか。(参考 「放射線量フクシマより多い」 ブラジルの療養ビーチ閑古鳥
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110602/amr11060209240000-n2.htm

このように、今まで、健康に良いと言われていたのに、危険になったり。これは、あらゆることについてそうである。ガン治療についても全く反対意見があるし、ワクチンについても有効だとか危険だとか、探せば(調べれば)いくらでも科学的根拠などという絶対的な根拠が無い事に気づく。そもそも、薬を飲んで寿命が延びる事は無い。あれば、それは生命を延ばす薬になる。注射針が健康を導くとはクレイジーである。

科学的根拠などは、ご都合主義であり、経済至上主義である。金が生まれる(利権)ところに科学的根拠がねつ造される。それは、ほとんど科学者の妄想である。その妄想は、再現性を求められるが(再現性もねつ造)、たったひとつの反証で簡単に崩れる。金が生まれなければ(利権が無ければ)皆さんが良いと思っても絶対にそのことについては発展しない。だから、無尽蔵なフリーエネルギーは、効率が悪い(実は金にならないから)と嘘を言って、危険な原発を造る。危険なものは金になる。

原発は金になるし、学者は多額の研究費を提供されるので思いっきり使える。研究者冥利に尽きる。物理学者にとって、核物理学は非常に魅力的だと思われる。

権力者は、庶民がエネルギーと食糧を手に入れる事に危機感を持っている。それはマネーに(お金)から、完全に自由になることを意味する。そうすれば、国家は庶民をコントロールできなくなる。権力者はそれを恐れている。

さて、原発反対者が、何故、原発推進に加担することになるのか?それは覚悟の問題である。そして、世界中が日本国民が、それをコントロールするアメリカがこれからどのような社会を構築するのかという視点が見えないからだ。

原発の根本的な問題は、原子炉の安全性ではなく、核廃棄物(今のところ)の処理ができないことにある。これは、一番の問題である。しかし、日本をはじめ、世界中を見渡してみても、このことで議論している国は無いようだ。いつも、物事が起こったときに、必ずと言っていいほど、本質的な議論は無視する。本当に不思議な事だがそれが私たちの住む世界の様だ。だから、百歩譲って、その議論は僕も棚に上げて話を展開したい。

原発をどうするかというのは、これからどのように生きていきたいのかということを国民に問わないといけない。どういうことかというと、

今までのように経済市場主義で行きますか?エネルギーが豊富で物質に恵まれた、金銭的に豊かな社会生活をまだ送りたいですか?

それとも、経済的には以前のような恵まれた社会ではないかもしれないが、持続可能な社会を送りますか(多少の不便を受け入れますか)?という問題だということです。

これを抜きにしては原発の是非を問うことはできません。

よく、原発を止めると電力が足りないと言われていますが、火力発電所を動かせば足りるそうです。止めなくても足りると言われている。原発が必要だと推進してきたので、足りたら国も電力会社も利権に群がる人たちは困るのです。

それに、日本全国の原発を廃炉にするには30年近くかかるそうです。(総合資源エネルギー調査会 原子力安全・保安部会廃止措置安全小委員会の報告書<2001年8月2日>より)

約50基の原子力発電所の廃棄物を含めた処分費用が約26兆6000億円ということは、1基当たり「5320億円」これに、概算「TRU(再処理中に発生する超ウラン元素)処分を3兆円程度」「再処理工場の解体・処分の積み立てを1兆円程度」を加えると、

2002.3.31.の朝日新聞の「原発「後処理」費用、30兆円にも 電事連の長期試算
<原子力発電所の廃炉コスト>
http://www.ne.jp/asahi/ma/ru/energy/hairo.html

30兆円にもなるそうです。そして、これが30年の間、電気も生み出さずコストばかりが必要になる。しかも、電力喪失で危険性は継続する。廃炉にしても危険。それが原子炉。これに火力発電所などの電気のコストに上乗せとなる。廃炉にするためのエネルギーは膨大なものとなる。原子炉は、廃炉にもし難い。本当にクレイジーな最先端と言われる技術。

科学とはなんと“ばかげているのか”という事がよくわかる。

さて、原発反対派が何故推進派に変わる懸念があるのか?ということであるが、端的に述べると、新しいエネルギー開発が軌道に乗り、国力(経済:国際的な競争力)が持ち上がるまでの数年〜数十年、不自由な生活(今のような生活を期待しているとして比較すると)を強いられるが、それに耐えられますか?ということです。

間違いなく国力(今の経済至上主義の概念での国力)は低下する。原発反対の人々は、その覚悟があるのだろうか?その覚悟がある人は、本物の原発反対派だと思うけど、今の流れに乗ってしまったり、その場の気分で反対している人は、その後、不便な生活に耐えられず、昔は(原発エネルギーがあった頃)は良かった。などと言いだし、“やはり原発は必要だ”となりかねないのではないか?という僕の妄想及び懸念である。よく庶民はコントロールされる。

そして、国の中枢にいる人々は、決して自分の生活の質(経済至上主義の概念における)を落としたいとは思っていない。原発推進派は、そこが狙い目である。言うまでも無く、日本は、自然エネルギーを促進すると言いながら、原発の再稼働を求め原発行政を続けるつもりである。そしてそれは、今の、日本は日本だけで物事を決められないような国になっているのも大きな原因である。※孫正義氏も、完全な脱原発派では無い。

“脱原発”主張の孫正義氏、「韓国の事情は異なる」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110620-00000030-yonh-kr

こう考えると、世界がシフト(経済至上主義から脱却)しないと日本は舵をきれないとも言える。

賛成(推進)とか反対ではなく、以前、京都大学原子炉実験所の時の人、小出助教授が言っていたように、

原発の是非は、“日本国民が今後どのように生きていきたいのかという”問題に収束するように思える。

こう書いている僕は、“原発反対”である。原発が止まった世界。皆さんは、受け入れる覚悟があるのだろうか?
2




AutoPage最新お知らせ